せっかく凡庸な彼女が自ら身を引いてくれたのに、天才魔術士はそれを許すつもりがないようです

 ジェシカは説明資料を定時内に作成し終えた。
 しかし、後半は勢いに乗って書いてしまったことは否めない。
 明日また冷静な頭で見直す必要があるだろう。
 『明日の午後、工場長のアポイントが取れた』と帰り際に班長から告げられた。
 それまでに見直しをかけよう。

 ジェシカは明るい気持ちで帰宅した。

「ただいま」
「おかえりなさい」

 セシルもまた笑顔で出迎えてくれた。
 それだけで学校で楽しく過ごせたことが窺える。
 今のところイジメは止んでいるようだ。

「すぐに夕飯を作るわね」
「僕、書斎で待ってていい?」
「いいわよ。できたら呼びに行くわ」

 夕飯の支度に取り掛かる。
 知らず微笑んでいた。

(何もかも順調だわ。これほど穏やかな気持ちで過ごせるのはいつ以来かしら……)

 セシルを妊娠し、単独でノーステリアにやって来て、教会の保護施設に身を寄せていたときの精神状態に似ているかもしれない。

 一時、こんなふうに凪いだ気持ちでいられた。
 将来に不安を感じてはいたけれど。
 今も未来を信じながら、ハンスのヨルデンでの話し合いに一抹の不安を感じないでもない。
 その辺りも似ている。

 けれど、ハンスなら何とかしてくれる、とも思う。
 その点があの頃とは決定的に違う。
 不安を感じつつも、その不安は杞憂に終わってしまうもの──

 このとき、ジェシカは完全に油断していた。

 玄関のベルが鳴った。

(誰かしら? もしかして、ハンスが帰ってきたとか?)

 拗れることなく済めばこのくらいに戻れるかもしれない、と聞いていた。

(そうだとしたら、話し合いが順調に終わったんだわ)

 自然と頬が緩んだ。
 
 駆け足ぎみに玄関まで行く。
 そうして、大きな笑顔でドアを開ける。

──パンッ‼︎

 ジェシカは自身に何が起こったのか分からず、呆然とした。
 遅れて、頬に痺れが走る。

 焦点の合わない目で、目の前に立つ人物を見た。
 鬼のような形相。
 肩で息をしている。

 ようやく理解した。
 ジェシカは叩かれたのだった──

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