シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです
第二十二話
当時の私がまだ幼かったからか、両親の離婚の理由を母から聞いたことはなかった。でも、子供の目からも二人の仲は冷め切っていたし、友達のお父さんのように毎日定時で帰宅することのなかった父。祖母も父のことを毛嫌いしていたようで、私が思い出話の中で父の話題に触れると露骨に眉をしかめることがあった。
だから子供ながらに、両親が別れる原因の大半は父の方にあることを察していた。
――今更、勝手過ぎるよ……
私の親権をあっさりと手放し、その後一度も会おうともしなかった薄情な男。父親から興味をもたれていなかったことが、幼い私をどれだけ傷付けたか分かってもいないのだろう。
突然の弟からの連絡に取り乱されてしまったせいか、電話を切った後は失敗してばかりだった。葉を入れ過ぎて渋みしかないお茶を出された客はたまったものじゃなかっただろう。社長も一口飲んだ後に顔を顰めさせていたし、後で「次の人にはコーヒーをお願い」とわざわざ指示してきたくらいなのだからよっぽどだ。
退勤して保育園に向かう時もずっと昼間の電話のことを考えていた。父が入院しているという病院は、電車を乗り継げばかろうじて日帰りで行ける他県にあるのだと言っていた。
でも、あの人がそれまでどこで生きていたのかも聞いていない。ただ手術の関係でそこにいるのか、それとも普段からその近くに住んでいるのかさえ分からない。
弟だという人は私が心配しているだろうと父の病気のことを説明してくれていたけど、血の繋がった親のことなのに、まるで赤の他人のことを聞いているようだった。
これまで一度も会いに来なかった人なのに、どうして私から行かないといけないのか、怒りにも似た感情が沸き上がってくるのは、父親からは見捨てられたという思いがずっと離れないからだ。
週末は日曜の天気が崩れるという予報だったので、土曜の朝から綾斗と近所の公園へと出かける。綾斗は家を出ると当たり前のように隣の部屋のチャイムを鳴らし、出てきた恭平へ「パパも公園、行く?」と誘いかける。
前日はかなり遅い時間に帰宅したらしい恭平は、部屋着のままで少し考えている風だったけれど、息子の無邪気なお誘いに苦笑しながらも頷き返していた。
「着替えて後で追いかけるよ。公園って駅前の?」
「そう、象とキリンの看板がある児童公園」
この辺りは都市開発の途中なのか空き地は多いけれど、残念ながら子供が遊べるような遊具のある場所は少ない。駅からすぐの場所に大型マンションがあり、かろうじてその隣にまだ新しい公園があるくらいだ。とても小さな公園だから小中学生には不人気のようで、綾斗くらいの幼児しかほとんど来ない。
噂では近い内に大きな公園が駅前に出来るみたいだけれど、いつになるかまでは知らない。
綾斗と手をつないでゆっくり公園へと向かっていると、入り口が見えたところで恭平が追い付いてきた。
私達があまりにも歩くのが遅かったというのあるし、途中で綾斗の目が大きなカマキリを捕らえて離さなかったのだ。手で捕まえるのは怖いけれど、どうしても気になるとその場を離れず、しばらくは歩道の隅でしゃがみ込んで動かなかった。
そんな話を私がすると、恭平は声を出して笑っていた。そして、綾斗の身体をひょいと抱え上げて自分の肩に子供を乗せると、公園の中を進んでいく。
普段は届かない高い枝も手を伸ばせば触れられそうな距離にあり、いつもは見上げているばかりだった滑り台やブランコも少し違って見える。そんな初めて見る景色に、綾斗は興奮気味にキャーキャーと笑い声を上げている。
家から持ってきた砂遊びセットを広げて砂場で遊び始めた綾斗を見守りながら、恭平が何か言いたげな表情をして私の顔を覗き込んでくる。
綾斗は砂場に誰かが埋めたらしい大きな石を見つけたらしく、それを一心不乱に掘り返していた。まるでちょっとした発掘現場みたいだ。
「どうした? 最近、考え事ばかりしてるみたいだけど、何かあったのか?」
あの連絡があってからも何度か恭平と顔を合わせることはあったけれど、私は努めて平静を装っていたつもりだった。父のことは私自身の問題だったから話すことでもないと。
でも、恭平の目には私がかなり深刻に思い悩んでいるように映っていたみたいだ。
彼と付き合い始めた頃、隠しておくことではないと思って両親が早くに離婚していることを打ち明けたことはあった。ただその後の父の消息については全く知らなかったし、それ以上は伝えてはいなかった。
私は一瞬迷ったけれど、彼の他にこんな話をできる相手は思いつかず、弟から連絡があったことを恭平に対してぽつりぽつりと話し始める。
「急に弟だって人から電話があっただけでもビックリしたのに、父が入院してるとか会いたがってるとか言われても……」
恭平は綾斗から目を離さないまま、私の話を聞いて小さく相槌を打ち返す。
「二十年も会ってないのに、今更どうしろって思うのにね」
「でも、小春は会ってあげようとしてるんだろ? お父さんが心細くなって小春のことを思い出したんならって。端から会わないって決めてるんだったら、そこまで悩んでないはずだよ」
