暴れる恋情 ~萌ちゃんママは御曹司に激愛されまくりです~
 女心ときたか。母は少し少女のようなところがあるから困ってしまう。しかし父の方はもっと現実的だ。鈴音の家は名だたる資産家で両親こそいないが、経済的にはまったく困っていない。そういった家柄的なことを含めて、父は鈴音を気に入っている。
「まあ、そう急かさないでくれよ。じゃあ遅れるから行くよ」
 せわしないわね、とぶつぶつ言う母を後に俺は実家を出た。

 会食が終わったのが二十時半だった。
「よかった。今日は寄れるな」 
 俺はいそいそと吉永書店へと急いだ。十日に一度くらいの割合で、会食を早くきりあげられ、閉店前の吉永書店に行けることがある。欲しい本はもう手に入れてあるが、俺は書店にいる時間がとても好きなのだ。書棚に整然と並ぶ本たちを見ているだけで気が休まる。
 忙しい身なので、書店がパワースポットなのかもしれない。
 吉永書店は二十時を越すといつもより少し客が少なくより居心地がいい。俺はやはり児童書の出版社の経営者なので、つい児童書コーナーから見に行ってしまう。
 行くとおや、と思うことがあった。
 児童書の絵本などが散乱していない。子どもたちはいつだって本屋と図書館を区別しない。読みたかったらその場で読んで、読み終わったらその辺に置く。幼い子どもたちのほとんどがそうなので、書店の児童書売り場というのはなかなかの率で荒れているものだ。
 俺が見に行く時、大抵散らかっているのだが、その日は違った。
 書店員らしい制服の女性が、丁寧に絵本を並べている。
「...さん、ごめんね。今、やろうと思ってたんだけど」
 眼鏡にショートカットの、やはり制服の女性がやってきて言った。
 本を並べていた女性が答える。
「いいのよ。手が空いてる人がやればいいんだから」
 彼女はにっこり微笑んだ。素敵な笑顔だった。
「わるいわねー。だってさ、片づけても片づけてもキリがないんだもん。閉店してから整理すればいいや、ってつい思っちゃう」
 いや、そこはキリがなくてもやってほしい。本を作る側としては。
「綺麗に並んでいると気持ちがいいから。ついやりたくなるの」
 並べていた女性が言う。俺はぐっときた。そうだ、そういうものなんだ。彼女はショートカットの女性に本オタクは違うね、と笑われていた。いいじゃないか本オタク。これだけ本に囲まれているんだ。オタクである方が仕事していても楽しいだろう。
 俺は、改めて本オタクと称された女性の顔を見た。化粧が薄いが切れ長の美しい瞳をしていて、唇の形もいい。オタクというより凛とした知性を感じた。好みのタイプだ。
 すぐになんの担当だろう、と考える。児童書の担当はそのショートカットの女性だろうから、児童書ではない。文芸書、実用書、雑誌、旅行ガイドブック......いろいろあるけれど、文庫担当だったらいいのに、と思わずにはいられなかった。
 実は、数ある書店の中で吉永書店にこだわるのは理由がある。
 文庫のPOPの文章が素晴らしいのだ。俺はその文庫担当者のおススメで何度も文庫を買ってしまった。そうそう、こういうのが読みたかったんだ、と思わせる熱のこもった文章だ。本当に本が好きなんだな、とわかるその感じに、誰が書いているか知りたいと思うようになった。
 絵本を整理し終わると彼女はなにをするのか、こっそり棚の陰に隠れて見ていた。もしも彼女が文庫の棚を触りだしたら。思い切って「あのPOPを書かれた方ですか」とたずねてもいい。
 ところが、彼女はそのままレジカウンターに入ってしまった。
「レジ係......」
 少なからず落胆してしまった。彼女が文庫の担当者かも、なんて都合のいい夢を見てしまった。
 それでも彼女の印象のよさは変わらなかった。吉永書店に来るたびに本を探しにきているのに彼女を探している自分がいた。
 彼女はきびきびとレジ業務をしていた。彼女たちの仕事も終わりが近く、一日立ち働いた疲れが滲んでいてもおかしくはないのに。彼女はすっきりした顔で業務を遂行していた。
 彼女を見ると、仕事で疲れた、とぐったりしていた自分に喝が入るような気がした。
 いつだって新人の頃のような気持ちで仕事に向き合うべきなのだ。
 そう、彼女のように。
 だんだん見ているだけでなく、彼女と話したいと思うようになった。
 だがきっかけがない。
 急に彼女を褒めてもナンパと思われるだけだろう。それは悔しい。ぱっと見てかわいかったからナンパしたんじゃない。ずっと彼女を見ていて元気をもらったから。喝を入れてもらったから。だから話しかけた、ということも伝えたいが、このご時世、ストーカーとも取られかねない。
 なんて難しい......。
