Nocturne(ノクターン)ー美しさは静かに交差する
偶然はまだ偶然の顔をしている。

けれど、
二人の間には確実に、共鳴が生まれていた。

マスターがワインを置く。

カウンターに並ぶ、二つのグラス。

ほぼ同じ色。

深く、静かな赤。

照明を受けて、ゆらりと揺れる液面が
どこか似ている。


「木村さん」

旬が呼ぶ。

ほんの少しだけ、低く。

仕事の場とは違う呼び方。

希はゆっくり視線を上げる。

「はい?」

その目は、穏やかで、揺れない。

「次の再開発案件、
内装のコンセプト段階から入ってもらえませんか」

真面目な声。

きちんとした提案。

けれど、そこに含まれる熱は
ビジネスだけのものではない。

“また会いたい”という意思が、
静かに混ざっている。

希は少しだけ間を置く。

ワインをひと口。

考えているふりをする。

本当は、もう決まっている。

あの“余白”を残す人となら、
一緒に空間を作ってみたいと思っていた。

「条件次第ですね」

くすっと笑う。

からかうようでも、試すようでもない。

余裕のある返事。

旬も、初めて柔らかく笑う。

張りつめていたものが、
少しほどける。

「交渉は、ここで?」

冗談めかした問い。

「ここは交渉の場所じゃないです」

きっぱり。

でも、冷たくない。

「じゃあ?」

問い返す声に、
わずかな期待が滲む。

希はグラスを持ち上げる。

赤い液体が静かに揺れる。

「次に偶然会ったら、考えます」

視線が重なる。

偶然。

作ろうと思えば、いくらでも作れる。

けれど、あえてそれに委ねる。

旬は一瞬だけ目を細める。

挑戦状のようで、約束のようで。

「難易度、高いですね」

「余白、必要でしょう?」

その言葉に、旬は小さく息を漏らす。

余白。

急がない。
詰めすぎない。

空間と同じ。

二人の距離も、きっとそう。

カウンターに並ぶグラスの赤が、
静かに光を受けている。

まだ名前のつかない関係。

けれど確実に、次へと続いている。

「知らないふりの距離」

偶然は、二度目まで。

三度目は、きっと選択。
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