シンママの隣に越して来たエリート経営者は元カレです
第八話・保育士の峰岸
マイペースな息子が出席シール選びで頭を悩ませているのを横目に、私はすでに朝のルーティンとなった登園準備をこなしていく。
そして綾斗へ声を掛けて手を振ってから保育室を出ようとしたところ、担任の峰岸先生から入り口近くで呼び止められた。
「大槻さん、ちょっとお時間いいですか?」
腕時計にちらりと視線を移し、まだ出勤時刻に余裕があることを確かめてから、私は峰岸先生の方を振り返る。空色のエプロンを付けた先生は脚にまとわりついてくる子供達を優しくあしらいながら話し始める。
「綾斗君なんですが、最近はお昼寝されない日も多くなってきているようなんです。お家ではどうですか?」
担任保育士からの問いかけに、私は首を捻りながら息子の家での様子を思い出す。そういえば確かに、最近は前より夜の寝つきがよくなっている気がする。てっきり園で沢山遊んで疲れているだけかと思っていた。
「以前より早い時間から眠そうにすることが増えたんですが、お昼に寝てなかったからなんですね?」
「はい。少しずつ体力が付いてきたのだと思います。年長さんになると起きてる子はそのまま静かに遊んでもらっていたりするんですが――」
「まだ体力に波があるうちはお昼寝はしっかりしてもらった方がいいかなと思うんです」という峰岸先生の言葉に、私は少し考えてから頷き返す。夕方から眠くなるのは昼間にきちんと身体を休めてないからだ。
睡魔に負けてお風呂に入れるのが朝になってしまうこともあって、正直ちょっと困ってはいた。
それに今のところは午後の保育活動に支障は出ていないようだけれど、他の子達が寝ている中で起きている子がいれば、みんなの睡眠の邪魔になっている可能性もある。
綾斗のそんな微妙な変化にはちっとも気付いていなかった私は、密かに反省する。子供に小さな変化があれば、ちゃんと話を聞いてあげるべきだった。
「すみません。でしたら、明日の朝から起こす時間を少し早めてみます」
「お願いします。それでもお昼寝が難しいようだったら、こちらも様子を見させてもらって考えますね」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
園児一人一人に対する細やかな配慮に感謝しながら、私は峰岸先生へ挨拶してから保育園を出る。正直、最初に担任が男性保育士と知った時は不安を感じたが、今はそうでもない。
保育士という職業柄か、ほんわかと温かい雰囲気を醸し出している峰岸先生は、特に男児からの人気が絶大だ。
自由時間には一緒に園庭を駆け回って遊んでくれるだけでなく、子供達が好きなアニメキャラクターのイラストを即興で何でも描いてくれるのだという。綾斗も折り紙の裏に描いてもらった絵を大事に持って帰ってきたことがある。
他の親子と登降園が重なることが多いから、担任とは言っても先生と直接話すのは毎日というわけではない。峰岸先生が他の親子と話している横を挨拶しながら通り過ぎるだけのこともあるし、代わりに副担任の樋口先生と話し込むこともある。
それでも峰岸先生はこれまで関わってもらった保育士の中で一番熱心に綾斗のことをみてくれていると感じていた。
それは単に担任だからか、それとも我が家がシングルだから気を使ってくれているのかは分からないけれど。
「うちは朝も夕方も時間なくてバタバタだから、先生とはほぼ連絡帳でのやり取りが中心ですねー」
そう言っていたのは、同じ年少の香菜ちゃんのママだ。送り迎えの大半はお婆ちゃんで両親が行事の時以外で園へ来ることは少ない。
保育参観日に少し話した時、男性保育士に対する嫌悪感を露骨に表しながら「良くも悪くも事務的な先生ですよね」と峰岸先生には批判的だった。私自信はそんな風に思ったことは一度もなかったから、きっと先生の方も女児の保護者に対して何か線引きして接しているのだろう。