私の心がどちらに傾いているのかを見透かして、恭平は私の顔を横から覗き込んだ。
許せないと思っているはずなのに、それでも何らかの悩む隙があるのは私も父との再会をどこかで望んでいるからなのだろうか。自分で自分の気持ちがよく分からない。
だから子供ながらに、両親が別れる原因の大半は父の方にあることを察していた。
――今更、勝手過ぎるよ……
私の親権をあっさりと手放し、その後一度も会おうともしなかった薄情な男。父親から興味をもたれていなかったことが、幼い私をどれだけ傷付けたか分かってもいないのだろう。
突然の弟からの連絡に取り乱されてしまったせいか、電話を切った後は失敗してばかりだった。葉を入れ過ぎて渋みしかないお茶を出された客はたまったものじゃなかっただろう。社長も一口飲んだ後に顔を顰めさせていたし、後で「次の人にはコーヒーをお願い」とわざわざ指示してきたくらいなのだからよっぽどだ。
退勤して保育園に向かう時もずっと昼間の電話のことを考えていた。父が入院しているという病院は、電車を乗り継げばかろうじて日帰りで行ける他県にあるのだと言っていた。
でも、あの人がそれまでどこで生きていたのかも聞いていない。ただ手術の関係でそこにいるのか、それとも普段からその近くに住んでいるのかさえ分からない。
弟だという人は私が心配しているだろうと父の病気のことを説明してくれていたけど、血の繋がった親のことなのに、まるで赤の他人のことを聞いているようだった。
これまで一度も会いに来なかった人なのに、どうして私から行かないといけないのか、怒りにも似た感情が沸き上がってくるのは、父親からは見捨てられたという思いがずっと離れないからだ。
週末は日曜の天気が崩れるという予報だったので、土曜の朝から綾斗と近所の公園へと出かける。綾斗は家を出ると当たり前のように隣の部屋のチャイムを鳴らし、出てきた恭平へ「パパも公園、行く?」と誘いかける。
前日はかなり遅い時間に帰宅したらしい恭平は、部屋着のままで少し考えている風だったけれど、息子の無邪気なお誘いに苦笑しながらも頷き返していた。
「着替えて後で追いかけるよ。公園って駅前の?」
「そう、象とキリンの看板がある児童公園」
この辺りは都市開発の途中なのか空き地は多いけれど、残念ながら子供が遊べるような遊具のある場所は少ない。駅からすぐの場所に大型マンションがあり、かろうじてその隣にまだ新しい公園があるくらいだ。とても小さな公園だから小中学生には不人気のようで、綾斗くらいの幼児しかほとんど来ない。
噂では近い内に大きな公園が駅前に出来るみたいだけれど、いつになるかまでは知らない。
綾斗と手をつないでゆっくり公園へと向かっていると、入り口が見えたところで恭平が追い付いてきた。
私達があまりにも歩くのが遅かったというのあるし、途中で綾斗の目が大きなカマキリを捕らえて離さなかったのだ。手で捕まえるのは怖いけれど、どうしても気になるとその場を離れず、しばらくは歩道の隅でしゃがみ込んで動かなかった。
そんな話を私がすると、恭平は声を出して笑っていた。そして、綾斗の身体をひょいと抱え上げて自分の肩に子供を乗せると、公園の中を進んでいく。
普段は届かない高い枝も手を伸ばせば触れられそうな距離にあり、いつもは見上げているばかりだった滑り台やブランコも少し違って見える。そんな初めて見る景色に、綾斗は興奮気味にキャーキャーと笑い声を上げている。
家から持ってきた砂遊びセットを広げて砂場で遊び始めた綾斗を見守りながら、恭平が何か言いたげな表情をして私の顔を覗き込んでくる。
綾斗は砂場に誰かが埋めたらしい大きな石を見つけたらしく、それを一心不乱に掘り返していた。まるでちょっとした発掘現場みたいだ。
「どうした? 最近、考え事ばかりしてるみたいだけど、何かあったのか?」
あの連絡があってからも何度か恭平と顔を合わせることはあったけれど、私は努めて平静を装っていたつもりだった。父のことは私自身の問題だったから話すことでもないと。
でも、恭平の目には私がかなり深刻に思い悩んでいるように映っていたみたいだ。
彼と付き合い始めた頃、隠しておくことではないと思って両親が早くに離婚していることを打ち明けたことはあった。ただその後の父の消息については全く知らなかったし、それ以上は伝えてはいなかった。
私は一瞬迷ったけれど、彼の他にこんな話をできる相手は思いつかず、弟から連絡があったことを恭平に対してぽつりぽつりと話し始める。
「急に弟だって人から電話があっただけでもビックリしたのに、父が入院してるとか会いたがってるとか言われても……」
恭平は綾斗から目を離さないまま、私の話を聞いて小さく相槌を打ち返す。
「二十年も会ってないのに、今更どうしろって思うのにね」
「でも、小春は会ってあげようとしてるんだろ? お父さんが心細くなって小春のことを思い出したんならって。端から会わないって決めてるんだったら、そこまで悩んでないはずだよ」
私の心がどちらに傾いているのかを見透かして、恭平は私の顔を横から覗き込んだ。
許せないと思っているはずなのに、それでも何らかの悩む隙があるのは私も父との再会をどこかで望んでいるからなのだろうか。自分で自分の気持ちがよく分からない。