2Kの君~終電帰りの限界OL、2Kの扉を開けたら異世界騎士の部屋でした
酷く落ち込み、石の像の如く動かなくなってしまった様子の凛子に念のため、ここで待つようにと声を掛け、エイゼルは回廊を進んだ。
少し心配だったが、リアス聖教会の敷地内で不埒な事をする輩はいないだろう。
本来の目的をさっさと済ませてしまおうと、目当ての扉をノックすると、返事が返る前に室内に体を滑り込ませる。
「お久しぶりですサーシャ様」
サーシャと呼ばれた男――サルスェ司教区の長は、書類に落としていた顔をあげ、微苦笑する。
「おや、何だか面倒な空気を纏っているね?」
「ロマーヌとイズラルの国境付近が何やらきな臭いですよ。エジンドラレスに動きはありませんが、ロマーヌは国境線の砦がやや慌しいようです」
短い報告を受けてサーシャは眉を顰める。
「昨年ロマーヌからイズラルに第二公女が嫁いだだろうに」
「噂によるとロマーヌ公王が病に倒れたとか」
「第一公女は降嫁しているし、第一公子は確か御年十二……」
イズラル帝国はアゼリアス山脈の西にある新興帝国である。始祖は騎馬を操る少数民族とする。
ここ五十年でイズラル平原を次々と平定し、エジンドラレス皇国につぐ大国を築き上げた。
飲み込まれた国は、四つ。
ロマーヌ公国を配下におさめれば大陸の西半分の利権を得ることになる。
そして、ロマーヌ公国は大陸の西南にある中堅国家だ。
アゼリアス聖王国の南、特別自由都市ゼイレンと国境を面するトゥリローゼ王国の同盟国でもある。
十三年前にトゥリローゼから第四王女がアゼリアスに嫁いでいる事もあり、アゼリアスとロマーヌはトゥリローゼを挟んで、割り無い仲では無いといえなくも無い。
また、工業が盛んなロマーヌと鉱山を有するアゼリアスは商業的な面でも利害が一致する。
「火の粉がかからない、という訳では無さそうだね」
「動向は張っておいた方がいいでしょうね」
エイゼルの報告を受け、サーシャは書類に文字を足す。
サーシャの作業を見守っていたエイゼルだが、懐をさぐると目当ての物を取り出した。
「それと、これは関係あるかは判りませんが、ゼイレンでこんな物を」
「これは?」
机に置かれた黒い置物をサーシャは取り上げる。
不純物の混じる粘土を固めて焼いたものなのか、作りが少々荒い。
大きさは親指ほどだ。
「終末信仰らしいです」
「ほう、珍しいね」
この大陸では、寄せ集め国家のイズラルを別として、リアス神を祀るリアス聖教を信仰するものが多い。
と言ってもアゼリアス聖王国内でさえ、何を信仰しても異端と弾劾されることはないが、創造神として語り継がれるリアス神信仰は民俗学的見地から言っても古く、民衆の心に深く日常のそれとして根付いている。
「世界の創世はリアス神によるものでは無く、その眷属によるもの。黒く貴き獣こそが唯一神であって、祈れば久遠の安寧を約束してくれる」
「そこまで終末を予感させるような神では無さそうだけど」
解釈の仕方によって、信仰は対象も教義も形を変える。
蒼海を隔てた先の大陸では、白き天の女神と黒き地の女神が火、水、土、風を捏ね、この世界を創世したという神話がある。
「ええ、この話には続きがあって、貴き獣は人の欲望および腐敗を嫌うらしいんですよ。腐敗を生むのは豊かさ――つまり財産です。現世での滓を捨て来世へ。久遠の安寧は来世にあるんです」
「そうなると、随分俗な話になる」
「ゼイレンに、その像を持ち込んだ男はロマーヌの商人でして」
サーシャは片眉をあげた。
「ロマーヌでは、年があけてからじわじわ塩の値段が上がっているそうですよ。市井の生活を逼迫させるような影響はまだ見えないそうですが」
エイゼルは役人では無い、かといって教会に属する人間でもない。
しいて言えば、在野の魔法師である。
諸国を漫遊し、腕を研鑽する……と言うと聞こえが良いが、大した物ではない。
組織に縛られるのが面倒なだけである。
