クールで無口な先輩、実は天然で優しすぎる。――新人の私がその距離をゼロにするまでの600日
やがて、見慣れたマンションのエントランスが見えてくる。
深夜の住宅街は、耳が痛くなるほどしんと静まり返っていた。
琥珀色の明かりが、足元に二人の影を長く、くっきりと落としている。

「……送ってもらって、ありがとうございました。先輩、今日は本当に楽しかったです」

最後までいつもの「明るく元気な後輩」でいようと、立ち止まって精一杯の笑顔で振り返った。
でも、頬の筋肉が強張って、さっきまでみたいに上手く笑えない。吐き出した声が冬の空気に溶けて、情けないほど少しだけ震えてしまった。

「ああ、俺も楽しかったよ。……じゃあ、また明日」

踵を返し、駅の方へ戻ろうとする先輩の背中。
冬の夜道に響く革靴の音が、私から遠ざかろうとする。

いつもなら、仕事終わりみたいに「じゃあな」と迷いなく去っていくはずなのに。
今夜の先輩は、どこか無理やり前を向いて歩いているように感じた。

(……行かせない。絶対、行かせない)

私は、気づけば無我夢中で手を伸ばしていた。
厚手のウールコートの袖を、そっと、でも絶対に離さないという強い意志を込めて掴む。指先が白くなるほど、ぎゅっと。
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