恋は手のひらの上で
高橋は私の隣に座ると、ぽん、と肩に手を軽く置いて、そっと離した。

彼なりの、私への激励なのは分かる。
ふっと息をついた。



全員が着席した瞬間、空気が一段沈んだ。

リモートでは何度も顔を合わせてきたのに、実際に同じテーブルを囲むと、距離の測り方が変わる。
背筋が自然と伸びる。

「では早速ですが、始めましょうか」

朝倉課長の声は穏やかだ。
けれどその穏やかさは、ただ優しいだけのものではない。

課長は味方。
でも、甘やかさない人。


私が用意していた資料を配り、ページが揃う音が重なる。

朝倉課長がゆっくりと口を開いた。

「上代三千円。リモートではこの価格で進行中ですが、本日改めて最終確認をしましょう」

この場にいる全員がうなずく。その流れのまま、課長が椎名さんにうかがう。

「椎名さん、そちらとして異論はありませんか?」

私を含め、全員の視線が椎名さんに集まる。
私は無意識に一瞬、息を止めた。
かすかな緊張。

椎名さんは表情を変えることなく、わずかに首を振った。

「異論はありません。……ただ」

その“ただ”で鼓動が跳ねる。

「最終判断は西野さんに委ねています」

静かに彼が、こちらを見る。
メガネ越しに伝わる、逃げ場を与えない目。


前回の、東央ヘルスケア側の会議室での時間が蘇る。

三千円、とパソコンへ打ち込んだあの日。
ネクタイをほんの少し緩めた指。

“正直、俺から三千円と言うのは簡単でした”
安堵の温度と共に告げられた言葉。
あれは、背中を押された瞬間だった。


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