翡翠の一輪花【完】
***


廊下に、翡翠の足音だけが遠ざかっていく。


「今のままじゃ、どっちも失うよ」


紺の声が静かに落ちた。



「……紺」


葵の声は低い。

それでも紺は、視線を逸らさない。


一拍。

「……じゃあ」

小さく息を吐いて、紺が言う。


「………このままなら、翡翠は俺がもらう」


空気が止まる。


「っ……」


葵の気配が揺れる。

紺はそれ以上何も言わない。
………ただ、淡々と続けた。


「選ばなかったら、そうなるだけだよ」


それだけ残して、紺は翡翠が消えた方向へ視線を向けた。







廊下に残された紺の言葉が、やけに静かに響いていた。


「……ふざけんな」


葵の声は低い。

怒りなのか、焦りなのか……自分でも分からないまま拳に力が入る。


紺はそれに答えない。
ただ、翡翠が消えた方向を見たまま言う。



「追わないなら、それでいいよ」

その一言が、最後の引き金だった。

――追わない?

ふざけるな。


最初から、そんな選択肢なんて一ミリもねぇよ。

───気づけば、足が動いていた。



紺の横をすり抜ける。



制止の気配も無視して、廊下を蹴るように走る。


障子の向こう、角の先、遠ざかる気配。




────”翡翠”


名前を呼ぶ前に、胸の奥がひどく軋んだ。


――なんで逃げる。
――なんで、俺から離れる。


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