せっかく凡庸な彼女が自ら身を引いてくれたのに、天才魔術士はそれを許すつもりがないようです

 ジェシカは、そのとき自分がどんな顔をしていたか分からない。
 けれど、ハンスの顔よりはたぶんマシだっただろう。
 ハンスは、今にも泣き出しそうだった。

 ハンスの心が誰にあるのか解ってしまった。
 ハンスのことを抱きしめたいという衝動を、二度目の今度は止められなかった。

 ふたりはもう何も喋らなかった。
 手を取り合って、図書館を出た。
 水溜まりが跳ねるのも構わず駆けて、正門を抜け出した。
 そして、ジェシカはセシルを孕ったのだった──


 あのときは、ハンスとの未来はないと知っていたにも拘らず、目の前にいるハンスと一時だけでも共にいることを選んでしまった。
 結果セシルを授かれたのだからよい、ということではない。
 正しい行動ではなかった。

 同じ轍を踏んではならない。
 ギリギリのところで衝動を抑え込む。

「ハンス、あなたと一緒に暮らすことはできないわ」

 ハンスはひどく傷いた顔を見せた。
 ジェシカは、すぐにでも断りを撤回したい気持ちに襲われる。

 もしもう一度、真剣に同居を申し込まれたのなら──
 次は断れない気がした。

< 93 / 161 >

この作品をシェア

pagetop