シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです

第四話

 これまでこの部屋に人を入れたことはほとんどなかったから、初めてのお客さんに綾斗は緊張しているのか私の手をギュッと握り締めてくる。
 恭平は部屋の中をぐるりと見回してはいたが、特に何も言ってはこなかった。促されるまま、和室へと入っていく。

「こんなところに住んでるなんて、ビックリしたでしょう?」
「いいや……」

 元カレである恭平は私とは住む世界が全く違う人だ。私が知っている彼は父親が経営する会社『望月コーポレーション』で専務として勤務していた。まだ二十台の若さで取締役というのを聞いた時は驚いたし、さらに彼が御曹司だと知ってから私は常に彼との関係を悩み続けた。私なんかでは釣り合う人ではないと。

 カラーボックスの上に置かれた小さなテレビや玩具が詰め込まれたカゴをちらりと見た後、恭平は私の後ろに隠れながら様子を伺っている小さな男児へと声を掛けてくる。

「えっと、三歳になるんだっけ?」

 綾斗は知らない男からの質問にも、素直に頷き返していた。特にそこまで警戒しているわけではなく、単なる人見知りみたいだ。
 狭い部屋で立ったまま話すのも変だと、恭平へ適当に座ってと告げてから、私は台所へ戻り、冷蔵庫の中から麦茶の入ったポットを取り出してグラスへ注ぎ入れる。
 コーヒーや紅茶は職場で飲むと決めているから、こんな時に出せるのは水か麦茶くらいしかない。

 畳の上に置いた小さな折り畳みテーブルへグラスを置くと、私も恭平の向かいに座り込む。
 彼がここに来た理由は全く見当も付かない。でも、私には彼に対して謝らなければならないことがあった。

「ごめんなさい。私、あの時はどうしていいか分からなくて……」

 四年ぶりの再会なのに、彼の顔がまともに見れない。一言も理由を告げず、話し合うことも放棄して逃げた私のことを、彼はずっと怒っているのだろうと、俯いて身体を硬直させる。
 綾斗が心配そうに私の顔を見上げている気配がすぐ横からして、息子の身体を片手で抱き寄せる。

「うん、小春と急に連絡が付かなくなった時は、ショックだったよ」

 少し低い声で恭平はそう話していたが、少しも怒っているようには感じなかった。反対に、まるで当時のことを思い出したとでも言うように、寂しげに溜め息を漏らしてみせる。
 四年前、私は自分が妊娠していることに気付き、恭平の前から姿を消すことを選んだ。お腹の子の父親であるはずの彼には一切何も告げずに。

 ――だって、私と恭平では釣り合いが取れないもの……

 家族のいない自分には宿ったばかりの命を消し去るという選択肢は思いつかなかった。そして、彼の困る顔も見たくはなかった。
 恭平は喜んでくれるかもしれないが、彼の家族はどう思うだろうか。大会社の御曹司である彼の周囲からの拒絶が怖くて、私は恭平の前から逃げ出した。
 お腹の中の小さな命を守るために。

「だって、恭平は……」
「小春がいなくなった理由はちゃんと分かってる。だから、怒ってないよ」

 私が言い訳を口にしようとすると、恭平が言葉を被せて遮ってくる。

「でもさすがにあの時は堪えた。恋人に捨てられて日本にはいたくなくて、すぐにアメリカ支社に移動願いを出した。小春のこと忘れようと必死で仕事したんだけど、やっぱり無理だった」

 先月に帰国したという彼は、もう一度話し合う機会が欲しいと私のことを探し直したんだと話す。納得できないままの別れは四年という短くはない期間、ずっと彼の胸にしこりとなって残り続けていたのだと。

「小春に子供がいるって聞いて、驚いたよ。でも、君が俺の前からいなくなった理由かと思ったら、自分が情けなくなった」

 私一人に抱えさせてしまうほど自分が頼りない存在だったのだと、恭平は顔を歪ませる。
 けれど、私の隣でプラスチックコップで麦茶を飲んでいる綾斗へと視線を送ってから、とても優しい笑みを浮かべた。いろいろ調べたと言っていたから、この子の父親が自分だということも当然知っているのだろう。

「帰国してすぐに父の後を継いだから、今はもう誰の顔色も伺わずに済むようになった。あの時みたいに小春が気にすることは何も――」

 恭平の言葉を、私は黙って首を横に振って遮る。親の会社を引き継いでさらに遠い存在になった彼の隣に、自分が立てるわけがない。
 四年という歳月はとても大きい。あの頃はエコー写真でしか確認することができなかった息子は、もう三歳にまで成長している。まだ拙いながらも必死で考えて、自分の言葉で話すようになった。
 彼の社内での立場が当時とは違うように、私だってあの時とは変わってしまったはずだ。

「そっか、まぁ、俺の方は何も急いだりはしてないからいいよ。小春の気持ちがまた戻ってくれるのをいつまでだって待ってる」

 そう言った後、恭平は手を伸ばして私の隣に座る息子の頭を優しく撫でる。綾斗は不思議そうな表情で彼の顔を見上げていた。

「じゃあな、綾斗。パパ、また近いうちに会いにくるから」
「ちょ、ちょっと……⁉」

 元カレの不意打ちの発言に、私は口をパクパクさせて慌てる。確かに事実ではあるけれど、こちらの許可なく父親だと名乗り上げてくるのは卑怯だ。
 綾斗は目をぱちくりさせながら「パパ?」と首を傾げていた。
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