シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです

第二十三話

「不安なら一緒に行こうか?」

 綾斗に呼ばれて駆け寄る私の背に向かって、恭平が何でもないことのようにさらりと言う。彼は間違いなく子供の父親だけれど、私達は籍をいれているわけじゃない。なのに付いていくのが当然のことのように。
 私は少しだけ考えてから、どちらともつかない笑顔を浮かべる。確かに一人で訪れるには勇気が要るが、彼だけでなく孫である綾斗のことを父に紹介したくはないと思ってしまった。せめてそのくらいの意地悪はしても許されるはずだ。

 翌日の日曜日は天気予報が的中して、朝から小雨が降り続いていた。フロントガラスで繰り返し行き来するワイパーの動きを眺めながら、私達は恭平の運転する車で病院へと向かっていた。

「私が面会している間、綾斗をお願いしてもいい? 父とは私一人で会おうと思ってるから」
「いいよ。でも、病室の前までは一緒に行くよ」

 弟だという人から聞いた父が入院しているという病院はかなり年季の入った建物の総合病院だった。今回受けるという手術も特に難しいものではないと言っていたし、きっと父の今の家はここから近いところにあるのだろう。この土地での父の生活なんてまるで想像は付かないけれど。

 受付で確認してから病棟へと向かう途中、大きなテレビのある待ち合いスペースがあったから、恭平達にはそこで待っててもらうよう伝える。パジャマ姿の小学校低学年くらいの男の子が前のめり気味に子供向け番組の再放送を見ているところだったし丁度良かった。

 父の病室はナースステーションから少し離れた場所にある六人部屋だった。手前のベッドは空いていたが、狭い間隔で並んでいる上に半分近くがカーテンが閉まっていてとても閉鎖的な空間。病院独特の薬剤の匂いと、低く唸り続けている換気扇の音。

 私は部屋の前に掲示されていたベッドの配置図を頼りに奥から二番目のカーテンの前で立ち止まり、ふぅっと深い深呼吸をする。閉められたカーテンの中から誰かが会話している声が漏れていた。その内の一人は多分、こないだ電話で話した弟だと思う。だからきっと、もう一人の掠れた男性の声が父のものなんだろう。私の知っている父のものとはかなり違う。

「あの……小春です。大槻小春です」

 遠慮がちに名乗り、しばらく待っていると中で誰かが椅子から立ち上がる音がした。シャッと勢いよく開かれたカーテンから出てきたのは、すらりと背の高い青年。この人が自分の腹違いの弟なのかと、私は彼の顔を見上げる。確かに若いけれど学生には見えない、その社会人風の彼の見た目は私に衝撃を与える。どう考えても、私より二つか三つ年下という感じだ。

 ――え、どういうこと……?

 私は信じられないものを見たとでもいうように、その場で固まってしまう。彼が私の記憶の中の父親の顔によく似ていたとか、そんなのは別にどうだっていい。私とほとんど歳の近い弟がいること自体が問題だった。
 父と母が別れたのは私が小学生の頃だ。だから弟がいるとしたら二十歳そこそこだと思っていた。こんなに歳が近くていいわけがない。

 ――離婚する前から、子供がいたってこと⁉

 カーテンの前で絶句する私のことを、弟だという男性は久しぶりの再会で緊張しているとでも思ったのだろう、人懐っこい笑顔を見せながら中へと入るよう勧めてくる。

「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
「あ、これはご家族のみなさんで召し上がってください」

 手に持っていた菓子折りはいつも恭平が買って来てくれるケーキ屋の焼き菓子の詰め合わせだ。入院中の食事制限があるかもしれないからと、見舞いではなく挨拶の品として包んでもらった。それには丁寧に礼を言った後、彼はおそらくさっきまで自分が座っていただろうパイプ椅子を私に勧める。

 ベッドの上で半身を起き上げているパジャマ姿の父は、二十年ぶりに会った私のことを眩しそうに目を細めて見ていた。病気のせいなのかは分からないが細く痩せた身体に、シミの多い顔は皺だらけだ。それでも私のことを見ている眼は生気に溢れていて、手術を受けるとはいっても別に大したことがないのがよく分かった。

「小春、なのか……?」

 父は私に向かって確かめるように呼び掛けてくる。私は黙ったまま頷き返したが、見舞いも挨拶の言葉すらも口から出てはこなかった。無言を貫く私をフォローするように、弟だという青年が後ろから父へと説明していた。

「親父が前に言ってた不動産屋にまだ勤めておられたから、俺が連絡して来てもらうよう頼んだんだよ。最近ずっと、会いたいって言ってたから」
「そうか……」
「俺も彼女も、急に腹違いの姉弟がいるって言われてビックリだよ」
「ああ、そうだろうな。すまない」
「じゃあ、俺は外に出てるんで、どうぞゆっくりしてってください」

 電話の時と同じようにほぼ一方的に喋り切った後、男性はカーテンを出て行ってしまう。残された私は父の顔から視線を逸らし、ベッドヘッドに設置されているネームプレートを黙って眺めていた。
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