どうやら飼い慣らされていたのは、わたしの方だったようです

9.はじまりの日

「かわいそうに」

 そう言いながら、その声にはちっとも感情が乗っていなかった。

 壊れた馬車の残骸と血の匂い。
 父も母ももう生きていないのだと分かった。何度呼びかけても、両親は少しも返事をしてくれなかったから。

 ふわりと、体の上にあった重みが取り除かれる。恐る恐る目を開けた空に、人が浮いていた。

 肩口で切り揃えられたさらりとした黒い髪。緑色の瞳は見たこともない宝石のようにきらめいた。

 この惨状にも関わらず、彼女の背からはあたたかな光が差していて、女神様のようだった。それぐらい、その人はこの世の者ではないように美しかった。

 ああ、この人がぼくを助けてくれたのか。

人間(・・)を呼んでくるわ。村の人に言えば、きっと助けてくれるはずだから」

 まるで自分は人間ではないかのように。宙に浮いたままその人はくるりを背を向けた。

「まって!」

 咄嗟に声を張り上げていた。心細くて苦しくて、もう一時たりとも一人にはなりたくなかった。

「ぼくのそばにいて。おねがい」
 一瞬振り返ったかと思うと、猫のような目がさざ波のように揺れる。

「そう。あなたも、置いていかれたのね」

 その人は大きくため息を吐いた。

 そこにはじめて、何かが見えた気がした。人間としての感情の欠片のような、そんな。

 ふわりと舞い降りてきたかと思うと、頭を撫でられる。やわらかな光に包まれて、体の痛みが消えていく。そのままその人は、ぼくを抱き上げてくれた。

「わたしと、来る?」

「あなたは、ぼくを、おいていかない?」

 その女の人は静かに言う。「そうね、多分わたしは置いていかないわ。魔女は長生きだもの」

 黒髪が揺れて嗅いだこともない、甘やかな匂いがした。知らない国の花のような、不思議で惹きつけられる香り。それが全て塗り替えてくれる気がした。

「わたしはテレーズ。あなたは」

 その時ふと思ったのだ。
 この人も、置いていかれた人なのかもしれないと。

「ぼくは、ジャックです」

 かなうならばずっと、この人のそばにいたいと。
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