天使か悪魔かそれとも魔女か~死者集う墓標のラビリンス~
林檎の女の子
手を振られ 馬車に揺られて 二人は 前編
戦いを終え、町へと引き返したレトリは。
数日後に再び孤児院で見送りを受けることになる。
ただし今度は、二人でだ。手を振っていた。
「二回目だけど、いってきます!」
傍には御者の乗った荷馬車があり、隣のゴルは会釈だけをして、先にそれに乗り込む。
「もうすぐには帰ってくんなよー!」
「れとりー、がんばれー」
「レトリー、元気でー!」
思い思いの言葉が返される中、レトリもその馬車の前に飛び乗った。
御者席の横に腰掛け、声を張り上げる。
「準備オッケー! はい、しゅっぱーつ!」
拳を突き上げる。
はいよ、と掛け声が返され、手綱が打たれた。
進み始めた馬車の後ろからはまだ、沢山の声が飛んできていたが、その中には、ゴルに向かっての言葉も交じる。
「レトリを任せたからなーっ!」
町民達も今度は総出に近い数が見送りに来ており、一つ所に集結しているというわけでもないのだが、横をすれ違うたび、各々の思う形で、二人の乗った馬車を町から送り出していく。
「みんな大好きーっ!」
手を振り、大きな声で、そんな皆に向かって感謝の気持ちを込めた言葉が、飛ばし返されていた。
「わたし頑張るから! 立派な魂の解放者になって、またここに絶対戻ってくるから!」
レトリは鼻をすする。一人一人の顔を見ながら、この光景を目に焼き付けようとしていたのだが、前がぼやけて、それもうまくいかない。
「随分愛されてんのな。まあ、わかっちゃいたことだが」
今の状況を見れば、一目瞭然だろう。
ここではかなり目立った存在であったことは、ゴルもこの短い滞在期間の間によく知るところとなった。
かなりの数の人間から感謝の言葉と共に逸話みたいなものを山のように聞かされていたのだ。
怖いのは、ラビリンスであったことの詳細をどいつもこいつが知っていたということだ。
恐らく、そのことを知らない人間はいないのだろう。
その都会にはない人間関係の濃密さ、辟易したくなるような他人への関心ぶりには、大いに困惑させられることにもなったのだが。
「すげー光景だな。パレードかよ」
目の前の光景を見ながら今は笑う。
自分の住む所だったなら、そんなイベント行事でもなければ、こんな光景まずお目に掛かれるようなものではない。
「は──はは」
「ゴルくんにはこれ面白い? でも一人で笑ってるとちょっと怖いよ?」
「こっち気にかける余裕とかあったのかよ……。悪かったな、変な野郎で」
横で聞き耳を立てていた男の口からもその会話の直後に笑いがもれる。
「みんなでこんなふうに見送ってくれていることが、珍しいんだよ。ゴルくんは凄い都会から来たみたいだしね」
名をロンと言い、他の住民達が農奴のような実用性に富んだ格好をしている中、ネクタイ締めた都会風な出で立ちをしており、その格好はゴルとよく似ているが、彼と違って、周りから浮いている感じはない。
「都会だと、こんなふうにみんなしてくれないの?」
「ああ。みんなもっと自分のことばかり見てるというか、こんなこと絶対にしてくれないだろうね」
いまレトリに向けているその顔が、主な要因だろう。
都会人にはない肌の焼け方をしている。どれだけ他を取り繕おうと、故郷の色は滲み出るものだ。
「ゴルくん、どうだった。この町は」
「そうですね、都会にはない──暖かみのあるところでしたね。随分世話を焼いて貰えて、有難い限りですよ」
「ハハ、皮肉のように聞こえたけど」
「まさか」
「レトリちゃんのことも沢山聞かされたんじゃないかい? 色々面白エピソードはあるけど、僕が一番笑ったのは、筋骨ムッキムキの鍛冶屋のオヤジが、腕相撲をして、腕を痛めて休業することになったって。嘘だろって、友人達と一晩中笑わせてもらったよ。今思い出しても笑えてくる」
「むぅ、その話する? でもあれはグルナードさんが自信満々に相手してやるとか言ってきて、わたしは悪くないし」
「見掛け倒しだったって、みんなに言ってたんだよね?」
「昔の話じゃん」
「ハッハッハ、そうだね。もっと小っちゃい頃だったってのが、くふ」
「もう、おじさん!」
「ごめんごめん。それはそうと、頭のそれは彼からの?」
「ううん。まさか。これはミモザさんから」
今日のレトリは纏めた髪を後ろで軽く持ち上げ束ねており、手を添えにいったそこには厚めのリボンが留めてある。
