最低で大嫌いなあなた、結婚してください

 祥吾は近くを走っていたタクシーに乗り、鞠花の家からさほど離れていない自宅に戻った。

「あぁ……、死ぬかと思った」

 恨まれている自覚はあるが、まさか刃傷沙汰になるとは思っていなかった。

 鞠花に手当てをしてもらったが、胸元の傷はチリチリと痛んでいる。

 祥吾はコンビニTシャツを着たまま、カウチソファに寝転んで天井を見る。

(妙な気分だ)

 目を閉じると、鞠花の家の感覚が生々しく蘇る。

 祥吾が知らないタイプの、ごく一般的な女性が生活している、小さな部屋。

 彼女が料理を作る音に、匂い。

 脱衣所から聞こえた衣擦れの音に、シャワーの水音。

 それらはすべて、祥吾が求めれば女性たちが喜んで差し出してくるものだ。

 なのに〝あれ〟だけは、強引に手に入れてはいけない気がする。

 無理矢理手に入れようとしたら、手の中でクシャリと壊れてしまいそうな感覚がする。

 加えて直感だが、鞠花は祥吾が本当の名前と社会的地位を明かして「付き合おう」と言っても、「光栄ですが、お断りします」と言う気がしてならない。

 鞠花はたおやかな印象がありながらも、一筋縄でいかない人だと分かる。

 それでなければ、目の前で人が襲われている時に冷静な判断を下せないだろう。

 鞠花は明らかに、今まで接してきた女性と一線を画している。

 だからこそ、やり方を間違えたら二度と会えなくなると理解していた。

 そうなったら、物凄く後悔しそうな予感もする。

「……なんでこんな気分になるんだ」

 未知の感情に戸惑った祥吾は、腕で目元を覆い呟く。

 どれだけ考えても分からず、彼は小さく舌打ちをする。

 それから気持ちを切り替え、鞠花をどこのレストランにつれて行くか考え始めた。

「何が好きなのか聞いたほうがいいな」

 一度考え始めると気になってしまい、祥吾はつい鞠花にメッセージを送っていた。

【先ほどはありがとうございます。無事帰りました。食事に行くのに都合のいい日があったら教えてください。ちなみに好きな料理があったら、教えてください。和洋中、フレンチ、イタリアン、寿司、アジア、食べ歩いているので、色々店は知っています】

 メッセージを送ってからしばらくして、ピコンと音がした。

 すぐスマホを開くと、鞠花から返事がきていた。

 ちなみに祥吾のアカウント名は『S』だけなので、祥吾でも修吾でもごまかしが効く。

【無事ご帰宅されたようで何よりです。もし何かあったら、すぐ病院に行ってくださいね。食事のお誘い、逆に気を遣わせてしまってすみません。スケジュールを確認しましたら、一番近くで今週の金曜日なら空いています。昼間に時間が空いている日もあるのですが、夜勤の前に出掛けるのは避けたいです。ちなみに好き嫌いはありませんので、修吾さんのお勧めで結構です】

 鞠花のメッセージは想像通り、完結に要件を伝えるだけのものだ。

 祥吾の知っている女性のように、過剰にハートマークや絵文字を使い、媚びてくる様子はない。

 そのフラットな対応が気になり、いっそうソワソワする。

 ――鞠花さんの〝女〟の顔が知りたい。

 そんな欲が湧き起こって堪らない。

「……畜生。イライラする……」

 祥吾はままならない感情を抱いて舌打ちする。

 そして調子を崩された自分を誤魔化すために、鞠花が喜びそうなレストランに予約を入れる事にし、当日の流れをシミュレーションし始めた。
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