身代わりの結婚は本当の愛のために
 目の前の人は表情をまったく変えない様子から、気づいていないのだろう。あんな変質者まがいの人間など、彼は記憶から消し去ったに決まっている。
 しかし、あの人が久遠社長だったのなら、あの場にいたのも納得できる。久遠ホールディング所有のビルはあの近所だ。それにどこかで見たことがあると思ったのは、雑誌かなにかで見たのだ。
 そんなことを考えている間も、隣では詩乃が父たちになにかを言っている。目の前の久遠社長のご両親や弁護士たちは、かなり苛立ちを隠せないような表情を浮かべていた。

「どういうことですかな。ご理解いただいていると聞いていましたが」
 久遠社長のお父様が、静かだが怒りを含んだ声でそう口にする。その言葉に、場の空気が凍るのではないかと思うほどの緊張が走ったのがわかった。これが、世界の大企業を束ねる人なのだと、思わざるを得なかった。
 しかし、その横からさらに低い声が聞こえてくる。

「私も、このような条件は聞いておりませんでしたが?」
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