「空飛んでると、口に髪がすごい入ってって話をしたら、もう使わないからってくれて。シスターにも変になってるとこ直してもらったし、どうかな?」
普段からそういったものを付ける時くらいあるが、今回のは必要に駆られてのものである。
ロンは少し首をかしげていたが、すぐにピンときた顔をして見せる。
「ああ、ラビリンスの中では翼を生やして空を飛べるんだったね。すごい似合ってるとも。こんな可愛い子とは僕も出会ったことがないな。みんなに天使とか女神だって言われなかったかい。僕の目には眩しいくらいにそう映るけど」
「言われなかった。おじさんは言い過ぎ」
まんざらでもない、といった顔でぺっと腕をはたかれたロンから、小慣れた感じのウインクが返る。
「商人っていうのは、口がうまいものだからね~☆」
町を抜けたら、地面を適度にならしただけの街道が伸びており、麗らかな春の日の道をカタコト進んでいく。
広がっているのは、ラビリンスがあったことが嘘に思えるような平和な光景であり、前で二人が、その後もそれに相応しい他愛のない話に興じていたが、後ろのゴルはというと、特に混ざることもなく、一人遠い空を見つめて思う。
(一人で、俺一人の力でやってやるって、ついこの間まで決意を固めてたはずなんだがな──)
何度も何度も寝ている診療所まで押しかけられて、最後は強引に連れ出されて今に至る。
『おい、俺は怪我人だぞ』
『大丈夫だって。それにゴルくん、治ったら黙って一人で行っちゃいそうだし』
『そりゃお前、そんなの俺の勝手だろうが。いつまで俺に引っ付いてくんだ……』
何を言っても聞きやしない。不思議と悪い気もしなかったのだが。そんな自分の変わりようにも戸惑うことにはなった。
「これも巡り合わせってやつなのかね。世の中何が起きるかわからんもんだな。春の陽気にあてられたか」
「だからゴルくんさ、一人でぶつぶつ言うのやめたら? 今度は春がどうたら」
「いいだろ、独り言くらい。そんな気分なんだよ。お前は気にせずそっちでくっちゃべってろよ」
ご機嫌斜めかも、と前でこそこそ言っていたが、普通は、そうなるというものだ。
怪我人叩き起こして引っ張り出して、悪びれる様子もないというのが、一周回って、笑えてくる。
「ハッ、なんなんだよ。あいつはマジ」
「ねぇ、ゴルくーん」
「今度はなんだよ」
「ううん。大丈夫そうだなって」
「怪我の具合がか。今更だろ。まあ骨も折れてはいないようだったし、いけるっちゃいけるんだが、お前には言いたいことがある。ちょっとこっちへ来い」
疑う様子もなく、間抜け面して寄ってきたところを手を伸ばして掴む。
額をだ。そのまま力を込めて指をくいこましていき、ゴルはレトリにアイアンクローをくれてやった。
絶叫が上がる。
「ぎゃあああああああああ‼」
「てめえも、ちったぁ思い知れ! いま俺がどれくらい痛い思いをしてるかってのをなぁ!」
「イダイイダイイダイ‼ ゴルくん、痛み引いたって、イダイ‼」
それから西へ数時間、隣町へと着く。
その近くに次のラビリンスがあることを話したのは、ゴルであり、本来はそこに行くつもりであったことや、流れでどこから来たかということも、物のついでに話し、二人の間に共有されることにはなった。
『へぇ、ウィルバートっていう所から来たんだ。てっきりゴルくんニャムテーの方から来たんだと思ってた』
『ウィルゲートな。だったら先にそっち行くだろ。近いんだから』
立地の問題か、今来た町へは鉄道が通っておらず、予定では、もう一つ向こうの駅のあるそのニャムテーという町から、こちらへ下ってくる形で、間にあるそこを目指そうとしていたのだが、予定地に着く手前のあの町の駅で、停車中に思わぬ情報を耳にすることになり、
『そういえば、最近この町にもラビリンスができたんですって』
『それ本当? 怖いわね……』
ルート変更を即断して大慌てで降りて向かったら、こうなったというわけだ。
馬車が通りに入った所で止まり、後ろの板が下りる。
貰ったお古の手提げカバンを持って、ゴルは先に出た。
元から持っていた着替えなんかの入ったカバンは、今どこの駅にいるかはわからない。
貴重品まで詰めていなかったのは、せめてもの救いか。
レトリも今度は同様のものをきちんと準備してきており、持って続いて降りていた。
「おじさん、ありがとう。歩いていってたら、ゴルくん大変だったろうし」
