2Kの君~終電帰りの限界OL、2Kの扉を開けたら異世界騎士の部屋でした
「閣下」
通された来客に、サーシャは続けそうになった疑問の言葉を飲み込んだ。
脳裏を過ぎるのは、幾度となく叡智の塔へ逃げ込むように足を運んでいた少年の姿。
歓迎するように応接椅子に向かって手を差し出すと、長躯の男は鬱屈を巧みに隠す。
王都に程近い学術都市クァルツから、南国境寄りの観光の街サルスェに、サーシャが移動したのは今から三年程前だ。
自ら望んだものでは無く、聖王庁が統括している各地の教区を、司教たちが順に回るのは慣例である。
一所に腰を据えすぎて、物を見る目が偏らないように、という方針からでもある。
鉱輝石の嵌めこまれた作り付けの石台に純銀製のポットを置くと、ややして柔らかな湯気が立ち上がる。
サーシャは久方ぶりに顔をあわせる男に、持て成しの茶を淹れてしまうと、カップを二つ卓に置き椅子をひいた。
「昨秋のリウケです」
リウケは沈静効果を齎す葉で、医療にも用いられる。
天然温泉の沸きあがるサルスェが、観光都市のみならず療養地として挙げられるのは、こういった野草の多くがサルスェの西。
ゼリアス山脈の麓付近の森でしか手に入らないというのも理由のひとつだ。
「昨秋は霜が例年より早く降りたが、熟成に足りないほどでは無かったのだな」
一口味わったシェイルは答える。
世間話をしに来たわけではなかったのだが。
聖域を流れる独特な空気に、責めたてられる様な気がしてシェイルは何か話題を探していた。
しかし、これといった事が思いつかず、結局「変わりないか」と続けた。
「そうですね……変わらず、平穏ですよ。雪嵐もあと一度訪れれば、華の季節になるでしょう」
「ああ、昨日のは凄かった。ここに来る前にエイネの堤を見てきたのだが、あれならなんとか持ちそうだな。ゼレスの方はクァルツ支部隊総出で作業中だ」
「ええ、こちらは夕刻にはおさまりましたよ。王都はやはり荒れましたか」
昨晩を思い浮かべ、シェイルは苦々しい表情になった。
「明け方まで。お陰で閉じ込められた。ようやく今抜け出せたって訳だ」
シェイルの言葉にサーシャは笑みを零す。
王都から離れているとは云え、どこからともなく噂話は届くのだ。
確信に微妙に触れる話題だが、サーシャは先ほどまでここにいた娘の事を思い浮かべた。稀有な色を二つも身に纏う娘の事を。
直後、シェイルが弾かれたようにその部屋を飛び出したのは、言うまでも無い。
◇◇◇
「似ていますね」
「へえ」
ラストゥーリャの答えを受け、ディエルが細長い物を摘み上げる。
「一度、見せてもらったことがあります」
「シェイルは、ほんっとトゥーリャに懐いてるねえ」
「単に、構造を研究しろという意味合いでしょう。新しい術式を思案するのは、私の趣味ですし。構成を描くのも好きですし」
叡智の塔主は書棚の中から、一冊の本を手にすると開く。
「これです。内側の筒に墨と油を混入させた物をいれ、圧力をかけることによって、微量のインクがペン先へ伝わります」
設計書らしき図が描かれているページに目を落とし、ディエルは「この理論だと、墨壷を袖にひっかけるという事故も起こらないだろうね。開発は?」とあっさり答えた。
因みにエイゼルに至っては、ラストゥーリャの言葉の半分も理解できていない。
「途中でシェイル様から、中止の意向を……学舎の稟議が通ったばかりで」
「ああ、リズエルが生まれた頃か……アレも馬鹿だねえ。で、片棒を担いだトゥーリャは大人しく引き下がったってわけ」
「私も出すぎて打たれたくは有りませんからね。時期尚早だっただけですよ。そのうちに――と」
「なら、これを時期にしてもいいかもしれない。ね、エイゼル」
「ええっ!? は、はい」
唐突に話をふられたのだが、エイゼルには彼らの話にまったくついていっていない。
凛子の持ち物から、なぜ皇太孫の名前が出てくるのか、はたまた学舎の話題になるのかが見当つかない。
机の上に並べられた物を、エイゼルは眺める。
