クールで無口な先輩、実は天然で優しすぎる。――新人の私がその距離をゼロにするまでの600日
やがて彼がマグカップを手に席を立って歩き出したので、私も自分のカップを掴んで後を追う。
西日の差し込む給湯室へ足を踏み入れると、思惑通りそこには先輩しかいなかった。

(これは仕事の相談なんだから)と自分に言い聞かせながら、私はその背中に声をかけた。

「お疲れ様です、先輩。あの、次のSNS施策なんですけど……少しだけ、相談してもいいですか」

先輩は、コーヒーマシンのボタンを押したまま、わずかに顎を引いてこちらを見た。
その瞳は、いつになく静かで、どこか冷徹な光を宿しているように見えた。

「SNSのリーダーは君だろ」

遮るような、静かな声だった。

「大丈夫だ。君の判断が、このプロジェクトの正解だよ」

私は、一瞬——言葉を失った。
それは最大の信頼の言葉であり、同時に、これ以上は踏み込ませないという拒絶のようにも聞こえた。

「……はい。そう、ですよね。……すみません」

やっと絞り出した返事は、情けないほど小さく震えていた。
先輩は短く頷くと、淹れたてのコーヒーを手に、一度も振り返ることなく給湯室を出ていった。
私は一人残され、機械の駆動音だけが響く空間でしばらく動けなかった。

(……怖い人じゃなかったはずなのに)

あの、初めてのプレゼンの帰りのエレベーター。「怖い人じゃなかった」と気づいた、あの日。
今は、少しだけ心が近づいたと思ったあの時よりも——ずっと、ずっと遠い。
< 60 / 77 >

この作品をシェア

pagetop