青錆色の髪が示す通り、潜在魔力が一般人に比べると高かったのだが、中央にいけば平均値だ。
間諜の真似事を始めたのは何年前だろうか。
貴族の生まれとは云え三男坊である自分は所領を継ぐ事も無い。
家を飛び出し、荒事に興じ、その日暮らしの怠惰な生活をしていた所、当時クァルツ司教を務めていた、薄墨色の髪をした男――現サルスェ司教サーシャ・レイヌ・ウル・ダッカと出会った。
出会ったというか、喧嘩を売って負けたのだ。
その時のツケを支払うために、サーシャの手伝いをするようになったのだが、そこにサーシャと同じく、聖王庁に身をおく兄マリセル・ルーサ・ウル・ローイの口添えがあったのは、うすうす気がついている。
優秀な兄の日陰で捻くれた弟としては、すべて自分を更正させる為に仕組まれた事と公に認めるのは、なかなか難しい。
だが、しかしエイゼルは心のうちでは感謝している。
世界を見て回るのは面白いし、時折思いがけない事象に行き会ったりもする。
「なんとなく気になる話だね」
さらに別紙へといくつかの文字を書付、サーシャは封蝋を施しエイゼルに渡した。
私的な書簡――いわゆる手紙である。
表向きに、宗教と政治は一線を画している。しかし教会は国内の至るところに在り、またアゼリアス聖王国のみならず、リアス聖教会は他国にも通ずる独自の伝手を持つため、自然と集まってくる情報が多い。
眉唾ものの噂話から、誰それの恋愛譚まで様々である。
所領を統治している領主とはまた違った角度から領民たちを見守る事もできる。
数多の情報のうちから、有益なもののみを、あくまでも噂話程度として中央に伝えるのだ。
アゼリアス聖王国の政治を裏方から支える駒の一つである。
「ああ、それからもうひとつ」
サーシャの薄墨色の髪を見ていたエイゼルが口を開く。
「不思議な色持ちの娘と出会いまして――」
◇◇◇
凛子はエイゼルに手を引かれ、礼拝堂の裏手にある回廊を抜け、聳え立つ尖塔の階段を登っていた。
螺旋を描くように巡らされている石段の足元をみているだけで眩暈がしそうだ。
日頃、どれだけ運動不足なのかを思い知らされる。建物を二階分ほど登った時点で息があがっていた。
エイゼルが促した先では部屋の主が、佇んでいた。
ぼやけた薄墨色の髪はアッシュの入ったカラーリングをしているような風合いだ。
男性にしては長めの髪に、こちらでは長い方が一般的なのかも、と思う。
「これは見事な色持ちだね」
やや目を瞠ってサーシャが口にした。
凛子をしばらく見つめてから、彼女の頭に手を乗せる。
エイゼルに連れられてきた部屋は、ここが執務室だとでも主張しているかのように、
書棚を両側に配置し、中央奥にどっしりとした机が置かれてある。
机上には、書類が雑然と重ねられており、凛子はなんとなく会社のデスクを思い出した。
「拾ったって?」
「違いますよ! 困っているっぽいし、なんか放っておけないじゃないですか!」
表情を僅か崩し、人の悪そうな顔つきをした主に、エイゼルは少々慌てる。
確かに今より少し若い頃は、睦言に関しても旺盛だったが。
潜在魔力値の高さは、体の一部分に色を持って現れる。
多くは髪と瞳だ。青錆色の髪をしたエイゼルは水の要素と呼応する魔力が強い。
風は白、土は翠といった具合に。
その三つに光と闇を足した五つの要素で世界は成り立ち、また、魔力の根源ともなっている。
光はその性質から、対象に見せ与える物で、闇はその反対の性質を持つ。
端的に云うと前者は動の力、後者は静の力を得手としている。
黒の色持ちに紋様術を操る術師が多いのには、基本性質からくるものだ。
黒き賢者と名高い叡智の塔主もまた、稀代の紋様術師である。
魔法師であるエイゼルは魔術師達の脳内構造がいまいち理解できない。
机上で書物を紐解き思索するより、自然にある要素を借り受け、そのまま力として振るう方が気持ちが良いのに。
しかしだからこそ、いまだに転送術を使いこなせず、転送門の世話にならなきゃいけないのだという事を思い出し、小さく肩を竦めた。
