シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです

第三十六話

 恭平が買ってきてくれたケーキを頬張る息子を眺めながら、私は彼の話に耳を傾けた。
 せめて連絡くらいしていってよと文句の一つも言いたかったけれど、あの時の私だって何も告げずに彼の前から消えたのだから何も言えない。ちゃんと理由を話しに戻ってきてくれただけ、彼の方がずっと誠実だ。
 四年も経って、ようやく私は自分自身が彼に対してした仕打ちがどれくらい残酷なものだったかを身をもって知った。
 なのに恭平は、私のことを許して再び受け入れようとしてくれている。それがどんなにすごいことなのか。あの頃の自分には想像すらつかなかっただろう。

 私も望月コーポレーションに関するニュースにはほとんど目を通したつもりだったから、会社として最後まで否定も肯定もしていなかったのは知っている。だから、公けな声明を出さないことで周囲がさらにヒートアップして騒ぎ立てている感じだった。
 あえて火消しに動かないのには何か理由があるのだろうとは何となく思っていたけれど……

「競合他社との大口の提携話が持ち上がってたけど、どうしても裏に何かが絡んでる疑いが拭えなくて。下手したらうちの会社も共倒れになる危険性もはらんでいたから、しばらく様子見せざるを得なかった」
「裏に何かって?」
「相手企業に、ある議員との癒着の噂があったんだ。かなりの規模の可能性があったし、そこがリークされることになれば、うちも無傷ではいられないかもしれないって判明して――」

 ある議員と聞いて、私の頭に真っ先に浮かんだのは恭平との縁談が噂されていた相手のこと。地元密着型の公約を掲げ、地域の企業に有利な施策を積極的に押し勧め
ているという評判の政治家。

「それって、都市開発に関わっているっていう……?」
「そう、娘との見合い話を持ち掛けながら俺に近付こうとしてきた奴。しっかり裏付けが取れるまでは適当にあしらって時間稼ぎしなきゃならなかったから、マスコミへの対応が後回しになった」

 一時期は望月コーポレーションも議員への収賄の疑いをかけられ、恭平自身までがマスコミの記者に追われるようになったらしい。
 だから、私と綾斗まで巻き込まれないようにアパートを引き払うことになったと、恭平は寂しそうに笑いながら説明してくれた。確かに彼の不自然な二重生活を知られたら、私達のことまで興味本位で調べ始める記者も出てくるだろう。
 提携が正式に成立する前に相手企業が黒だと判明し、話は全て白紙に戻されたのだという。
 望月コーポレーションは危ない橋を渡らずに済んだが、一方の企業と議員はこれからどうなるのかは分からない。「あれだけマスコミが嗅ぎ回ってたんだから、そのうち大々的に報道されるだろうな」と恭平は他人事のように笑っていた。

「……てっきり、今度こそ本当に恭平が結婚してしまうのかと思ってた。だって、ネットで写真を見たけど、すごく綺麗な人だったし」

 ミス何とか大学という華麗な経歴の持ち主の、その女性の写真を何かのニュースサイトで見た。父親である議員自体はどこにでもいそうな普通のおじさんだったけれど、その面影がほとんどない細身で和装の似合いそうな美人だった。化粧っ気の少ない地味な私とは大違いだ。
 見た瞬間、恭平にはこういう人がお似合いなのにと考えてしまったから、もう彼は私達のところへは戻って来ないと思っていた。きっと私よりもその人の方が彼の隣に立つのに相応しいと。社長夫人なんて、どう考えても私には務まりそうもない。
 なんだかんだ言って恭平は望月コーポレーションのことも大事に考えているから、もしかしたら会社のために縁談を受け入れてしまうんじゃないかと。
 そんな私の後ろ向きな言葉に、恭平は眉を寄せて顔を顰める。そして、呆れたようにワザと大きな溜め息を吐いてみせると、私の額に手を伸ばしてから指先でパチンと弾く。

「――痛っ⁉」

 いきなりのデコピンに、私は両手で自分の額を押さえる。綾斗もケーキのフォークを口に入れる途中で手を止めて、ビックリした顔で私と恭平のことを交互に見ていた。
 今までも何度か彼からデコピンをされたことがあったけれど、これまでで一番痛かった。いつもは音の割にはそれほど痛みは無かったはずなのに。
 恭平はムッとした風に唇を尖らせてから、私に向けて言った。

「やっと捕まえたのに、そう簡単に手放すわけがないだろ」

 本気で怒っているはずなのに、とても優しい瞳で恭平は私のことを見てくる。私がいつも自分に自信がないことなんてお見通しだというような暖かい視線。
 薄っすらとまだジンジン痛む額を擦りながら、私は恭平に向かって小さく苦笑いしながら謝る。

「ごめんなさい……」
「分かったならいい。さっき言ったように、俺は二人のことを迎えに来たんだから」

 彼に本気で怒ってもらえたことが、なぜだかとても嬉しかった。そんな私達のやり取りを、綾斗は大きな口を開けてケーキを頬張りながら、不思議そうに見ていた。
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