ほたる先生は振り向かない
これがいつもの授業なら、みんなあまり集中していないだろうし、ざわざわしていて色々な音に紛れていたと思う。

でも今日は違う。
夏休みの講習はみんな真面目に受けている。

だからこそ、先生の言葉がダイレクトに伝わってくる。


先生はしんとした教室には構わず続けた。

「遠回しだからこそ、読み手側が、行間を読む必要があります」


……行間。

最近、そんなのばっかりだ。
評論で筆者が言いたいことを探すのも読み手。和歌もまた、似たようなもの。

読み手にばっかり、要求が多い。
伝える側は、いつだってずるい。


私は小さくため息をついて、黒板に書かれたきれいな文字をじっと見つめた。


先生はプリントを指で示す。

「例えばこの和歌ですが」


『逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし』


教室の空気が、さらに止まったみたいに静まり返った。
周りを見渡すと、難しい顔が増えているのが分かる。

ほたる先生は淡々と現代語訳を書いた。


“もし会うことがまったくなかったなら、かえって相手も自分も恨まずに済んだだろうに”


前の席の男子が半笑いで小さく言う。

「重っ……」

先生はその反応に、うなずくなり即答した。

「恋愛感情は大体重いです」

ここでやっと教室が緩んだのか、少し笑い声が漏れる。


私はこの時、どうしても笑えなかった。


会わなければよかった。

知らなければよかった。


でも。
たぶん、それでも。

私はほたる先生を知りたかったと思う。


「和歌は短いです」

考え込みそうになる頭に、先生の声が聞こえてきて顔を上げる。

「だからこそ、言葉にしなかった部分を考えてください」


私に言っているわけじゃない。

ほたる先生の視線は、教室全体を見ている。
ちっとも目が合わない。

だけどそれが、たぶん先生にとっての“当たり前”なのだ。


『言葉にしなかった部分』

それが、一番知りたい部分なのに。




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