「ここまで運んでおいて言うのもなんだけど、本当に大丈夫なのかい?」
ロンの目は、ゴルに向かう。
「大丈夫ですよ。助かりました。町の人にもかなり良くして貰いましたし、ありがとうございました」
「いや、しかし話しててやっぱりゴルくんは違うね。大人と話してるみたいに思うっていうか、僕がそんな丁寧な言葉遣いができるようになったのは、もっと大きくなってからだったし。ゴルくんみたいな子が一緒にいてくれると安心できるよ。レトリちゃんも女の子一人でっていうのは、不安に思ってたことだろうしね」
ねぇ?と目を向けられたレトリだが、「逆だって」と即言い返す。
「ゴルくんの方が目が離せないんだって。無茶するから。ほんっとに見てると心臓なくなるくらい冷やってくるっていうのかな。おじさんは知らないんだよ」
首をかしげつつ、そうなのかと目で問われたゴルは、肩を竦めて返すのみだ。
「ほら、何も言い返してこないじゃん」
「はは、まあだとしても男の子だからね。やんちゃはするものさ」
「やんちゃって、そんなんじゃ済まない」
そのふくれっ面を見ながら、可笑しそうに笑っていたロンだったが、ああ、そうだと、思い出したように懐に手を入れる。
抜いた手の指に挟んでいたのは、一枚の紙幣であり、まだ何か言いたそうなレトリの手にそれを握らせる。
「丁度昼時だしね。これで二人で何か美味しいものでも食べてくるといい」
「え、いいの!?」
「ああ。町を救ってくれたお礼だよ。少なくて悪いけど、おじさんもいま懐具合が寂しくて」
「ううん。そんなことない。ありがとう。おじさんは?」
「おじゃま虫だろうからさ」
「おじゃまむし?」
「いやぁ、レトリちゃんにはまだ早かったかー」
去り際、ロンはゴルに再び目を送って、馬車に戻る。
「どいつもこいつも、俺は犬の世話係じゃないんだぞ」
手綱が打たれると同時、仏頂面となったゴルの口からそう小さくもれる。
その後ろから、ひょこっと顔を見せたレトリが、手を開いて今貰った物を見せる。
「これ、わたし達で使っていいんだって。心みなぎるよね?」
「心躍るの間違いじゃないか。メシ代浮いたってだけだろ。大した額でもない」
「ゴルくんにとってはそうかもしれないけど。わたしは、自分で使っていいお金って、あんまり持ったことないから。貰ってもみんなに悪いなって、シスターに渡してたし。二回目? あー、三回目?」
「数えられるほどってことな。俺も昔は金を持つなんて夢のまた夢って感じだったな。懐かしい」
それを聞いた瞬間、そんな馬鹿なと思ってレトリはからかうように手前の所を軽くはたく。
「またまたあ。ゴルくんどう見たって、おボンじゃん」
「おボンてなんだよ。何語だよ。こんな身なりしてんのは、今はもう修繕痕だらけで大分ボロにはなってるが、姉さんのおかげだよ。俺はただそんな凄い姉を持っただけの、取るに足らない金魚のフンてとこか」
「なんで自分のことそんなふうに言うかな」
「意味、理解できたのか……」
「なんで?」
「なんでってお前」
「わたしはゴルくんも凄いと思うけど。凄く頼りになるし、わたしの命も救ってくれた」
「あー、そんなのただの偶然だ。それより行くぞ」
「オッケー!」
歩き始めたゴルの前にレトリは行く。手を取った。
無論、カバンを持った方をだが、ゴルの顔には焦りが浮く。
「おい、バカ!」
「案内したげるから♪」
「そうじゃない。今はバランス取んのがっ──」
あ、と同時にもれて、うわ!、おわ!、と揃って声を上げ、仲良く転倒する。
「いったぁ……」
「だから、やめろって」
そんなこと言っただろうか、と思うレトリだが、何か言う前に怒りの形相で襟首掴み上げられて、罵声と共に激しく身を揺すられて、口から魂を出す。
「おい、聞いてんのか! ああ? 頭を強く打ち過ぎたか……?」
町の入り口に『ウズミミ』と大きく書かれたこの町は、レトリの故郷、『リモ』という名のあの町よりも二回り以上は大きく、活気も段違い。
「いったた、これだけ周りに人がいると転んだだけで恥ずかしいというか」
「そう思うんならさっさと立って歩け。ゆーて、大した数でもないだろ」
その後、少し通りを歩いた所で、目に留まった大きなパラソルの立つカフェに二人は入ることにし、
「ここにしようぜ! 絶対良い店だから。外観がいいもん」
「見た目かよ……、お前この町知ってんじゃないのか……」
