恋は手のひらの上で
「椎名さん」

声をかけたら、彼は顔を上げて私を視認すると、にこりと笑った。

全然、普通ではない。
たぶん、彼は、目を引く人だ。
それは私だけじゃなく、ちゃんと、他の人も。

彼のメガネのフレームが光を受けて、ほんの一瞬きらりと光った。
凛とした声で、椎名さんは微笑んだ。

「おはようございます」

「はい…、おはようございます」

挨拶の時点で圧倒される。


…メガネに負けるな、メガネに負けるな。
ここは私の会社。私のテリトリー。

何度も会っている。
顔も、声も、仕草も知っている。
なのに、メガネひとつで印象が変わるなんて聞いてない。


「会議室までご案内します。こちらへどうぞ」

なるべく意識して、いつものトーンで彼を促す。
とにかく、早めにこの注目されている状況から抜け出したい。

椎名さんはファイルを閉じて足元に置いていた鞄を持ち直すと、私と一緒に歩き出した。

歩きながら、
「社内、落ち着いた雰囲気でいいですね」
と、のんびりしたような声で辺りを見回している。

周りの視線など、まったく気にしていないと言うより、気づいていない。

「規模が大きくないので、椎名さんの会社と違って静かに見えるかもしれませんね」

「俺はこっちの方が落ち着きます」

「私は落ち着きません」

「え?」

不思議そうな声がして、しまった、と首を振る。

「いえ、こちらの話です」


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