翡翠の一輪花【完】
「すごいです! 本当にいたんですね!」
「……いたって」
「だって、みんな翡翠さんの話するんですよ!? だから私、ずっと会ってみたくて………」
「花梨」
低い声。
葵が小さく遮る。
でも花梨は気づいていないのか、ぱっとこちらへ向き直った。
「私、ヤクザさんのことって全然分からなくて……でも翡翠さん、すっごく綺麗だし、かっこいいし!」
「……はぁ」
勢いに押されて、変な返事しか出てこない。
「なので……よかったら、仲良くしてください!」
にこっと笑う花梨は、疑うことを知らない子供みたいだった。
その無邪気さが眩しすぎて、うまく直視できない。
「……女友達とか、あんまりいないので!」
「……私も、そんなにいない」
「ほんとですか!?」
ぱっと花が咲いたみたいに笑う。
その顔を見ていると、嫌いになれないと思ってしまう自分がいた。
――だから、余計に苦しい。
「ねぇねぇ、翡翠さんって――」
「おい、花梨」
今度は、少し強めの声。
花梨が「はーい」と振り返る。
葵は小さくため息をついた。
「そろそろ行くぞ」
「えぇー? もうちょっと――」
「お前、六時に帰る約束だっただろ」
「あっ」
花梨の顔が分かりやすく固まる。
「やばっ……お父様に怒られる……」
「だから言った」
呆れたみたいな声。
でも、そのやり取りはどこか慣れていて。
花梨は慌てて立ち上がると、最後にもう一度こちらを見る。
「翡翠さん! また今度いっぱいお話しましょうね!」
返事をするより先に、花梨は葵の隣へ駆け寄っていた。
「ほら、葵様も早くっ!」
「引っ張んな」
そう言いながらも、葵は抵抗しない。
そのまま二人は、並んで宴会場を出ていく。
その場に残されたまま、その背中を見つめる。
胸の奥が、じわじわと重くなる。
さっきまで少しだけ近づいたはずなのに。
――結局、自分はもう“隣”じゃないんだと。
そんなことを思ってしまった。