ほたる先生は振り向かない
ちゃんとそれを聞き逃さない沢村先生が、面白そうに吹き出す。

「そうなんだよ、めんどくさいよな。だって人間だから」

そう言いながら手際よくプリントを配っていく。


私はそのプリントへ視線を落とした。

今日のテーマは、“言葉と伝達”だった。


いつもに増して難しい単語が並ぶ文章の中で、ひとつだけ目についた一文があった。

『言葉は、完全には伝わらない』

────なんだそれ。
伝わらないなら意味なくない?


私を含めて、そんな顔をした生徒が多かったのか、沢村先生は笑いながら続けた。

「言葉ってさ、伝えるために使うんだけど」

先生にしては、少しだけ真面目な声。

「正確に言うと、ズレを減らすために使うんだよ」


……“ズレ”か。

最近、その言葉も好きじゃない。
好きじゃない言葉ばっかり増えていく。

“距離感”、“矛盾”、“伝わらない”。

そんな単語ばっかり自分の中に増えていって、そしてどんどん膨らむ。


「だから現国って、読む教科っていうよりも、考える教科なんだよな」


冷房の効いた室内に、響き渡る沢村先生のハキハキとした声。

いつもの授業と違って、講習の時間にざわつくこともなく、みんなちゃんと前を向いている。


教室の窓から夏の強い光が差し込む。


私は無意識に、プリントの端を指でなぞった。

──筆者はなぜ書いたのか。

──人はなぜ伝えたいのか。


……そんなこと、考えたことなかった。




••┈┈┈┈••

< 41 / 71 >

この作品をシェア

pagetop