不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった
第68章 変わり始める流れ
昼を過ぎた頃。
ウィルは、王宮内にある慈善事業の執務室を訪れていた。
何人もの職員が仕事をする室内の一角で、ナタリアは書類に目を通していた。
「ウィル様がこちらまでいらっしゃるなんて。どうされましたか?」
ナタリアが顔を上げ、少し驚いた表情を浮かべる。
「突然申し訳ありません。ナタリア様の慈善事業に関わることでしたので、こちらに伺いました」
「何でしょうか?」
ナタリアは手元の書類を置き、ウィルへ向き直った。
「アリスから、手芸品の寄付や慈善バザーへの出品について、ナタリア様へ相談してほしいと頼まれました」
「まぁ、アリス様が?」
ナタリアはどこか嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、アリス様は手芸がお得意ですものね」
「えぇ。屋敷の者にも見てもらいましたが、品として十分な出来です」
ナタリアは頷いた。
「分かりました。一度、拝見させていただこうかしら?」
「お願いします」
そこでナタリアは、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「そうだわ。アリス様とお料理をする約束も、そろそろ日取りを決めようと思っていたんです。その日に、手芸品の一部をお持ちいただくのはいかがでしょうか?」
「分かりました。アリスへ伝えておきます」
「お願いします。それで、日取りなのですが……」
ナタリアは机の端に置いていた予定表へ目を向けた。
いくつか候補の日を挙げられ、ウィルは自分とアリスの予定を思い返した。
「でしたら、こちらの日であれば大丈夫です」
「では、その日にいたしましょう。予定を伝えたらエレナが大喜びするわね」
そう言って、ナタリアは楽しそうに目を細める。
「それでは、失礼いたします」
ウィルは軽く頭を下げる。
「えぇ。わざわざありがとうございました、ウィル様」
執務室を出たウィルは、そのまま王宮の奥へと足を向けた。
午前の仕事中、エドワードから執務室へ来るよう伝言を受けていた。
ほどなくして国王の執務室の前へ辿り着き、扉を軽く叩く。
「入れ」
中から聞こえた声に、ウィルは扉を開いた。
「失礼します」
机に向かっていたエドワードが顔を上げる。
「お呼びと伺いましたが」
「あぁ。少し見せたいものがあってね」
そう言って、エドワードは机の上に置かれていた一通の書簡を手に取った。
「セシリオ殿下からだ」
エドワードは書簡をウィルへ差し出す。
「正式な文書ではないが、私とお前宛てに届いたものだ」
ウィルは書簡を受け取る。
そこには、セシリオの筆跡で現在のゼリアについて記されていた。
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トルシア国王エドワード陛下
ウィル・トルシア王弟殿下
このたびは、我が国の混乱に際し、様々なお心遣いを賜りましたこと、心より御礼申し上げます。
現在、王太子を中心に国内の立て直しを進めております。
一時に比べれば情勢は落ち着きを取り戻しつつありますが、長く続いた混乱の影響はいまだ残っており、完全に安定したとは申し上げられない状況です。
なお、王太子は一か月後を目処に王位を継ぐ予定となっております。
また、これまで我が国がトルシア王国に対して重ねてきた侵略行為について、改めて深くお詫び申し上げます。
貴国からの信頼を取り戻すまでには、長い時間を要することも承知しております。
それでも、いつの日か両国が友好関係を築けるようになることを願っております。
そのためにも、まずは我々自身がゼリアを立て直すべく、尽力してまいります。
セシリオ・ゼリア
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ウィルは最後まで書簡に目を通した。
「だいぶ、落ち着いてきているようですね」
「あぁ」
エドワードが短く答える。
「完全に安定するまでにはまだ時間がかかるだろうが、少なくとも方向は定まったようだ」
「そうですね」
