大槻くんの唇はイジワル
「忘れたんですか? 俺の癖を直すために協力してくれるって言ったでしょう」

 昨日のやりとりは、どうやら夢じゃなかったらしい。

「そ、それにしたって、こんなところで……」

 誰かに見られたらどうするつもりなのよ。私が眉をひそめても、彼は表情ひとつ変えなかった。
 彼の考えていることが理解できずに混乱していると、ドアが開いた。

 エレベーターから出ていく大槻くんの後ろ姿を見て、私も降りなきゃと我に返る。
 なんとか冷静になろうと言い聞かせながらフロアに向かって歩いていると、先を歩く大槻くんが振り返った。

「そういえば、野本さん。今日の飲み会来ます?」

 同じ部署の若い社員たちが、飲み会をしようと話していたことを思い出す。
 誘われていたけれど、すっかり頭から抜けていた。

「どうしようかな」

 言葉を濁した私を、大槻くんが見つめる。

「なにか用事があるんですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
「それなら、行きましょう」

 普段、他人に興味を示さない大槻くんが、こんなストレートに私を誘うなんて、意外すぎる。

「……じゃあ、ちょっとだけ顔を出そうかな」

 私がそう言うと、大槻くんがふっと表情を緩めた。
 綺麗な唇が動き、「うれしいです」と短く言う。

 それだけのことなのに、心臓を撃ち抜かれた気がした。

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