せっかく凡庸な彼女が自ら身を引いてくれたのに、天才魔術士はそれを許すつもりがないようです

 探偵からジェシカに関する調査書を受領した後に、一度だけふたりの住む下宿の前まで来たことがあった。
 あのときはあまりのボロさに驚き、始め本当にここに住んでいるのかと疑った。

 が、今回は2度目である。
 迷うことなく、ずかずかと共同玄関を入っていく。
 誰でも出入りできてしまう無用心さに呆れていたはずだったが、今はそのお陰でこうして咎められずに入っていけている。

 外観からも老朽していることはある程度推測できているつもりだったが、中に入ってみると想像以上に酷い。
 壁の漆喰は大きなひび割れが目立つ。
 廊下の床板はところどころ捲れ上がっている。
 その箇所を避けて歩いても、今度は踏み抜いてしまうのではないかと心配になるほど軋むし撓む。

 スリル満点の廊下。
 外の通りを歩いていたときとは打って変わって、その足取りは自ずと慎重になる。

 そうして、どうにか無事にジェシカが借りている部屋番号が付いたドアの前まで来た。
 軽くノックしてみる。

 部屋の中から1度だけミシッと音がした。
 しかし、それっきりだ。
 その後しばらく待ったものの、別の部屋の物音と外の雑踏しか聞こえてこない。

(息をひそめているんだろうか?)

 ジェシカがいないときはそうするように、ジェシカから言い含められているのかもしれない。

 もう一度ノックし、呼びかけてみる。
 
「セシルくん」

 すると、軽い足音が聞こえ始めた。
 ゆっくり近づいてきた。
 薄くドアが開き、隙間から自分によく似た瞳が覗く。
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