私はその際、女の子の親はいろいろ心配しなきゃいけないから大変だな、と気楽に思っただけだったが。
その日のお迎えの時間。外で遊んで待っていた子供達の中に綾斗の姿を探していると、園庭の隅に設置された運ていに息子を見つけた。先に教室から回収してきた荷物を抱えながら駆け寄ると、綾斗はまだ短い腕を目一杯伸ばして頭上のバーを両手で握りしめ、ぶらりと体重をかけてぶら下がろうとする。
「わ! 危ないっ……」
そのまま地面に落ちてしまうんじゃないかと慌てる私をよそに、綾斗は得意げに足を揺らして見せる。後ろで順番待ちしている子供達は、「がんばれー」「僕もそれくらいはできるよ」など思い思いにお喋りしているから、別に今更という感じみたいだ。
「コータ先生、もうおしまいする」
ぶら下がり続けていた綾斗が横にいる峰岸先生に言うと、先生は慣れた風に息子を抱っこして地面へと下ろしてくれていた。安全確保のために運ていの下には分厚いマットが敷かれているから、万が一手を離してしまっても平気にはなっていたが。
地上に降りたばかりの綾斗は、褒めて欲しいとでも言いたげな顔をしながら、私の腰へとくっ付きに来る。
「すごかったね、綾斗がもうあんなことができるなんて思わなかったよ」
「ね、すごいでしょう! お外遊びの時はいつも練習してるんだ」
得意げに鼻を膨らませた息子の頭を撫でながら、他の保育士と交代してから近付いてきた峰岸先生に会釈する。
「おかえりなさい。綾斗君、最初に比べたら随分と長く掴まっていられるようになりましたよ」
「正直、見ててハラハラしました……」
「あはは。大きい子達が遊んでるのを見て、すみれ組の子達も真似したがるようになったんです」
年少クラスは今、大きい組に憧れていろいろ挑戦したがる時期なのだという。特に綾斗のクラスの子供達が身体を動かすのが好きなのは、活動的な担任の先生の影響もあるのだろう。
私と少し話した後、峰岸先生はボール遊びをしている子供達に呼ばれてサッカーを始めていた。
そして綾斗へ声を掛けて手を振ってから保育室を出ようとしたところ、担任の峰岸先生から入り口近くで呼び止められた。
「大槻さん、ちょっとお時間いいですか?」
腕時計にちらりと視線を移し、まだ出勤時刻に余裕があることを確かめてから、私は峰岸先生の方を振り返る。空色のエプロンを付けた先生は脚にまとわりついてくる子供達を優しくあしらいながら話し始める。
「綾斗君なんですが、最近はお昼寝されない日も多くなってきているようなんです。お家ではどうですか?」
担任保育士からの問いかけに、私は首を捻りながら息子の家での様子を思い出す。そういえば確かに、最近は前より夜の寝つきがよくなっている気がする。てっきり園で沢山遊んで疲れているだけかと思っていた。
「以前より早い時間から眠そうにすることが増えたんですが、お昼に寝てなかったからなんですね?」
「はい。少しずつ体力が付いてきたのだと思います。年長さんになると起きてる子はそのまま静かに遊んでもらっていたりするんですが――」
「まだ体力に波があるうちはお昼寝はしっかりしてもらった方がいいかなと思うんです」という峰岸先生の言葉に、私は少し考えてから頷き返す。夕方から眠くなるのは昼間にきちんと身体を休めてないからだ。
睡魔に負けてお風呂に入れるのが朝になってしまうこともあって、正直ちょっと困ってはいた。
それに今のところは午後の保育活動に支障は出ていないようだけれど、他の子達が寝ている中で起きている子がいれば、みんなの睡眠の邪魔になっている可能性もある。
綾斗のそんな微妙な変化にはちっとも気付いていなかった私は、密かに反省する。子供に小さな変化があれば、ちゃんと話を聞いてあげるべきだった。
「すみません。でしたら、明日の朝から起こす時間を少し早めてみます」
