最低で大嫌いなあなた、結婚してください
(ああ……、びっくりした!)
部屋から出た鞠花は、階下に向かいながら無言で目を見開く。
看護師として働いて、様々な患者、果ては幽霊相手に図太くなっても、人が襲われている現場を見たのは初めてだ。
毎朝ジョギングをしているのは、看護師は体力勝負だと思っているからで、しっかり食べるのも寝るのも、体力をつけるのも仕事のためだ。
鞠花は二十六歳だが、二年前に彼氏と別れてから男っ気がない。
今は仕事にやりがいを感じ、彼氏はいいかな……と思っている。
だが先輩の話では『職場に出会いはないし、あっという間に三十路になるから、今のうちに合コンしておきなさい』らしい。
しかし合コンに行く時間も惜しいと思って過ごしていた朝、いきなり修吾と出会った。
ジョギングの最中、黒ずくめの人物を見つけ、『怪しい。もしかして……』と冗談半分に妄想していた時、黒ずくめの人物がボディバッグから包丁を取りだしたのを目撃した。
『まずい!』と思った瞬間、鞠花は万が一の事を思って首から下げていたホイッスルを思いきり吹いていた。
仙台にいる祖父母からは、『田舎でも都会でも、どこでも犯罪は起きるから防犯だけはしっかりしなさい』と言われていた。
両親はとうに鬼籍に入り、鞠花を育ててくれたのは祖父母だ。
その教えを守っていた甲斐があった。
(でも、あっさり逃げてくれて良かった)
通り魔なら、ホイッスルを吹かれても怯まない可能性がある。
しかし黒ずくめの人物は修吾だけを狙っているようだったので、本当に彼を殺したいなら失敗はしたくないはずだと瞬時に考えた。
第一に修吾の命を救う事を考えた鞠花は、犯人確保は二の次にした。
本当は修吾を助けて犯人も確保できれば理想的だが、早朝で周囲に人がいないなか、自分一人ですべて成し遂げるのは至難の業だ。
人命に関わる仕事をしている事もあり、まず修吾の命を助けられて良かったと心底思っていた。
(今日いい事をしたから、仕事帰りにケーキ買っちゃおうかな)