この陽気だ、外で食べることを選ぶ人間が多いようで、二人もそちらを選んで座る。
揃って紙のメニューに目を落としていた。
「魚料理が全部ペケされてんな。ラビリンスの影響か」
「なんでわかるの?」
「湖に上にあるなんて話を聞いてたからな」
「そっか。瘴気でとれなくなってるんだ。ゴルくんの住んでるとこと、ここと、どっちが人多い? 上のニャムテーくらい大きいな所とか言ってたよね」
「だったら言わなくてもわかるだろ。ウィルゲートの方が百倍は多い」
「さっすが大都会! すごいね、ウィルバート」
ゴルは咽せていた。
「だから、ウィルゲートな。お前このやり取り何度目だよ」
レトリは照れ笑いをして見せる。
「ごめんね。なんかそんなふうに覚えちゃってて。多分そっちの方がわたしにはしっくりくるんだろうね。呼びやすいというか、いっそもうウィルバートでよくない?」
「よくはない。が、あながち間違えた感性もしてないってのがたち悪いな。その町の名前の元になった伯爵家の現当主の名だからな、それ」
「おお。つまりわたしは伯爵様の名前がいいなって思ってたんだ。その人どんな人? やっぱり煌びやか?」
「そうだな──、忘れたな」
「あ、それよく知ってる人が言うやつだ!」
「妙な勘ぐりすんな。気のせいだ」
ちょっと待ってと、レトリは手を向ける。
今までの情報の点が頭の中で結びついていくような感覚があり、その結論に至る。
「わかったよ。ズバリ、ゴルくんその伯爵様の子供なんでしょ!」
指を突き付け言ったそれをゴルは一笑に付す。
鼻で笑っていた。
「違うに決まってんだろ。誰がウィルの子供だ」
「ほらあ! 普通そんなふうに伯爵様を呼ばないからね! 白状しろ」
「めんどくせぇ。それよりお前もう決めたか?」
「話を逸らすなよ。教えてよ。貴族の暮らしとか興味あるのに」
「だから、俺は貴族じゃない。大体いまの貴族なんざ、ただの金持ちって感じだろ」
「ほら詳しい。いいないいな」
単純に羨ましく思って言うと、レトリはテーブルに手を乗せて、勢い付けて身を乗り出す。顔を近づけた。
「ゴルくんにはわかんないかもしれないけど、女子は一度は王侯貴族達のお茶会とか」
「難しい言葉知ってんな」
「お城で開かれる華やかな舞踏会に憧れるものなんだって!」
そうして力説かましたあとは、身を戻して手を組み、目を閉じ浸った。
頭の中に広がるキラキラな妄想の世界に。
『おいで』
手を差しだされ、踊っていた。その世界の主役と。
しかし夢の時間は儚いほどに早く過ぎ去り、零時の鐘が鳴る。
「いけないわ。もう帰らないと」
「一人で錯乱したこと言ってないで、早く戻ってこい。あんまりこの話を引っ張るようなら、お前の分も俺が決めちまうぞ」
「それはなし! 待った! 大体ゴルくんどれにするの。そんなこと言ってまだ決めてないんじゃないの」
溜息こぼしながら、すぐさま選んだメニューを指でトントンされ、レトリは焦る。
「うそ、早っ!? ちょっと待って──」
外食をしたこと自体が今までなかった。というわけでもないのだが、こんなふうに好きに店に入って、自分でメニューを選ぶなど初めてのこと。
迷いに迷ったあげく、結局ゴルと同じものにして、呼び鈴鳴らして注文を終える。
「えーと、このフォレストレッグのパイを二つと」
「飲み物が先だろ。お前ジュースか?」
「え、うーん。コーヒーいってみたいけど、苦いんだよね?」
「ならカフェラテにしとけ。それも二つ。食後ではなく一緒に持ってきて貰えますか」
それで腹を満たしたあとは、次は教会。
食事は言われたから行ったに過ぎず、こちらの用の方が大事だ。
中に入るなり、そこにいた顔見知りの司祭の元へとレトリは直行。
挨拶もほどほどに自らが魂の解放者になったことを伝え、手早く本題を切り出す。
「それで、今日は核を持って来ました!」
司祭はかなり驚いた顔を見せていたが、すぐに奥の部屋へと二人を案内しだす。
今からすることは、言ったら俗なことだ。祈りの場で行うようなことでは本来ない。
「死して罪を背負うことになった、哀れな魂達をここへ」
「ゴルくん」
「わかってるよ」
が、扱うモノがモノだけに、対外的にはそうではないと言って、これを行っていた。
核の売買、すなわち人の魂の取引をだ。
「これは神からの感謝の気持ちです。今後も哀れな魂達を救う為、これをお役立てなさい」
「はい!」
「へーい」
ほどなく、教会を後にした二人だが、そこで少しの間、足を止めることになる。