「お願いします。それでもお昼寝が難しいようだったら、こちらも様子を見させてもらって考えますね」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
園児一人一人に対する細やかな配慮に感謝しながら、私は峰岸先生へ挨拶してから保育園を出る。正直、最初に担任が男性保育士と知った時は不安を感じたが、今はそうでもない。
保育士という職業柄か、ほんわかと温かい雰囲気を醸し出している峰岸先生は、特に男児からの人気が絶大だ。
自由時間には一緒に園庭を駆け回って遊んでくれるだけでなく、子供達が好きなアニメキャラクターのイラストを即興で何でも描いてくれるのだという。綾斗も折り紙の裏に描いてもらった絵を大事に持って帰ってきたことがある。
他の親子と登降園が重なることが多いから、担任とは言っても先生と直接話すのは毎日というわけではない。峰岸先生が他の親子と話している横を挨拶しながら通り過ぎるだけのこともあるし、代わりに副担任の樋口先生と話し込むこともある。
それでも峰岸先生はこれまで関わってもらった保育士の中で一番熱心に綾斗のことをみてくれていると感じていた。
それは単に担任だからか、それとも我が家がシングルだから気を使ってくれているのかは分からないけれど。
「うちは朝も夕方も時間なくてバタバタだから、先生とはほぼ連絡帳でのやり取りが中心ですねー」
そう言っていたのは、同じ年少の香菜ちゃんのママだ。送り迎えの大半はお婆ちゃんで両親が行事の時以外で園へ来ることは少ない。
保育参観日に少し話した時、男性保育士に対する嫌悪感を露骨に表しながら「良くも悪くも事務的な先生ですよね」と峰岸先生には批判的だった。私自信はそんな風に思ったことは一度もなかったから、きっと先生の方も女児の保護者に対して何か線引きして接しているのだろう。
私はその際、女の子の親はいろいろ心配しなきゃいけないから大変だな、と気楽に思っただけだったが。
その日のお迎えの時間。外で遊んで待っていた子供達の中に綾斗の姿を探していると、園庭の隅に設置された運ていに息子を見つけた。先に教室から回収してきた荷物を抱えながら駆け寄ると、綾斗はまだ短い腕を目一杯伸ばして頭上のバーを両手で握りしめ、ぶらりと体重をかけてぶら下がろうとする。
「わ! 危ないっ……」
そのまま地面に落ちてしまうんじゃないかと慌てる私をよそに、綾斗は得意げに足を揺らして見せる。後ろで順番待ちしている子供達は、「がんばれー」「僕もそれくらいはできるよ」など思い思いにお喋りしているから、別に今更という感じみたいだ。
「コータ先生、もうおしまいする」
ぶら下がり続けていた綾斗が横にいる峰岸先生に言うと、先生は慣れた風に息子を抱っこして地面へと下ろしてくれていた。安全確保のために運ていの下には分厚いマットが敷かれているから、万が一手を離してしまっても平気にはなっていたが。
地上に降りたばかりの綾斗は、褒めて欲しいとでも言いたげな顔をしながら、私の腰へとくっ付きに来る。
「すごかったね、綾斗がもうあんなことができるなんて思わなかったよ」
「ね、すごいでしょう! お外遊びの時はいつも練習してるんだ」
得意げに鼻を膨らませた息子の頭を撫でながら、他の保育士と交代してから近付いてきた峰岸先生に会釈する。
「おかえりなさい。綾斗君、最初に比べたら随分と長く掴まっていられるようになりましたよ」
「正直、見ててハラハラしました……」
「あはは。大きい子達が遊んでるのを見て、すみれ組の子達も真似したがるようになったんです」
年少クラスは今、大きい組に憧れていろいろ挑戦したがる時期なのだという。特に綾斗のクラスの子供達が身体を動かすのが好きなのは、活動的な担任の先生の影響もあるのだろう。
私と少し話した後、峰岸先生はボール遊びをしている子供達に呼ばれてサッカーを始めていた。