恋は手のひらの上で
••┈┈┈┈••

椎名さんが帰ったあと、会議室の片付けをしながら、高橋が椅子の背にもたれて天井を見上げた。

「はー…」

深いため息のあと、私をちらりと見る。

「すげーよな、あの人」

「椎名さん?」

「うん。市場見て、工場押さえて、発売時期まで決めてる」

またため息。

「営業じゃないのに、ほぼ全部見えてるんだろーな」

「仕事だから、ちゃんとやってるんだよ。きっと」

そう言うと、高橋は納得のいかない顔をした。

「その“仕事”が普通じゃないんだよ。商品の芯を理解してないと、戦略は作れないだろ」

私は何も言えなくなる。

椎名さんは、ただ売る人じゃない。
処方も、戦略も、全部見ている人だ。



片付けを終えて会議室を出ると、静かな廊下を二人で歩く。
さっきまでの緊張感が、少しずつ肩から抜けていく。


そのときだった。
頭の奥がじんと重く、視界の端が少し揺れる。

…揺れてる?

ふと足を止めた。
床がぐにゃりと歪んで見える。


「西野、…大丈夫か?」

「……うん」

ここで初めて自覚した。
身体が言うことを聞かない。

今日はローヒールのパンプスなのに、足がもつれる。
少しふらついて、思わず壁に手をついた。

「ちょっと…、ごめん」

立てないわけじゃない。
でも、目の前が微かに揺れる。

頭が重い。心臓が早い。息が浅い。

「どうした?」

高橋の声が近づく。

「なんでもない、ちょっと座って休めば…」

でも言葉が続かない。


次の瞬間、膝ががくっと緩んだ。
持っていたパソコンやタブレット、書類がばらばらと落ちる。

照明が急に遠くなる。
高橋の声が、水の中みたいにぼやけた。


「西野!」

焦った声だけが、はっきり聞こえた。


肩に手が触れ、ためらいがちに抱き起こされる感触。
その揺れの中で、もう自分では立てなかった。



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