ゴルが難しい顔をして、急に唸り始めた為だ。
数日後に再び孤児院で見送りを受けることになる。
ただし今度は、二人でだ。手を振っていた。
「二回目だけど、いってきます!」
傍には御者の乗った荷馬車があり、隣のゴルは会釈だけをして、先にそれに乗り込む。
「もうすぐには帰ってくんなよー!」
「れとりー、がんばれー」
「レトリー、元気でー!」
思い思いの言葉が返される中、レトリもその馬車の前に飛び乗った。
御者席の横に腰掛け、声を張り上げる。
「準備オッケー! はい、しゅっぱーつ!」
拳を突き上げる。
はいよ、と掛け声が返され、手綱が打たれた。
進み始めた馬車の後ろからはまだ、沢山の声が飛んできていたが、その中には、ゴルに向かっての言葉も交じる。
「レトリを任せたからなーっ!」
町民達も今度は総出に近い数が見送りに来ており、一つ所に集結しているというわけでもないのだが、横をすれ違うたび、各々の思う形で、二人の乗った馬車を町から送り出していく。
「みんな大好きーっ!」
手を振り、大きな声で、そんな皆に向かって感謝の気持ちを込めた言葉が、飛ばし返されていた。
「わたし頑張るから! 立派な魂の解放者になって、またここに絶対戻ってくるから!」
レトリは鼻をすする。一人一人の顔を見ながら、この光景を目に焼き付けようとしていたのだが、前がぼやけて、それもうまくいかない。
「随分愛されてんのな。まあ、わかっちゃいたことだが」
今の状況を見れば、一目瞭然だろう。
ここではかなり目立った存在であったことは、ゴルもこの短い滞在期間の間によく知るところとなった。
かなりの数の人間から感謝の言葉と共に逸話みたいなものを山のように聞かされていたのだ。
怖いのは、ラビリンスであったことの詳細をどいつもこいつが知っていたということだ。
恐らく、そのことを知らない人間はいないのだろう。
その都会にはない人間関係の濃密さ、辟易したくなるような他人への関心ぶりには、大いに困惑させられることにもなったのだが。
「すげー光景だな。パレードかよ」
目の前の光景を見ながら今は笑う。
自分の住む所だったなら、そんなイベント行事でもなければ、こんな光景まずお目に掛かれるようなものではない。
「は──はは」
「ゴルくんにはこれ面白い? でも一人で笑ってるとちょっと怖いよ?」
「こっち気にかける余裕とかあったのかよ……。悪かったな、変な野郎で」
横で聞き耳を立てていた男の口からもその会話の直後に笑いがもれる。
「みんなでこんなふうに見送ってくれていることが、珍しいんだよ。ゴルくんは凄い都会から来たみたいだしね」
名をロンと言い、他の住民達が農奴のような実用性に富んだ格好をしている中、ネクタイ締めた都会風な出で立ちをしており、その格好はゴルとよく似ているが、彼と違って、周りから浮いている感じはない。
「都会だと、こんなふうにみんなしてくれないの?」
「ああ。みんなもっと自分のことばかり見てるというか、こんなこと絶対にしてくれないだろうね」
いまレトリに向けているその顔が、主な要因だろう。
都会人にはない肌の焼け方をしている。どれだけ他を取り繕おうと、故郷の色は滲み出るものだ。
「ゴルくん、どうだった。この町は」
「そうですね、都会にはない──暖かみのあるところでしたね。随分世話を焼いて貰えて、有難い限りですよ」
「ハハ、皮肉のように聞こえたけど」
「まさか」
「レトリちゃんのことも沢山聞かされたんじゃないかい? 色々面白エピソードはあるけど、僕が一番笑ったのは、筋骨ムッキムキの鍛冶屋のオヤジが、腕相撲をして、腕を痛めて休業することになったって。嘘だろって、友人達と一晩中笑わせてもらったよ。今思い出しても笑えてくる」
「むぅ、その話する? でもあれはグルナードさんが自信満々に相手してやるとか言ってきて、わたしは悪くないし」
「見掛け倒しだったって、みんなに言ってたんだよね?」
「昔の話じゃん」
「ハッハッハ、そうだね。もっと小っちゃい頃だったってのが、くふ」
「もう、おじさん!」
「ごめんごめん。それはそうと、頭のそれは彼からの?」
「ううん。まさか。これはミモザさんから」
今日のレトリは纏めた髪を後ろで軽く持ち上げ束ねており、手を添えにいったそこには厚めのリボンが留めてある。