 そんなことを思いながら楽しみにしていた『真夜中シリーズ』の文庫を買ったら、なんと彼女から声をかけてきた。それは三巻だから二巻から買った方がいい、と言う。口ぶりからすると俺が先週一巻を買ったのを覚えているようだ。そんなことがあるのか。
 少しばかり動揺したが、なんとか感謝を伝えて二巻を買った。このタイミングを逃すな。なにか話しかけろ。俺は自分に鞭打ったが、俺のうしろにはもう次の客が並んでいて結構待たせているのに気づいた。
 結局、彼女の名前すらわからなかった。落胆しながら吉永書店の近くのコーヒーショップでコーヒーを飲んでいた。買ったばかりの『真夜中シリーズ』の二巻が読みたかったのだ。しばらく読んで、このままだと深夜になってしまう、と立ち上がった。
 カップなどを返却コーナーに持って行こうとトレイを持ち歩いた時、なにかが足に当たってよろめいた。しまった飲みかけのコーヒーがトレイの上の文庫を汚してしまった。先に文庫を鞄に入れるべきだった。
 あーあ、と顔をあげると。ぶつかったのは目の前の女性のバッグということがわかり...目を見開いた。
 吉永書店の彼女だ!
 偶然の出会いに目を見張っていると、彼女は自分が文庫を汚してしまった弁償しますと言う。俺はチャンスがきた!と思い、すかさず食事の約束をとりつけた。
 彼女の名前は深雪といった。彼女にぴったりの素敵な名前だ。
 いつも通り慌ただしく日が過ぎて深雪との食事の日がやってきた。待ち合わせ場所に現れた深雪はとても綺麗だった。制服姿を見慣れているのでいつもより何倍も輝いて見える。
 見とれているのをバレないようにするのに必死になった。食事は楽しく進んだ。思っていたとおり聡明な女性だった。打てば響く感じがいい。本の好みが似ているだろうとPOPを読んで思っていたが、感動したシーンも似ていておおいに話が盛り上がった。
 うちの別邸に咲いていた桜を見せて、なんとか次に約束も取り付けた。それから三回ほど深雪とふたりきりで会ったが彼女の魅力は損なわれることがなかった。それどころか会うたびに魅力が増す。
 もっと話したい。もっと会いたいと切実に思うようになり、深雪にひとつ提案した。
「いつも吉永書店の閉店間際に行ってたんだが、昼間の隙間時間にも来ていいか?君は忙しいだろうけど、君に会えると思うと励みになるんだ」
 正直に言った。深雪と会った後とそうでない時の俺は自分でもおかしいくらい違った。深雪に会うと会社での諍いなんてどうとでもなる、と自信が湧いてくるのだ。
「藤堂さんのお仕事に支障がなければ......こちらとしては大丈夫ですが」
「そうか?君の職場は女性が多いだろう。俺が行くことで変な噂が立ったり妬まれたりしないかな」
 俺のせいで深雪が困るのは望んでいない。深雪が困るなら今まで通り閉店間際に行けばいい。
「いえ、気さくな方が多い店なのでそんな事はないと思います。それに」
 深雪は言葉を止め、頬を赤らめた。
「わ...私も、藤堂さんにお会いできるとうれしいですし」
 息が止るかと思った。心臓に矢が刺さったかのようだった。
 彼女もまた俺と会いたがってくれている?嫌われてはいないだろうとは思っていたけれど、ひょっとしたら好意を持ってもらえているかもしれない。
 俺は胸の高鳴りを感じながらささやいた。
「俺もいつでも君に会いたいんだ。わかってもらえてうれしいよ」
 俺の中で子どものようにはしゃぐ俺がいたが、なんとか押しとどめる。
 その翌日からというもの、俺はちょっとした時間ができると吉永書店に行くようになった。
 想像していた通り、深雪は忙しそうに立ち働いていた。夕方から閉店までがレジらしく昼間の時間帯は文庫の発注や返品作業をしているようだ。
 文庫の棚の前に立って真剣な面持ちで本と向き合っている。
 なんだかそれを見ているだけでうれしい気持ちになって黙っていつまでもその姿を見ていた。
 一度、深雪の方が俺に気づいたことがあった。
「藤堂さん。来ていたなら声をかけてくださればよかったのに」
「いや...深雪さんがあんまり真剣なんで見とれてたんだ」
 深雪はぼっと頬を赤くした。
「も、もう藤堂さんたら......」
 恥ずかしがる女子がこんなにかわいいというのも深雪に教えてもらったことのひとつだ。
 俺はひとことふたこと深雪と言葉を交わして店を出た。あまり長居をすると深雪の仕事の邪魔になる。
 三日に一度くらいの割合で吉永書店を訪れるようになった。時には
「スタッフの皆さんでどうぞ」
 と、お菓子の差し入れをしたりした。
 段々深雪以外のスタッフも俺が来ると軽く会釈してくれたりしてどうやら常連認定されたらしい。
 シマリス出版の社長であることは隠しておくつもりだった。
< 6 / 22 >

この作品をシェア

pagetop