「うん――エイゼルの言う通り、捻れは無いね。でも魔力が、とても弱い。髪も目も見事な色をしているのに……何か、遮られる様な……封じの術具を付けているわけでも無さそうだし」
「こういう事ってあるんでしょうか?」
「世界は広いからね。そういう人間が居る可能性が皆無だと、言い切れないよ」
「言葉がまったく通じないかと思えば、いくつかの単語は知っているんですよ。シャアルなんて古語も知っているみたいですし。知能が足りないという訳でも無さそうだし……凄い酒飲みっぽいから、未成年って訳でも」
「もう、飲ませたのかい?」
「だから違いますって! ……そういえば彼女の言葉で酒をサケというらしいですよ。手がかりにならないでしょうか?」
「共通語には無い響きだね」
サーシャの手から開放され、凛子は目を瞬かせる。
一瞬だけ、ぞわぞわした感触が体を抜けた。いったい何をしたんだと聞こうにも、言葉を知らない。
凛子の異世界語録はかなり偏っており、昨晩の酒の種類にプラスして、朝食だったいくつかの食べ物の単語と「美味しい」。
それから先ほどの青い石が「シャール」だという事くらいだ。
九割が食に関する言葉で、人間の三大欲求は、どこにいても貪欲だなあと、妙に感心する。
サケやらベレーやらシャールの単語を織り交ぜ、二人の男は会話している。
エイゼル自身はは悪い人ではなさそうな気がする。
それから薄墨色の髪をした優しげな男も。
どうやらここは教会らしき場所だし、執務室の主は聖職者だろうか。
シャールはアゼリアスの国教は一神教だと言っていた。
礼拝堂で見た白い像が、創造神かもしれない。
魔法があって、魔術があって、賢者がいて、戦争が起こるかもしれない。
ベレー、ザラサィ、シャール、ズァッヘン、チェザレ、ラエム、ルッカラ……ら……ら……。扉の人はなんて名前だったっけ。長ったらしくて舌が縺れてしまいそうな。
「ら……らすとー、ラスとーら、ラすとーリャ?」
ふと割り込んだ自信無さそうな凛子の声に、闇の魔術師と水の魔法師は顔を見合わせた。
少し心配だったが、リアス聖教会の敷地内で不埒な事をする輩はいないだろう。
本来の目的をさっさと済ませてしまおうと、目当ての扉をノックすると、返事が返る前に室内に体を滑り込ませる。
「お久しぶりですサーシャ様」
サーシャと呼ばれた男――サルスェ司教区の長は、書類に落としていた顔をあげ、微苦笑する。
「おや、何だか面倒な空気を纏っているね?」
「ロマーヌとイズラルの国境付近が何やらきな臭いですよ。エジンドラレスに動きはありませんが、ロマーヌは国境線の砦がやや慌しいようです」
短い報告を受けてサーシャは眉を顰める。
「昨年ロマーヌからイズラルに第二公女が嫁いだだろうに」
「噂によるとロマーヌ公王が病に倒れたとか」
「第一公女は降嫁しているし、第一公子は確か御年十二……」
イズラル帝国はアゼリアス山脈の西にある新興帝国である。始祖は騎馬を操る少数民族とする。
ここ五十年でイズラル平原を次々と平定し、エジンドラレス皇国につぐ大国を築き上げた。
飲み込まれた国は、四つ。
ロマーヌ公国を配下におさめれば大陸の西半分の利権を得ることになる。
そして、ロマーヌ公国は大陸の西南にある中堅国家だ。
アゼリアス聖王国の南、特別自由都市ゼイレンと国境を面するトゥリローゼ王国の同盟国でもある。
十三年前にトゥリローゼから第四王女がアゼリアスに嫁いでいる事もあり、アゼリアスとロマーヌはトゥリローゼを挟んで、割り無い仲では無いといえなくも無い。
また、工業が盛んなロマーヌと鉱山を有するアゼリアスは商業的な面でも利害が一致する。
「火の粉がかからない、という訳では無さそうだね」
「動向は張っておいた方がいいでしょうね」
エイゼルの報告を受け、サーシャは書類に文字を足す。
サーシャの作業を見守っていたエイゼルだが、懐をさぐると目当ての物を取り出した。