「空飛んでると、口に髪がすごい入ってって話をしたら、もう使わないからってくれて。シスターにも変になってるとこ直してもらったし、どうかな?」
普段からそういったものを付ける時くらいあるが、今回のは必要に駆られてのものである。
ロンは少し首をかしげていたが、すぐにピンときた顔をして見せる。
「ああ、ラビリンスの中では翼を生やして空を飛べるんだったね。すごい似合ってるとも。こんな可愛い子とは僕も出会ったことがないな。みんなに天使とか女神だって言われなかったかい。僕の目には眩しいくらいにそう映るけど」
「言われなかった。おじさんは言い過ぎ」
まんざらでもない、といった顔でぺっと腕をはたかれたロンから、小慣れた感じのウインクが返る。
「商人っていうのは、口がうまいものだからね~☆」
町を抜けたら、地面を適度にならしただけの街道が伸びており、麗らかな春の日の道をカタコト進んでいく。
広がっているのは、ラビリンスがあったことが嘘に思えるような平和な光景であり、前で二人が、その後もそれに相応しい他愛のない話に興じていたが、後ろのゴルはというと、特に混ざることもなく、一人遠い空を見つめて思う。
(一人で、俺一人の力でやってやるって、ついこの間まで決意を固めてたはずなんだがな──)
何度も何度も寝ている診療所まで押しかけられて、最後は強引に連れ出されて今に至る。
『おい、俺は怪我人だぞ』
『大丈夫だって。それにゴルくん、治ったら黙って一人で行っちゃいそうだし』
『そりゃお前、そんなの俺の勝手だろうが。いつまで俺に引っ付いてくんだ……』
何を言っても聞きやしない。不思議と悪い気もしなかったのだが。そんな自分の変わりようにも戸惑うことにはなった。
「これも巡り合わせってやつなのかね。世の中何が起きるかわからんもんだな。春の陽気にあてられたか」
「だからゴルくんさ、一人でぶつぶつ言うのやめたら? 今度は春がどうたら」
「いいだろ、独り言くらい。そんな気分なんだよ。お前は気にせずそっちでくっちゃべってろよ」
ご機嫌斜めかも、と前でこそこそ言っていたが、普通は、そうなるというものだ。
怪我人叩き起こして引っ張り出して、悪びれる様子もないというのが、一周回って、笑えてくる。
「ハッ、なんなんだよ。あいつはマジ」
「ねぇ、ゴルくーん」
「今度はなんだよ」
「ううん。大丈夫そうだなって」
「怪我の具合がか。今更だろ。まあ骨も折れてはいないようだったし、いけるっちゃいけるんだが、お前には言いたいことがある。ちょっとこっちへ来い」
疑う様子もなく、間抜け面して寄ってきたところを手を伸ばして掴む。
額をだ。そのまま力を込めて指をくいこましていき、ゴルはレトリにアイアンクローをくれてやった。
絶叫が上がる。
「ぎゃあああああああああ‼」
「てめえも、ちったぁ思い知れ! いま俺がどれくらい痛い思いをしてるかってのをなぁ!」
「イダイイダイイダイ‼ ゴルくん、痛み引いたって、イダイ‼」
それから西へ数時間、隣町へと着く。
その近くに次のラビリンスがあることを話したのは、ゴルであり、本来はそこに行くつもりであったことや、流れでどこから来たかということも、物のついでに話し、二人の間に共有されることにはなった。
『へぇ、ウィルバートっていう所から来たんだ。てっきりゴルくんニャムテーの方から来たんだと思ってた』
『ウィルゲートな。だったら先にそっち行くだろ。近いんだから』
立地の問題か、今来た町へは鉄道が通っておらず、予定では、もう一つ向こうの駅のあるそのニャムテーという町から、こちらへ下ってくる形で、間にあるそこを目指そうとしていたのだが、予定地に着く手前のあの町の駅で、停車中に思わぬ情報を耳にすることになり、
『そういえば、最近この町にもラビリンスができたんですって』
『それ本当? 怖いわね……』
ルート変更を即断して大慌てで降りて向かったら、こうなったというわけだ。
馬車が通りに入った所で止まり、後ろの板が下りる。
貰ったお古の手提げカバンを持って、ゴルは先に出た。
元から持っていた着替えなんかの入ったカバンは、今どこの駅にいるかはわからない。
貴重品まで詰めていなかったのは、せめてもの救いか。
レトリも今度は同様のものをきちんと準備してきており、持って続いて降りていた。
「おじさん、ありがとう。歩いていってたら、ゴルくん大変だったろうし」
「ここまで運んでおいて言うのもなんだけど、本当に大丈夫なのかい?」
