最低で大嫌いなあなた、結婚してください
 八月の初め、『かなえ銀行』本社の社長室。

(あずま)、あと何分」

 祥吾はチュプ……、と秘書の唇をついばみ、問いかける。

 彼の声に、プレジデントチェアの肘掛けに尻を乗せた秘書は、華奢な作りの腕時計に目をやった。

「十三分は余裕がございます」

 ロングヘアを纏めた秘書は、少しリップの落ちた唇でニッコリ笑う。

 抜かりのない彼女の事だから、さらに二分ほどは化粧直しをする時間の余裕を計算しているだろう。

「じゃあ、少しぐらいは楽しめるな」

 祥吾は悪い笑みを浮かべ、椅子を回転させると秘書に向き直った。

 彼女は心得ていると微笑んだあと、床の上に膝をついて祥吾のベルトを外す。

 秘書が奉仕に勤しんでいる傍ら、祥吾はガラス張りの窓から都心のビル群を見下ろした。

(つまらない)

 何もかも順調で、誰も祥吾に文句を言わない。

 仕事はきちんとこなし、業績も右肩上がりだから、両親も祖父母も祥吾に強く意見しない。

 百八十センチメートル以上ある長身に、芸能人に勝るとも劣らない整った顔、鍛え上げた肉体に特注のスーツを身に纏った彼に、命令しようと思う人は少ないだろう。

 女性なら少し微笑まれただけで勘違いし、男性なら一目祥吾を見ただけで雄としての敗北を直感するに決まっている。

 巷で流行っている言葉を使うなら、祥吾は人生というゲームのチートプレイヤーだ。

 鳳家に生まれた時点で、人生の七割は余裕でクリアできると決まったようなものだ。

 幸い彼は良くも悪くも賢く、表沙汰になるような悪事を働かなかった。

 学生時代は成績優秀で教師からの覚えも良く、周囲から賞賛されて過ごし、そのまま実家の会社を継いだ。

 付き合っている女性が絶えた事はなく、酒に強く美食家。

 と言っても、酒も食事も「良い」と言われた物はある程度口にしたので、何かに新鮮味を感じる事は少ないのだが。

 最終的に彼が好んだのは、色々な女性に手を出す事だった。

 秘書の左手の薬指には、結婚指輪が嵌まっている。

 だから祥吾は彼女を第一秘書にし、このような関係になっても構わないと思っていた。

 結婚しているなら、妻になりたいという欲を出す事はないだろうと安心できる。

 入社した時から彼女には目を掛け、結婚式にも出てスピーチをし、善人で毒のなさそうな夫との仲を祝福した。

(まさかあの〝真面目くん〟も、妻が会社でこんな事をしてるなんて思ってないだろうな)

 祥吾は色っぽい吐息をつき、秘書の髪が乱れない程度に彼女の頭を撫でる。





 秘書の奉仕が終わったあと、祥吾はスラックスのファスナーを上げ、何事もなかったかのようにプレジデントチェアに座った。

「時間までに支度してこい」

「はい」

 昼休み、会食などがない時はこのようにして一時のスリルを楽しんでいる。

 お互い深入りはせず、求める快楽が得られればいい。

 そう思いながら、祥吾はモニターに目を戻し新規メールを開いた。



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