隠し子が発覚したら『氷の宝石商』の独占欲に火がつきました~5年越しの執念で見つけ出され、逃げ場のない溺愛で囲い込まれています~
東京の下町にある古びた木造アパートには、どこからともなく夕食の支度をする包丁の音が響き、何かを煮付ける暖かな香りが漂う。
窓の外からは、帰宅を急ぐ人々の足音や、自転車のベルの音が心地よく聞こえた。
白河蒼乃は、その街でひっそりと暮らしている。
木を隠すなら森の中。
人の多い東京は、身を隠すのに適している。
子供のころは両親と住んでいた。土地勘はある。
それに、これから一人で子育てをしていくことを考えれば、やはり、東京の手厚い支援は魅力的に感じられた。
伝手も何もない状態で上京した。
職探しは難航するだろうと覚悟したが、意外にもすぐ、下町にある中堅規模の質屋での仕事が決まった。
長年、宝石を見て、磨いてきた。その鋭い審美眼を活かし、宝石の鑑定を請け負う仕事につけたのだ。
下町を選んだのには、訳がある。
昂輝のような一流のジュエラーが集まる華やかな世界から、最も遠い場所。ここに身を置けば、案外、見つからないだろうと踏んだ。
もっとも、彼が自分を探しているかどうかなど、分からない。
あの時は逃げることばかり考えていたが、よくよく思い返してみれば、昂輝はすでに、目的を達成したのだ。
彼が自分を探す理由などないのかもしれない。
彼が蒼乃を騙してでも欲しがった及川工房。あそこはもう、御堂ジュエリーのものなのだから。
質屋での夜の仕事を終え、蒼乃は静まり返った自室の畳の上に座っていた。
部屋を照らす電球の橙色の光が、横顔を柔らかく包み込んでいる。
蒼乃は、自分のお腹にそっと両手を添えた。
ずいぶんと、大きくなった。
手のひらを通じて、確かな、愛おしい命の重みが伝わってくる。
「ママ頑張るからね」
ぽつりと呟いた声は、夜の静寂に溶けていった。
誰に裏切られようとも、どれほど過酷な環境であろうとも、この手の中に宿った新しい命を何があっても守り抜く。
静かで、岩のように固い覚悟を胸に抱き、蒼乃は前を向いた。