ロンの目は、ゴルに向かう。
「大丈夫ですよ。助かりました。町の人にもかなり良くして貰いましたし、ありがとうございました」
「いや、しかし話しててやっぱりゴルくんは違うね。大人と話してるみたいに思うっていうか、僕がそんな丁寧な言葉遣いができるようになったのは、もっと大きくなってからだったし。ゴルくんみたいな子が一緒にいてくれると安心できるよ。レトリちゃんも女の子一人でっていうのは、不安に思ってたことだろうしね」
ねぇ?と目を向けられたレトリだが、「逆だって」と即言い返す。
「ゴルくんの方が目が離せないんだって。無茶するから。ほんっとに見てると心臓なくなるくらい冷やってくるっていうのかな。おじさんは知らないんだよ」
首をかしげつつ、そうなのかと目で問われたゴルは、肩を竦めて返すのみだ。
「ほら、何も言い返してこないじゃん」
「はは、まあだとしても男の子だからね。やんちゃはするものさ」
「やんちゃって、そんなんじゃ済まない」
そのふくれっ面を見ながら、可笑しそうに笑っていたロンだったが、ああ、そうだと、思い出したように懐に手を入れる。
抜いた手の指に挟んでいたのは、一枚の紙幣であり、まだ何か言いたそうなレトリの手にそれを握らせる。
「丁度昼時だしね。これで二人で何か美味しいものでも食べてくるといい」
「え、いいの!?」
「ああ。町を救ってくれたお礼だよ。少なくて悪いけど、おじさんもいま懐具合が寂しくて」
「ううん。そんなことない。ありがとう。おじさんは?」
「おじゃま虫だろうからさ」
「おじゃまむし?」
「いやぁ、レトリちゃんにはまだ早かったかー」
去り際、ロンはゴルに再び目を送って、馬車に戻る。
「どいつもこいつも、俺は犬の世話係じゃないんだぞ」
手綱が打たれると同時、仏頂面となったゴルの口からそう小さくもれる。
その後ろから、ひょこっと顔を見せたレトリが、手を開いて今貰った物を見せる。
「これ、わたし達で使っていいんだって。心みなぎるよね?」
「心躍るの間違いじゃないか。メシ代浮いたってだけだろ。大した額でもない」
「ゴルくんにとってはそうかもしれないけど。わたしは、自分で使っていいお金って、あんまり持ったことないから。貰ってもみんなに悪いなって、シスターに渡してたし。二回目? あー、三回目?」
「数えられるほどってことな。俺も昔は金を持つなんて夢のまた夢って感じだったな。懐かしい」
それを聞いた瞬間、そんな馬鹿なと思ってレトリはからかうように手前の所を軽くはたく。
「またまたあ。ゴルくんどう見たって、おボンじゃん」
「おボンてなんだよ。何語だよ。こんな身なりしてんのは、今はもう修繕痕だらけで大分ボロにはなってるが、姉さんのおかげだよ。俺はただそんな凄い姉を持っただけの、取るに足らない金魚のフンてとこか」
「なんで自分のことそんなふうに言うかな」
「意味、理解できたのか……」
「なんで?」
「なんでってお前」
「わたしはゴルくんも凄いと思うけど。凄く頼りになるし、わたしの命も救ってくれた」
「あー、そんなのただの偶然だ。それより行くぞ」
「オッケー!」
歩き始めたゴルの前にレトリは行く。手を取った。
無論、カバンを持った方をだが、ゴルの顔には焦りが浮く。
「おい、バカ!」
「案内したげるから♪」
「そうじゃない。今はバランス取んのがっ──」
あ、と同時にもれて、うわ!、おわ!、と揃って声を上げ、仲良く転倒する。
「いったぁ……」
「だから、やめろって」
そんなこと言っただろうか、と思うレトリだが、何か言う前に怒りの形相で襟首掴み上げられて、罵声と共に激しく身を揺すられて、口から魂を出す。
「おい、聞いてんのか! ああ? 頭を強く打ち過ぎたか……?」
町の入り口に『ウズミミ』と大きく書かれたこの町は、レトリの故郷、『リモ』という名のあの町よりも二回り以上は大きく、活気も段違い。
「いったた、これだけ周りに人がいると転んだだけで恥ずかしいというか」
「そう思うんならさっさと立って歩け。ゆーて、大した数でもないだろ」
その後、少し通りを歩いた所で、目に留まった大きなパラソルの立つカフェに二人は入ることにし、
「ここにしようぜ! 絶対良い店だから。外観がいいもん」
「見た目かよ……、お前この町知ってんじゃないのか……」
この陽気だ、外で食べることを選ぶ人間が多いようで、二人もそちらを選んで座る。
揃って紙のメニューに目を落としていた。