紙袋に入っていたのは、先ほども目にした物より小ぶりな大きさの装飾箱。
鞄に入っていたのが、こげ茶色の長財布。中身は見たことの無い三種類の紙幣と硬貨が六種類。
財布と同じ意匠のカヴァーがかけられた冊子。掌サイズの四角い入れ物には、恐らく化粧品の類。
透明な何かの間には恐ろしく上質な手触りの紙束。
細長い赤い入れ物の中に細い棒状のものがいくつも納まっている。
黒き賢者の言を借りると、筆記用具の類だろう。
それから彩り鮮やかな書物。
驚くべきことに、一枚一枚の紙は非常に薄く、風景をそのまま切り取って貼り付けたような、写実的な絵が散りばめられている。どことなく、彼女に似た雰囲気をした娘の姿絵も多く。
用途は不明だ。
「ねぇ僕はこれらの持ち主は――記憶の愛しの君。じゃないかと思うんだよねえ。ただの予感だけど」
並べられた道具が、所謂魔術を基礎とした呪いに関連する物なのかどうか、ラストゥーリャと一通り確認し終えたディエルは、緩慢な動作で頬杖をついた。
「…………」
「ねえねえ、そういえばシェイルの扉はどうしたの?」
「どうしたも……あれ以来封印されていますよ。癇癪を起こされて折られましたしね。塔の保管庫に残骸ならあると思いますが」
「ふうん、何でだろう。書き換えたりはしてないんだよねえ。僕のも結局書き換えてくれなかったし」
「――嫌ですよ。今度は私が封印されてしまう」
「さてさて、慶兆を呼ぶものか災禍を呼ぶものか、どちらだろうね」
今度は第二王子の名前まで、飛び出した。
エイゼルは、ラストゥーリャとディエルの如何ともしがたい横顔に、なんとなく、面倒な事に片足を突っ込んでしまったかもと、ぼんやり思う。
しかし事態は、エイゼルの予想を遥かに超えた広がりを、見せていったのだ。
彼は、今でも時々思い出す。
彼女を巡る災厄と災難。
ひとがひとたるが故の、不完全さ。そして生きる意味。
それから、嫌がおうにも巻き込まれた自分。
だがしかし、あの時の邂逅を後悔はしていない。
と、思う。
…………たぶん。
第二章 彼女の休暇、彼の日常 <了>
通された来客に、サーシャは続けそうになった疑問の言葉を飲み込んだ。
脳裏を過ぎるのは、幾度となく叡智の塔へ逃げ込むように足を運んでいた少年の姿。
歓迎するように応接椅子に向かって手を差し出すと、長躯の男は鬱屈を巧みに隠す。
王都に程近い学術都市クァルツから、南国境寄りの観光の街サルスェに、サーシャが移動したのは今から三年程前だ。
自ら望んだものでは無く、聖王庁が統括している各地の教区を、司教たちが順に回るのは慣例である。
一所に腰を据えすぎて、物を見る目が偏らないように、という方針からでもある。
鉱輝石の嵌めこまれた作り付けの石台に純銀製のポットを置くと、ややして柔らかな湯気が立ち上がる。
サーシャは久方ぶりに顔をあわせる男に、持て成しの茶を淹れてしまうと、カップを二つ卓に置き椅子をひいた。
「昨秋のリウケです」
リウケは沈静効果を齎す葉で、医療にも用いられる。
天然温泉の沸きあがるサルスェが、観光都市のみならず療養地として挙げられるのは、こういった野草の多くがサルスェの西。
ゼリアス山脈の麓付近の森でしか手に入らないというのも理由のひとつだ。
「昨秋は霜が例年より早く降りたが、熟成に足りないほどでは無かったのだな」
一口味わったシェイルは答える。
世間話をしに来たわけではなかったのだが。
聖域を流れる独特な空気に、責めたてられる様な気がしてシェイルは何か話題を探していた。
しかし、これといった事が思いつかず、結局「変わりないか」と続けた。
「そうですね……変わらず、平穏ですよ。雪嵐もあと一度訪れれば、華の季節になるでしょう」
「ああ、昨日のは凄かった。ここに来る前にエイネの堤を見てきたのだが、あれならなんとか持ちそうだな。ゼレスの方はクァルツ支部隊総出で作業中だ」
「ええ、こちらは夕刻にはおさまりましたよ。王都はやはり荒れましたか」
昨晩を思い浮かべ、シェイルは苦々しい表情になった。
