恋は手のひらの上で
「どうぞ」

少し体をずらして、私を先に入らせてくれた。

私は軽くうなずいて中に入る。

部屋の空気は、前に来た時と同じだった。
静かで、落ち着いた香り。
これは覚えている。
なんとなく安心する香りだからかもしれない。


靴を脱いでいると、椎名さんが後ろでドアを閉めた。

「コーヒーでも飲みます?」

それとも、と首をかしげる。

「飲み足りなければ、ビールかウイスキーならありますけど」

「コーヒーがいいです。ちょうど飲みたかったので」


もう、ほとんどワインの酔いは引いていた。

椎名さんは小さくうなずいて、キッチンに向かった。

部屋の中は静かだった。
コーヒーメーカーの音だけが聞こえる。

こうして二人でいるのが、少しだけ不思議だった。


読みかけの本、重ねられた書類、置きっぱなしのコップ。
生活感がちゃんとあって、ここには彼が暮らしているしるしがたくさんだ。

久しぶりに会ったはずなのに。
部屋に来るなんて緊張すると思っていたのに。
─────不思議と落ち着く。

むしろ、こうしているのが自然な気がする。


ジャケットを脱いで、とりあえずソファの背もたれに掛けておいた。


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