ウィルは書簡へと視線を落とす。
エドワードも、ウィルの手にある書簡へ目を向けた。
「あの二人が政権の中心にいる限り、再び侵略行為を受けるようなことはないだろう」
「私もそう思います」
ウィルは迷いなく答えた。
「一か月後には、ゼリアもようやく新しい体制へ移ることになる」
エドワードは一瞬目を閉じた。
長く侵略を受けてきた事実は、簡単になかったことにはできない。
それでも、ゼリアという国そのものが、以前とは違う方向へ進もうとしていることは確かだった。
「友好国と呼べるようになるまでには、まだ時間がかかるだろう」
「ですが、今後、戦わずにすむだけでも、十分だと思います」
ウィルは遠くを見つめるような目をした。
「そうだな……」
エドワードが深く頷く。
しばらくして、話を変えるように口を開く。
「それと、もう一つ」
ウィルが顔を上げる。
「アリス様のことだ」
エドワードはウィルの様子を窺うようにして続けた。
「最近、国内外でアリス様についての噂が少し変わり始めていると聞いた」
「えぇ。部下からも報告を受けています」
ウィルが淡々と答える。
「ゼリアの件があって、不吉を呼ぶ姫ではなく、むしろ幸運を呼んだのではないか――そんなことを言う者まで出始めているらしい」
エドワードの言葉に、ウィルは低く息を吐いた。
「……勝手なものです」
「私もそう思う」
エドワードは呆れたように眉を寄せた。
「長い間、根拠のない噂で苦しめておいて、今度は幸運を呼ぶ姫か」
「……」
「だが、だからこそ、この機会を無駄にはしたくないと思っている」
ウィルは黙って続きを待った。
「これまでは、王宮としてあえて何かをする必要はないと考えていた。もともと、この国ではあの噂を強く信じる者もそれほど多くない。それに、下手に王宮が反応すれば、かえって噂に注目を集めることにもなりかねないからな」
「えぇ」
「だが、今は自然と良い方向へ流れが変わり始めている」
エドワードは一度言葉を切る。
「ならば、その流れを少し後押ししてもいいと思っている。まぁ、アリス王女についての正しい情報を、これまでより少し積極的に伝えていくだけだが」
ウィルはわずかに顔をしかめた。
「……必要なのは理解しています」
その声音には、明らかに乗り気ではない響きが混じっていた。
エドワードはそれを察したように、苦笑する。
「お前は、自分が守ればすむ話だと思っているのだろう」
「はい」
「だろうな」
ウィルの当たり前だと言わんばかりの様子に、エドワードは息を吐く。
「だが、アリス様もこれからは、人前に出る機会が増えるだろう」
ウィルは黙って聞いていた。
「噂が良い方向へ変われば、アリス様自身も今より過ごしやすくなる。それに、これからトルシア王家の一員となる方だ。王家にとっても、国にとっても悪い話ではない」
「……えぇ」
必要性は、分かっている。
それでも、アリスのことを世間の評判と結びつけて考えることには、どうしても抵抗があった。
しばらく考えてから、ウィルは口を開く。
「そういえば、先ほどアリスの手芸品の件で、ナタリア様にお願いしてきたところです」
「手芸品?」
「えぇ。寄付や慈善バザーに役立てたいと、アリスから相談されましたので」
エドワードは意外そうに眉を上げた。
「アリス様が?」
「えぇ」
「なるほど……。それは、いいかもしれないな」
「もちろん、噂のためにすることではありませんが」
ウィルは釘を刺すように言った。
「あぁ、分かっているよ」
エドワードはすぐに答えた。
「アリス様がご自身で望んでいることなら、それをそのまま伝えればいい。王女自ら作った品を、寄付や慈善バザーに役立てる。それもまた、知らせてもいい事実だろう」
ウィルはしぶしぶ頷いた。
「まぁ……そうですね」
「何も大げさなことをするつもりはない」
エドワードは宥めるように続けた。
「それに、お前は国内外に名が知られているからな。そんなお前がアリス様を選び、大切にしている。それだけでも、十分伝わるものはある」
ウィルは眉を寄せた。
「……そのためにしているわけではありません」
「あぁ。もちろんだ。ただ大切なだけなのだろう?」
エドワードは柔らかな表情を浮かべた。
「だからこそ、いいんだ」