【凛視点】クールで無口な先輩、実は天然で優しすぎる。――新人の私がその距離をゼロにするまでの600日
「失礼します。……それは私が」

隣から、低く落ち着いた声が割り込んだ。
先輩が、私の返事を待たず、担当者の手元を遮るように自分のお猪口を差し出した。

「彼女、明日朝一の対応を抱えておりますので今夜はこの辺りで。その分は、私が謹んで頂戴します」

(……え)

私は目を見開いた。
先輩は涼しい顔をして、注がれたお酒を迷いなく飲み干した。

(明日朝一の対応なんて……ない。先輩、嘘ついてる)

つまりこれは、先輩が咄嗟についた嘘だ。私がお酒を避けていること、そしてさっきから少しだけ顔色が冴えないことに気づいて、「体調不良」ではなく「仕事への責任感」というオブラートに包んで守ってくれたのだ。

「おや、それは感心ですねぇ。明日の仕事に響いてはいけませんし、今夜のところは主任に免じて」

担当者は笑い、場は何事もなかったかのように次の話題へ流れていく。

(……気づいてたんだ。先輩、ずっと見てたんだ)

隣に座る先輩は、大げさに心配するでもなく、ただ「私が困った瞬間」にだけ、鮮やかにそして自然に盾になってくれた。

(……この人、本当に……)

膝の上で握りしめた手に、ぎゅっと力が入る。

その後も、先輩は「守っている」ことを微塵も感じさせなかった。
相手の視線が私に向かうたび先輩は淀みなく新しい話題を振って、巧みに意識を自分の方へと惹きつける。追加の注文時にはさりげなく温かいお茶を頼んでくれる。

その一つ一つの気遣いが、今の私には、どんな言葉よりも温かかった。
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