恋は手のひらの上で
でも今日は違う。今日は、自分で立つ。

「三千円で進めます」

自分の声が、会議室の中央に落ちる。

朝倉課長が温和な目をしてうなずいた。

「分かりました。西野さん、理由を説明してもらえる?」

責める響きではない。
確認だ。味方としての。

「はい」

資料をめくる指は、もう震えていない。

「二千八百円に下げる案も検討しました。単純に、初速が取りやすいからです」

高橋が軽く前に身を乗り出す。
手元の資料を眺めながら、彼は私に続けて口を開いた。

「ただし原価率が跳ねます。改良余地が削られるからです」

淡々と、正確に。
思っていた以上に頼もしい。

私も続ける。

「三千円は、利益を取りにいく価格ではありません」

椎名さんの視線が向こう側でわずかに動く。

「ブランドを育てる価格です。改良、販促、長期展開。そのすべてを含めて成立させる設計です」

すこしの沈黙。
リモートでは生まれなかった重さ。

椎名さんはペンを一度だけくるりと手元で回したあと、試すような、確認するような聞き方で尋ねてきた。

「三千円で伸び悩んだ場合はどうします?」

真正面からの、直球だと思った。
彼の真摯な問いからは、逃げられない。逃げたくなかった。

「価格は動かしません」

言い切ってみせた。
手の震えをおさえ、喉の奥が熱くなる。

怖くないといえばそれは嘘になるけれど、ここが正念場だ。


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