不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった

第66章 戻ってきた人 【第3部:王弟と迎える、婚姻までの日々】


トルシアへ戻ってきてから、一か月ほどが過ぎた。

夕方近く、屋敷の玄関前に一台の馬車が止まった。

知らせを受けたアリスは、クララとともに玄関へ向かっていた。

扉が開き、馬車から一人の女性が降りてくる。

見慣れた栗色の髪。

その姿を目にした瞬間、アリスは思わず足を止めた。

「……リリス」

呼びかけると、こちらを向いたリリスの表情がくしゃりと崩れた。

「アリス様……!」

駆け寄ってきたリリスは、アリスの前で立ち止まったものの、次の言葉が続かなかった。

涙が溢れ、そのまま頬を伝っていく。

「リリス……」

アリスはすぐにその手を取った。

「とても心配させてしまったのね。ごめんなさい……」

「どうして、アリス様が謝るんです……何も悪くないのに」

リリスは涙を拭おうともせず、首を横に振る。

「本当に……本当に、ご無事で……」

アリスはそんなリリスを抱きしめる。

しばらく二人はそのままでいた。

やがてリリスが恥ずかしそうに身体を離し、目元を手で拭う。

「申し訳ありません。着いた途端に泣いてしまって……」

「いいの」

アリスは微笑んだ。

「また会えて、本当に嬉しいもの」

その一言に、またリリスの目が潤む。

「もう……あまり泣くと、目が腫れてしまうわ」

アリスはハンカチでリリスの涙をそっと拭った。

その様子を見守っていたクララが、頃合いを見て声をかけた。

「リリス、お久しぶりですね」

「クララさん、お久しぶりです。アリス様の婚姻式まで、しばらくお世話になります」

「えぇ。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

その時、屋敷の前に荷車が止まった。

ミルバーグに残っていたアリスの私物と、リリスの荷物を積んだ荷車だった。

「荷物、運びますね」

「いえ、荷物の運び込みは男性の使用人に頼みます。長旅でお疲れでしょうから、明日の昼まではゆっくりお休みなさい。アリス様のお荷物は、その頃に女性の使用人たちで荷解きをする予定ですから」

「そうした方がいいわ」

アリスも頷く。

「分かりました。では、そうさせていただきます」

「お部屋は以前使っていたところを用意しています。貴方の荷物はそちらへ運ばせます。それと、夕食は十八時からにいたします」

「ありがとうございます」

リリスは頭を下げた。

―――――――――――

十八時半を過ぎてもウィルはまだ帰宅しておらず、アリスは先に夕食をとることにした。

この時間までに戻らなければ、待たずに食事を済ませてほしいと、ウィルから言われている。

リリスはクララに勧められ、今日は自室で食事をとっていた。

食事を終えたアリスが食堂を出た頃、玄関の扉が開く音が聞こえた。

「旦那様がお帰りです」

使用人の声に、アリスはすぐに顔を上げた。

ちょうど階段から降りてきたリリスと目が合う。

「ウィル様がお帰りになったみたい」

「私もご挨拶に伺います」

二人で玄関へ向かうと、外套を脱いだばかりのウィルが立っていた。

「お帰りなさいませ、ウィル様」

「あぁ。ただいま」

アリスへ向けた表情がわずかに和らぐ。

その隣で、リリスが一歩前へ出て深く頭を下げた。

「ウィル殿下。ご無沙汰しております」

「あぁ。久しぶりだな」

「本日より婚姻式まで、再びアリス様にお仕えさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしく頼む」

ウィルはリリスを見てから続けた。

「アリスも心強いだろう。来てもらって助かる」

「とんでもございません」

リリスが頭を下げる。

ウィルはアリスへと視線を向けた。

「食事は?」

「はい。先ほどいただきました」

「そうか」

いつもなら、十九時半頃までにウィルが戻ってくれば、アリスは彼の夕食に付き合うことが多かった。

けれど今日は、つい隣にいるリリスへと視線を向けてしまう。

「積もる話もあるだろう」

「え?」

「オレのことは気にしなくていい」

「でも……」

「一人で食べられる」

苦笑して返され、アリスはやっと頷いた。

「……では、お言葉に甘えてもいいですか?」

「あぁ」

「ありがとうございます」

アリスはリリスへと視線を向ける。

「寝る準備ができたら、私のお部屋で話しましょう」

「はい」

二人が仲良く並んで廊下を歩く姿に、ウィルは口元を緩めた。

―――――――――――

寝支度を終えたあと、客間では二人の話し声が続いていた。

「それで、エリオットさんとの新婚生活はどう?」

「アリス様、私のことより先に、ご自分のことを話してください」

「私?」

「そうです。ゼリアでのこと、聞かせてください」

「でも……あちらでもずっと塔にいただけだから、あまり話すことはないのよ」

「それでも、です」

久しぶりに聞くリリスの少し強い口調に、アリスは思わず笑ってしまう。

「分かったわ」

それから、話はあちらこちらへ飛んだ。

ゼリアで過ごした日々、誕生祭の日のこと、火に包まれた塔。

そして、助けに来てくれたウィル。

アリスの話を聞きながら、リリスは様々な表情を浮かべていた。

もちろん、リリスにも話したいことは山ほどあった。

エリオットとの結婚生活、ミルバーグでの暮らし、そして自身の結婚式の日のこと。

「エリオットさん、優しくしてくださるのでしょう?」

「とても」

リリスは照れたように笑う。

「それならよかったわ」

心から安心したように微笑むアリスを見て、リリスも笑みを返した。

「ねぇ、今度はリリスの話を聞かせてほしいの」

「はい」

―――――――――――

その頃、入浴を終えたウィルは、いつものようにアリスのいる客間へ向かっていた。

扉の前で足を止め、ノックをしようと手を上げる。

その時、中から笑い声が聞こえてきた。

「リリスったら……それは、エリオットさんがかわいそうだわ」

すぐに、リリスの声も聞こえる。

「だって、アリス様。エリオットがはっきり言わないんですもの」

ウィルは手を止めた。

――楽しそうだ。

わずかに口元を緩めると、ノックをすることなく手を下ろした。

そのまま踵を返し、自室へ向かった。

―――――――――――

話の途中で、アリスがふと時計へ目を向けた。

「どうかなさいました?」

「なんでもないの……」

いつもなら、この時間になるとウィルが顔を見に来てくれることが多い。

――今日は、来てくださらないのかしら?

少し寂しくなる。

――もしかして、リリスがいるから遠慮してくださったのかもしれない。

アリスは迷ったすえに、立ち上がった。

「リリス、ごめんなさい。少しだけ待っていてくれる?」

「はい」

見送るリリスを残し、アリスは部屋を出た。

廊下を歩き、ウィルの私室の前で立ち止まる。

夜に訪ねるなんて初めてのことで、緊張しながら扉を叩いた。

「はい」

「……アリスです」

すぐに扉が開く。

「どうした?」

ウィルは驚いた表情を浮かべていた。

「あの……」

アリスは視線を落とす。

「いつも、このくらいの時間に来てくださるので」

――寂しくて顔を見に来るなんて、子供みたいだわ。

「それで、その……ご挨拶にきました」

顔を上げたものの、今更ながら恥ずかしくなってくる。

一瞬の間のあと、ウィルの表情が柔らかくなった。

身を屈め、アリスの額へ軽く口づける。

アリスは頬を染め、嬉しそうに口元を緩めた。

「おやすみ、アリス」

「おやすみなさい、ウィル様」
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