「それと、これは関係あるかは判りませんが、ゼイレンでこんな物を」
「これは?」
机に置かれた黒い置物をサーシャは取り上げる。
不純物の混じる粘土を固めて焼いたものなのか、作りが少々荒い。
大きさは親指ほどだ。
「終末信仰らしいです」
「ほう、珍しいね」
この大陸では、寄せ集め国家のイズラルを別として、リアス神を祀るリアス聖教を信仰するものが多い。
と言ってもアゼリアス聖王国内でさえ、何を信仰しても異端と弾劾されることはないが、創造神として語り継がれるリアス神信仰は民俗学的見地から言っても古く、民衆の心に深く日常のそれとして根付いている。
「世界の創世はリアス神によるものでは無く、その眷属によるもの。黒く貴き獣こそが唯一神であって、祈れば久遠の安寧を約束してくれる」
「そこまで終末を予感させるような神では無さそうだけど」
解釈の仕方によって、信仰は対象も教義も形を変える。
蒼海を隔てた先の大陸では、白き天の女神と黒き地の女神が火、水、土、風を捏ね、この世界を創世したという神話がある。
「ええ、この話には続きがあって、貴き獣は人の欲望および腐敗を嫌うらしいんですよ。腐敗を生むのは豊かさ――つまり財産です。現世での滓を捨て来世へ。久遠の安寧は来世にあるんです」
「そうなると、随分俗な話になる」
「ゼイレンに、その像を持ち込んだ男はロマーヌの商人でして」
サーシャは片眉をあげた。
「ロマーヌでは、年があけてからじわじわ塩の値段が上がっているそうですよ。市井の生活を逼迫させるような影響はまだ見えないそうですが」
エイゼルは役人では無い、かといって教会に属する人間でもない。
しいて言えば、在野の魔法師である。
諸国を漫遊し、腕を研鑽する……と言うと聞こえが良いが、大した物ではない。
組織に縛られるのが面倒なだけである。
青錆色の髪が示す通り、潜在魔力が一般人に比べると高かったのだが、中央にいけば平均値だ。
間諜の真似事を始めたのは何年前だろうか。
貴族の生まれとは云え三男坊である自分は所領を継ぐ事も無い。
家を飛び出し、荒事に興じ、その日暮らしの怠惰な生活をしていた所、当時クァルツ司教を務めていた、薄墨色の髪をした男――現サルスェ司教サーシャ・レイヌ・ウル・ダッカと出会った。
出会ったというか、喧嘩を売って負けたのだ。
その時のツケを支払うために、サーシャの手伝いをするようになったのだが、そこにサーシャと同じく、聖王庁に身をおく兄マリセル・ルーサ・ウル・ローイの口添えがあったのは、うすうす気がついている。
優秀な兄の日陰で捻くれた弟としては、すべて自分を更正させる為に仕組まれた事と公に認めるのは、なかなか難しい。
だが、しかしエイゼルは心のうちでは感謝している。
世界を見て回るのは面白いし、時折思いがけない事象に行き会ったりもする。
「なんとなく気になる話だね」
さらに別紙へといくつかの文字を書付、サーシャは封蝋を施しエイゼルに渡した。
私的な書簡――いわゆる手紙である。
表向きに、宗教と政治は一線を画している。しかし教会は国内の至るところに在り、またアゼリアス聖王国のみならず、リアス聖教会は他国にも通ずる独自の伝手を持つため、自然と集まってくる情報が多い。
眉唾ものの噂話から、誰それの恋愛譚まで様々である。
所領を統治している領主とはまた違った角度から領民たちを見守る事もできる。
数多の情報のうちから、有益なもののみを、あくまでも噂話程度として中央に伝えるのだ。
アゼリアス聖王国の政治を裏方から支える駒の一つである。
「ああ、それからもうひとつ」
サーシャの薄墨色の髪を見ていたエイゼルが口を開く。
「不思議な色持ちの娘と出会いまして――」
◇◇◇
凛子はエイゼルに手を引かれ、礼拝堂の裏手にある回廊を抜け、聳え立つ尖塔の階段を登っていた。
螺旋を描くように巡らされている石段の足元をみているだけで眩暈がしそうだ。
日頃、どれだけ運動不足なのかを思い知らされる。建物を二階分ほど登った時点で息があがっていた。
