クールで無口な先輩、実は天然で優しすぎる。――新人の私がその距離をゼロにするまでの600日
「君が頑張ってるのを、見てきたから。それだけだ」

それだけだ、と言い切った声が——どこか、少しだけ苦しそうに聞こえた。
気のせいかもしれない。

でも私には、先輩が意図的にこの距離を「作ろうとしている」ように見えた。
私の将来のためだとか、もう独り立ちの時期だとか。
先輩が並べたもっともらしい理由は全部、本当のことだろう。でも、それだけじゃない気がした。

(……先輩。本当に、それだけ?)

聞けなかった。

「……分かりました。やってみます」

私は、精一杯の笑顔で答えた。
先輩は短く頷いて、自分のデスクへ戻っていった。

その背中を見送りながら、静かに息を吐いた。

リーダー。独り立ち。先輩の隣じゃない場所。 嫌だ、という気持ちはまだある。でも——。

(……先輩が信じてくれてるなら)

手元の資料をぎゅっと握った。
先輩が遠ざかるなら、先輩が振り返らずにいられないくらい、結果を出せばいい。 先輩が「独り立ちの時期だ」と言ったなら——本当に独り立ちして、見せればいい。

(……絶対に、後悔させない)

それが今の私にできる、唯一の答えだった。

でも、その日の夜。 家に帰って、一人になった瞬間に。

(……寂しいな)

ふと、こぼれ落ちるようにそう思った。 先輩の隣にいる理由がなくなる。「りんりん」と呼ばれる機会が減る。あの低い声が、少し遠くなる。
ソファに座って、天井を見上げた。

(……先輩のこと、好きだな)

今さらみたいに、また思った。
行き場のないこの気持ちが、胸の奥で静かに、でも確かに——熱く疼いていた。
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