恋は手のひらの上で
「役員説明は来週を予定しています。緊張すると思いますが、大丈夫です」

少しだけ口元を緩める。

「せっかくですし、楽しんでください」

その言葉に驚いていると、椎名さんは続けた。

「西野さんは、人前で話すと意外と強いので」

「────“意外と”? 」

思わず笑う。

「はい。芯がありますし」

少し間が空く。
それから、思い出したように。

「…お酒は、あまり強くないですけど」

「わぁー!だめです!それは!」

思わず立ち上がる。
淡々と暴露されているみたいで居たたまれない。

その姿を見て、椎名さんが笑った。
仕事のときとは違う顔だった。


「西野さんの説明、俺は好きなので」

一瞬、意味を取り違えそうになる。
慌てて仕事の話だと言い聞かせた。

けれど次の瞬間、椎名さんの視線が私の顔をゆっくりなぞる。

「少し、疲れてます?」

どきっとする。

「いつもと、ちょっと違うような」

隠しきれないなと思って、私は苦笑した。

「よく分かりますね。ちょっと寝不足です」

「忙しいのは分かっていますが。絶対に、無理はしないでください」

真面目な声だった。

その言葉を聞いた瞬間、エレベーターの中のことを思い出す。


高橋の手の温度。近すぎた距離。
でも、目の前のこの人は何も知らない。
知らないのに、なぜか私の状態だけは見抜いている。


「…ありがとうございます」

そう言うと、椎名さんはほんの少しだけ微笑んだ。

その表情を見た瞬間、胸の奥がふっと静かになる。
この人の前だと、なぜか落ち着く。


「すみませんでした」

タイミングを計ったみたいにスマホを片手に高橋が戻ってきた。

前倒しの計画、役員説明の流れ、発売までのスケジュールを説明すると、高橋は静かにうなずいた。

「…なるほど。じゃあ発売までに、工場調整と販促準備を同時進行か」

「そうだね」

「二週間か…。でも、なんとかなるな」

椎名さんが資料を閉じる。

「各自タスクを整理して進めていけば、大丈夫です」

私と高橋は同時にうなずいた。


打ち合わせが終わる頃には、会議室の外は夕暮れに近づいていた。
窓から入る光が柔らかく、机の上に長い影を落としている。

「お疲れ様でした」

会議室を出る前にかけられたその一言だけで、胸の奥が少し温かくなった。

少しずつ、前に進んでいる気がした。



< 129 / 228 >

この作品をシェア

pagetop