エイゼルが促した先では部屋の主が、佇んでいた。
ぼやけた薄墨色の髪はアッシュの入ったカラーリングをしているような風合いだ。
男性にしては長めの髪に、こちらでは長い方が一般的なのかも、と思う。
「これは見事な色持ちだね」
やや目を瞠ってサーシャが口にした。
凛子をしばらく見つめてから、彼女の頭に手を乗せる。
エイゼルに連れられてきた部屋は、ここが執務室だとでも主張しているかのように、
書棚を両側に配置し、中央奥にどっしりとした机が置かれてある。
机上には、書類が雑然と重ねられており、凛子はなんとなく会社のデスクを思い出した。
「拾ったって?」
「違いますよ! 困っているっぽいし、なんか放っておけないじゃないですか!」
表情を僅か崩し、人の悪そうな顔つきをした主に、エイゼルは少々慌てる。
確かに今より少し若い頃は、睦言に関しても旺盛だったが。
潜在魔力値の高さは、体の一部分に色を持って現れる。
多くは髪と瞳だ。青錆色の髪をしたエイゼルは水の要素と呼応する魔力が強い。
風は白、土は翠といった具合に。
その三つに光と闇を足した五つの要素で世界は成り立ち、また、魔力の根源ともなっている。
光はその性質から、対象に見せ与える物で、闇はその反対の性質を持つ。
端的に云うと前者は動の力、後者は静の力を得手としている。
黒の色持ちに紋様術を操る術師が多いのには、基本性質からくるものだ。
黒き賢者と名高い叡智の塔主もまた、稀代の紋様術師である。
魔法師であるエイゼルは魔術師達の脳内構造がいまいち理解できない。
机上で書物を紐解き思索するより、自然にある要素を借り受け、そのまま力として振るう方が気持ちが良いのに。
しかしだからこそ、いまだに転送術を使いこなせず、転送門の世話にならなきゃいけないのだという事を思い出し、小さく肩を竦めた。
「うん――エイゼルの言う通り、捻れは無いね。でも魔力が、とても弱い。髪も目も見事な色をしているのに……何か、遮られる様な……封じの術具を付けているわけでも無さそうだし」
「こういう事ってあるんでしょうか?」
「世界は広いからね。そういう人間が居る可能性が皆無だと、言い切れないよ」
「言葉がまったく通じないかと思えば、いくつかの単語は知っているんですよ。シャアルなんて古語も知っているみたいですし。知能が足りないという訳でも無さそうだし……凄い酒飲みっぽいから、未成年って訳でも」
「もう、飲ませたのかい?」
「だから違いますって! ……そういえば彼女の言葉で酒をサケというらしいですよ。手がかりにならないでしょうか?」
「共通語には無い響きだね」
サーシャの手から開放され、凛子は目を瞬かせる。
一瞬だけ、ぞわぞわした感触が体を抜けた。いったい何をしたんだと聞こうにも、言葉を知らない。
凛子の異世界語録はかなり偏っており、昨晩の酒の種類にプラスして、朝食だったいくつかの食べ物の単語と「美味しい」。
それから先ほどの青い石が「シャール」だという事くらいだ。
九割が食に関する言葉で、人間の三大欲求は、どこにいても貪欲だなあと、妙に感心する。
サケやらベレーやらシャールの単語を織り交ぜ、二人の男は会話している。
エイゼル自身はは悪い人ではなさそうな気がする。
それから薄墨色の髪をした優しげな男も。
どうやらここは教会らしき場所だし、執務室の主は聖職者だろうか。
シャールはアゼリアスの国教は一神教だと言っていた。
礼拝堂で見た白い像が、創造神かもしれない。
魔法があって、魔術があって、賢者がいて、戦争が起こるかもしれない。
ベレー、ザラサィ、シャール、ズァッヘン、チェザレ、ラエム、ルッカラ……ら……ら……。扉の人はなんて名前だったっけ。長ったらしくて舌が縺れてしまいそうな。
「ら……らすとー、ラスとーら、ラすとーリャ?」
ふと割り込んだ自信無さそうな凛子の声に、闇の魔術師と水の魔法師は顔を見合わせた。