「魚料理が全部ペケされてんな。ラビリンスの影響か」
「なんでわかるの?」
「湖に上にあるなんて話を聞いてたからな」
「そっか。瘴気でとれなくなってるんだ。ゴルくんの住んでるとこと、ここと、どっちが人多い? 上のニャムテーくらい大きいな所とか言ってたよね」
「だったら言わなくてもわかるだろ。ウィルゲートの方が百倍は多い」
「さっすが大都会! すごいね、ウィルバート」
ゴルは咽せていた。
「だから、ウィルゲートな。お前このやり取り何度目だよ」
レトリは照れ笑いをして見せる。
「ごめんね。なんかそんなふうに覚えちゃってて。多分そっちの方がわたしにはしっくりくるんだろうね。呼びやすいというか、いっそもうウィルバートでよくない?」
「よくはない。が、あながち間違えた感性もしてないってのがたち悪いな。その町の名前の元になった伯爵家の現当主の名だからな、それ」
「おお。つまりわたしは伯爵様の名前がいいなって思ってたんだ。その人どんな人? やっぱり煌びやか?」
「そうだな──、忘れたな」
「あ、それよく知ってる人が言うやつだ!」
「妙な勘ぐりすんな。気のせいだ」
ちょっと待ってと、レトリは手を向ける。
今までの情報の点が頭の中で結びついていくような感覚があり、その結論に至る。
「わかったよ。ズバリ、ゴルくんその伯爵様の子供なんでしょ!」
指を突き付け言ったそれをゴルは一笑に付す。
鼻で笑っていた。
「違うに決まってんだろ。誰がウィルの子供だ」
「ほらあ! 普通そんなふうに伯爵様を呼ばないからね! 白状しろ」
「めんどくせぇ。それよりお前もう決めたか?」
「話を逸らすなよ。教えてよ。貴族の暮らしとか興味あるのに」
「だから、俺は貴族じゃない。大体いまの貴族なんざ、ただの金持ちって感じだろ」
「ほら詳しい。いいないいな」
単純に羨ましく思って言うと、レトリはテーブルに手を乗せて、勢い付けて身を乗り出す。顔を近づけた。
「ゴルくんにはわかんないかもしれないけど、女子は一度は王侯貴族達のお茶会とか」
「難しい言葉知ってんな」
「お城で開かれる華やかな舞踏会に憧れるものなんだって!」
そうして力説かましたあとは、身を戻して手を組み、目を閉じ浸った。
頭の中に広がるキラキラな妄想の世界に。
『おいで』
手を差しだされ、踊っていた。その世界の主役と。
しかし夢の時間は儚いほどに早く過ぎ去り、零時の鐘が鳴る。
「いけないわ。もう帰らないと」
「一人で錯乱したこと言ってないで、早く戻ってこい。あんまりこの話を引っ張るようなら、お前の分も俺が決めちまうぞ」
「それはなし! 待った! 大体ゴルくんどれにするの。そんなこと言ってまだ決めてないんじゃないの」
溜息こぼしながら、すぐさま選んだメニューを指でトントンされ、レトリは焦る。
「うそ、早っ!? ちょっと待って──」
外食をしたこと自体が今までなかった。というわけでもないのだが、こんなふうに好きに店に入って、自分でメニューを選ぶなど初めてのこと。
迷いに迷ったあげく、結局ゴルと同じものにして、呼び鈴鳴らして注文を終える。
「えーと、このフォレストレッグのパイを二つと」
「飲み物が先だろ。お前ジュースか?」
「え、うーん。コーヒーいってみたいけど、苦いんだよね?」
「ならカフェラテにしとけ。それも二つ。食後ではなく一緒に持ってきて貰えますか」
それで腹を満たしたあとは、次は教会。
食事は言われたから行ったに過ぎず、こちらの用の方が大事だ。
中に入るなり、そこにいた顔見知りの司祭の元へとレトリは直行。
挨拶もほどほどに自らが魂の解放者になったことを伝え、手早く本題を切り出す。
「それで、今日は核を持って来ました!」
司祭はかなり驚いた顔を見せていたが、すぐに奥の部屋へと二人を案内しだす。
今からすることは、言ったら俗なことだ。祈りの場で行うようなことでは本来ない。
「死して罪を背負うことになった、哀れな魂達をここへ」
「ゴルくん」
「わかってるよ」
が、扱うモノがモノだけに、対外的にはそうではないと言って、これを行っていた。
核の売買、すなわち人の魂の取引をだ。
「これは神からの感謝の気持ちです。今後も哀れな魂達を救う為、これをお役立てなさい」
「はい!」
「へーい」
ほどなく、教会を後にした二人だが、そこで少しの間、足を止めることになる。
ゴルが難しい顔をして、急に唸り始めた為だ。