「明け方まで。お陰で閉じ込められた。ようやく今抜け出せたって訳だ」
シェイルの言葉にサーシャは笑みを零す。
王都から離れているとは云え、どこからともなく噂話は届くのだ。
確信に微妙に触れる話題だが、サーシャは先ほどまでここにいた娘の事を思い浮かべた。稀有な色を二つも身に纏う娘の事を。
直後、シェイルが弾かれたようにその部屋を飛び出したのは、言うまでも無い。
◇◇◇
「似ていますね」
「へえ」
ラストゥーリャの答えを受け、ディエルが細長い物を摘み上げる。
「一度、見せてもらったことがあります」
「シェイルは、ほんっとトゥーリャに懐いてるねえ」
「単に、構造を研究しろという意味合いでしょう。新しい術式を思案するのは、私の趣味ですし。構成を描くのも好きですし」
叡智の塔主は書棚の中から、一冊の本を手にすると開く。
「これです。内側の筒に墨と油を混入させた物をいれ、圧力をかけることによって、微量のインクがペン先へ伝わります」
設計書らしき図が描かれているページに目を落とし、ディエルは「この理論だと、墨壷を袖にひっかけるという事故も起こらないだろうね。開発は?」とあっさり答えた。
因みにエイゼルに至っては、ラストゥーリャの言葉の半分も理解できていない。
「途中でシェイル様から、中止の意向を……学舎の稟議が通ったばかりで」
「ああ、リズエルが生まれた頃か……アレも馬鹿だねえ。で、片棒を担いだトゥーリャは大人しく引き下がったってわけ」
「私も出すぎて打たれたくは有りませんからね。時期尚早だっただけですよ。そのうちに――と」
「なら、これを時期にしてもいいかもしれない。ね、エイゼル」
「ええっ!? は、はい」
唐突に話をふられたのだが、エイゼルには彼らの話にまったくついていっていない。
凛子の持ち物から、なぜ皇太孫の名前が出てくるのか、はたまた学舎の話題になるのかが見当つかない。
机の上に並べられた物を、エイゼルは眺める。
紙袋に入っていたのは、先ほども目にした物より小ぶりな大きさの装飾箱。
鞄に入っていたのが、こげ茶色の長財布。中身は見たことの無い三種類の紙幣と硬貨が六種類。
財布と同じ意匠のカヴァーがかけられた冊子。掌サイズの四角い入れ物には、恐らく化粧品の類。
透明な何かの間には恐ろしく上質な手触りの紙束。
細長い赤い入れ物の中に細い棒状のものがいくつも納まっている。
黒き賢者の言を借りると、筆記用具の類だろう。
それから彩り鮮やかな書物。
驚くべきことに、一枚一枚の紙は非常に薄く、風景をそのまま切り取って貼り付けたような、写実的な絵が散りばめられている。どことなく、彼女に似た雰囲気をした娘の姿絵も多く。
用途は不明だ。
「ねぇ僕はこれらの持ち主は――記憶の愛しの君。じゃないかと思うんだよねえ。ただの予感だけど」
並べられた道具が、所謂魔術を基礎とした呪いに関連する物なのかどうか、ラストゥーリャと一通り確認し終えたディエルは、緩慢な動作で頬杖をついた。
「…………」
「ねえねえ、そういえばシェイルの扉はどうしたの?」
「どうしたも……あれ以来封印されていますよ。癇癪を起こされて折られましたしね。塔の保管庫に残骸ならあると思いますが」
「ふうん、何でだろう。書き換えたりはしてないんだよねえ。僕のも結局書き換えてくれなかったし」
「――嫌ですよ。今度は私が封印されてしまう」
「さてさて、慶兆を呼ぶものか災禍を呼ぶものか、どちらだろうね」
今度は第二王子の名前まで、飛び出した。
エイゼルは、ラストゥーリャとディエルの如何ともしがたい横顔に、なんとなく、面倒な事に片足を突っ込んでしまったかもと、ぼんやり思う。
しかし事態は、エイゼルの予想を遥かに超えた広がりを、見せていったのだ。
彼は、今でも時々思い出す。
彼女を巡る災厄と災難。
ひとがひとたるが故の、不完全さ。そして生きる意味。
それから、嫌がおうにも巻き込まれた自分。
だがしかし、あの時の邂逅を後悔はしていない。
と、思う。
…………たぶん。
第二章 彼女の休暇、彼の日常 <了>
