せっかく凡庸な彼女が自ら身を引いてくれたのに、天才魔術士はそれを許すつもりがないようです
その名前を見た瞬間、心臓が胸の内側を強打した。
あまりの痛さに息が止まりそうだ。
──ハンス・スティルロッド氏
(まさか! 同姓同名よ‼︎)
ポスターに近づき、小さく書かれた紹介文を読む。
──国立フィラストン魔法カレッジを首席で卒業。現在、フィラストン国立魔法研究所に上級研究員として勤務。ヨルデン州出身。
(ヨルデン州出身のハンス・スティルロッドなんて、珍しくないはず。きっと何人だって存在するわ)
自分にそう言い聞かせたが、『本当に?』という疑念の声がどこからか聞こえてくる──
「ママ?」
ジェシカは我に返った。
いつの間にかセシルがすぐ隣に来ていて、ジェシカの手を引っ張ったのだ。
不思議そうにジェシカの顔を覗き込む。
「図書館が開いたよ?」
セシルの指さす先を見ると、確かにドアが開け放たれていた。
(いつの間に?)
開けられたことに全く気づかなかった。
「……じゃあ、入ろっか」
「うん」
セシルがジェシカの一歩先を歩き、手を引いてくれた。
魔法コーナーに着くまでの間、セシルは楽しそうにジェシカに話し続けた。
しかし、耳の中から脈拍が聞こえてくるせいで、その声は遠い。
もう今では、ハンス・スティルロッド氏は、あのハンスだろうという納得していた。
(国立のカレッジを首席で卒業だなんて、すごいわ。でも、ハンスならいかにもあり得そうね)
紹介文中の出身地にではなく、その箇所にこそ、講演者がジェシカの知るハンスであることを確信させられた。
真面目で優秀。
けれど、そのことを鼻にかけることはなかった。
困っている者には進んで声をかけ、手助けする。
ハンスは、そんな同級生だった。
(カレッジでも、きっとあの調子だったでしょうね)
しがない工場労働者のジェシカでは、国立研究員の上級研究員がどれほどのものなのか想像もできない。
それでも、今の自分とでは天と地ほどの差があることだけは分かる。
同じ学び舎で過ごした過去は、奇跡のようにも思える。
(考えてみれば、講演会は午後からなんだもの。会うことはないわ)