シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです

第二十話

 恭平も一緒にテーブルを囲んでの夕食は、ハンバーグとシチューにポテトサラダと綾斗の好きな物ばかり。いつもより少し特別にしようと考えた時、子供の喜ぶものを優先してしまうのはなぜだろう。
 一口大に切り分けたハンバーグにフォークを突き刺して口に運ぶ息子のことを、恭平はニコニコと優しい目をして眺めていた。

「昨日はうどん半玉でお腹いっぱいって言ってたのにな」
「元気ならいくらでも食べるよ。給食もおかわりする時もあるみたいだし」

 冬生まれの綾斗はクラスでは小さい方だけど、春生まれの子達と競い合うくらいによく食べる。その小柄な身体で摂取したカロリーはどこへ消えるのかと不思議になるが、無駄に飛び跳ねたりとよく動き回っているからだと考えれば納得がいく。

 昨夜のことを思うと恭平と何を話せばいいかと身構えてしまっていたが、彼が来てからずっと綾斗のお喋りが止まらず、そんな心配は端から必要なかったみたいだ。大人が言葉を発する隙がほとんどない。
 ハンバーグの最後の一口を飲み込んでから、綾斗は思い出したように恭平へ向かって問いかける。きょとんととても無邪気な顔で。

「パパはずっとどこに行ってたの?」

 「うちにはパパはいないの?」と聞かれる度、私が「さあ、どこにいるんだろうねぇ……」と誤魔化していたから、綾斗がそんな疑問をもったのだろうか。いなかったはずの父親が突然現れたのだから、不思議に思って当然か。

「あ、綾斗。ご飯食べた後、今日はデザートもあるんだよー」

 決して恭平が悪いわけではないのに、そんな責めるような聞き方はと私は焦って息子の興味を逸らそうと早口で話し出す。恭平が手土産にと以前と同じケーキ屋さんに寄って来てくれたから、それで何とか話題が変わればと思ったのだけれど、恭平が箸をテーブルに置いてから、息子の目を見て真面目な顔で口を開く。

「パパはこの間までずっと外国にいたんだ。綾斗はアメリカって知ってるか?」
「うん、知ってるよ。英語の国でしょう? 保育園に来るナタリー先生、アメリカ人だって言ってた」
「そうなんだ。パパは綾斗が生まれる少し前からずっとアメリカでお仕事してたんだよ」

 保育園の年少以上のクラスには園外から講師を招いての英語と体操の時間がある。まだ簡単な歌を歌うだけのお遊戯に近い授業だけれど、陽気なナタリー先生に週に一度だけ会えるのを楽しみにしている子は多いらしい。

「じゃあ、パパも英語喋れるんだ、すごいねー」
「頑張って勉強したら、綾斗だって喋れるようになるさ」

 話題が微妙にズレ始め、食べ終わった綾斗が先週覚えたというアルファベットの歌を歌い出す。
 まだ幼い息子には、急に出てきた父親の存在と、これまで不在だった理由をそこまで深く疑問に思うことはないのだろう。もう少し成長した後なら、もっと拗らせたりしていたかもしれないけれど。

「じゃあ、今度はいつ行くの?」
「今のところは予定はないなぁ。それに、また行くことがあったとしても次はそこまで長くは行かないかな。出張で一週間とか」

 恭平が律儀に答えている間にも綾斗の興味は別のところに移ったらしく、玩具が入っているカゴに頭を突っ込んでゴソゴソし始める。中から引っ張り出して得意げに私達に見せてくれたのは、初めての授業でナタリー先生からプレゼントしてもらったカード。子供達それぞれの名前をアルファベットで書いて贈ってくれたもので、生まれた時から慣れ親しんだ自分の名前はDOGやCATの綴りよりも一番大事だと教えてもらったらしい。

 カードに書かれた自分の名前を指でなぞりながら、綾斗は「エー、ワイ、エー……」と覚えたてのアルファベットを口にしている。そんな息子の様子を、恭平はグラスに入った麦茶を飲みつつ微笑んで見ていた。
 彼が息子を見る目がいつもとても愛おしさに溢れていて、私はそれを見る度に胸がキュッと締め付けられるように感じる。こんなに大切に想ってくれる人に私は妊娠を告げることが出来ず、彼の前から黙って逃げ出したのだと。
 生まれた瞬間の我が子を見せてあげなかったのはとても残酷なことに思えてくる。後悔とも罪悪感ともつかない感情に苛まれる。

 言葉少なにテーブルの上の食器を片付け始める私のことを、恭平は眉を寄せた困惑の表情で見てくる。きっと私が今何を考えて過去の自分を責めているのかが分かっているのだろう。
 私が恭平の前に置かれた食器へと伸ばした手を、彼がそっと掴む。

「小春は何も間違ってないよ。その証拠に、綾斗がこんなにいい子に育ってるんだから」
「でも……」
「あの頃の俺では小春達をちゃんと守りきれていたかどうか、正直分からない。引退させる前はうちの親父、かなりワンマンだったからなぁ」

 恭平が渡米している間に身体を悪くし、今はすっかり大人しくなったという前社長のことを呆れ顔を浮かべながら少し疎ましそうに話す。
 私が偶然聞いてしまった取引先の令嬢との見合い話にもとても乗り気だったらしく、恭平が頑なに断ったことで親子間に大きな亀裂が入り、向こうが折れて社長職を譲って退くと口にするまで帰国しないと決めていたのだという。

「もう今は、何の心配もないから」

 私の手をキュッと強く握りしめる恭平の手は、温かくてとても大きかった。
< 20 / 38 >

この作品をシェア

pagetop