恋は手のひらの上で
••┈┈┈┈••

店を出ると、夜風が思ったより冷たかった。
頬に当たった瞬間、さっきまでの熱が少しだけ引いていく。

「…涼しい」

自分でも驚くくらい、声が静かだった。

さっきまであんなに笑っていたのに、急に言葉が減る。


「大丈夫ですか?」

隣で椎名さんが言う。

「だーいじょうぶです」

お店にいた時みたいに明るく言い、一歩踏み出した瞬間、足元が少し揺れた。
ヒールが、ワインの香りでいたずらをする。

「あ」

その声と同時に、腕のあたりに軽く触れるものがあった。

振り向くと、椎名さんの手。
掴むというより、逃げないように添えているだけの支え方だった。

「す、すみません!」

「いえ。ほら、やっぱり」

椎名さんは少し笑う。

「その“だいじょうぶ”は、信用できないって」

「信用してくださいよ…」

言い返そうとして、あくびが出そうになってしまう。
慌てて口を押さえると、椎名さんが小さく笑った。

「眠そう」

「ちょっとだけです!ほんのちょっと!」

そう言った声が、自分でも分かるくらいぼんやりしていた。


タクシー乗り場まで来ると、椎名さんが一台止めてくれる。
ドアが開いて、私は半分うとうとしながら振り返った。

「今日はありがとうございました…」

ちゃんと言おうとしたのに、語尾が少し溶ける。

「むにゃむにゃになってますよ」

「なってません…」

たぶん、なっている。
椎名さんはまた困ったように笑った。

「家、ちゃんと着いたら連絡してください」

「……はい」

うなずくと、まぶたが重い。

「西野さん」

呼ばれて、顔を上げる。

「今日、誘ってよかったです」

一瞬、言葉を選ぶように間があった。

「仕事とは、全然違う顔が見られたので」

その言葉に、胸の奥がふっと温かくなった。

「…私も、です」
たぶん、ちゃんと言えた。


そのままタクシーのシートに沈み込む。

ドアが閉まる直前、もう一度だけ外を見ると、椎名さんはまだそこに立っていた。



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