不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった
第69章 ふたりで選ぶもの
「着いたな」
城下町の一角にある大きな店の前で、馬車が止まった。
ウィルは普段とは違い、眼鏡越しにアリスを見る。
「降りるぞ」
「あ、はい」
アリスは深く帽子をかぶり、うっすらと色のついた眼鏡をかけていた。
「あの……隠せているでしょうか?」
「あぁ、大丈夫だ。それに、案外、誰も他人のことなど見ていない」
そう言われても、アリスはまだどこか不安そうに馬車の外へ視線を向ける。
こんなに人の多い場所へ来ること自体が、今までほとんどなかった。
「店は貸し切りにしてもらっている」
「そうなのですね……」
その言葉を聞いて、ようやくほっと息をつく。
ウィルはその様子を見てから馬車の扉を開け、先に降りた。
そして、いつものようにアリスへ手を差し出す。
アリスの部屋に置く椅子とソファーを選びにお店へ行く日が決まったのは、一週間ほど前のことだった。
アリスは予定を聞いてから、この日を指折り数えて待つほど楽しみにしていた。
店へ買い物に行くこと自体、生まれて初めてのことだった。
ただ、この世界では珍しい黒髪と、存在しないはずの黒い瞳はどうしても目立つ。
今日はお忍びでの外出だったため、ミルバーグの王女だと気づかれないよう、帽子と色眼鏡でその特徴を隠していた。
ウィルもまた、容姿端麗でどうしても目立ってしまうため、申し訳程度に眼鏡をかけている。
差し出された手に触れ、馬車を降りる。
店へ入ると、一人の男性がすぐに二人を出迎えた。
以前、家具の図案を持って屋敷を訪れた店主だった。
「お待ちしておりました」
「あぁ、頼む」
「よろしくお願いします」
アリスは軽く頭を下げる。
けれど、その視線はすぐに店の中へ向いていた。
壁際に並ぶ棚や机。
大小さまざまな椅子に、小さなテーブル。
さらに奥にも、多くの家具が並んでいる。
気づけば、あちらこちらへ視線を動かしていた。
そんなアリスの様子に気づいたのか、店主が口を開く。
「まずは、お店の中をご覧になりますか?」
「え……」
アリスは一瞬驚き、それから隣にいるウィルを見上げた。
「あの……」
「一回りするか?」
「はい!」
思わず弾んだ声が出る。
ウィルはわずかに口元を緩めた。
店主は二人の少し後ろを歩きながら、必要な時だけ家具について説明してくれる。
アリスは棚の前で足を止めたり、見慣れない形の机を眺めたりしながら、ゆっくりと店内を見て回った。
やがて、いくつもの椅子が並ぶ一角へたどり着く。
「この辺りが、先日お話ししていた椅子になります」
店主の言葉に、アリスは並んだ椅子へ目を向けた。
背もたれの高さも、座面の広さも少しずつ違っている。
「実際にお掛けになって、お確かめください」
「はい」
アリスは一番近くにあった椅子へ腰を下ろした。
少し座ってから背もたれへ体を預ける。
「……これは、少し硬いでしょうか」
「長くお掛けになるのでしたら、もう少し座面に厚みのあるものがよろしいかもしれませんね」
「確かに、そうですね」
次の椅子へ移る。
こちらは先ほどより柔らかい。
何脚か試しているうちに、アリスの表情はすっかり真剣なものになっていた。
手芸をしているとつい夢中になって、長く座ることも多い。
できるだけ自然に腰かけられ、体に負担のないものを選びたい。
一つずつ確かめていき、やがて一脚の椅子にもう一度腰を下ろした。
「……私は、これが一番座りやすい気がします」
ウィルへと視線を向ける。
「あぁ、良さそうな作りだ」
ウィルが椅子をじっくりと眺めて、頷く。
アリスはもう一度座り心地を確かめてから、店主へと声をかけた。
「あの、こちらにします」
「かしこまりました」
続いて案内されたのは、ソファーが並ぶ一角だった。
アリスはまた、いくつか座ってみたあと、一つのソファーで足を止めた。
柔らかすぎず、座面も深すぎない。
背もたれへ軽く体を預ける。
「私は、これが良いと思うのですけれど……」
アリスはソファーから立ち上がると、ほんの少し迷ってから、ウィルの腕へ手を添え、わずかに引いた。
「あの……。ウィル様も、座ってみていただけませんか?」
「オレも?」
「はい。私のお部屋に来られることもあると思うので……。その、ウィル様にも座り心地を試していただきたいです」
「分かった」
ウィルは短く頷き、そのままソファーへ腰を下ろした。
アリスも隣へ座る。
「どうでしょうか?」
ウィルは背もたれへ軽く体を預けた。
「あぁ、悪くないな」
「座りにくくはないですか?」
「大丈夫だ」
その返事に、アリスは満足そうに頷いた。
「では、これにします」
「かしこまりました」
店主は手元の帳面へ書き留める。
「それから――」
店主はすぐ隣の一角へ視線を向けた。
「本日は、寝台の方もお決めになる予定でしたね」
「……寝台?」
アリスの動きが止まった。
つられるように視線を向ける。
そこには、大きさや形の異なる寝台がいくつも並んでいた。
「あの……寝台って、その……」
戸惑ったままウィルを見る。
「一緒に選ぶ方がいいと思って、決めていなかった」
あまりにも普通に返され、アリスは目を見開いた。
――そういえば。寝室には何もなかったわ。
広い空き部屋。
そして、ウィルの私室へつながる扉。
クララから言われた言葉まで思い出してしまう。
――寝室は夫婦でお使いになるものですから。
じわじわと頬が熱くなってくる。
「……はい」
何とかそれだけを返す。
店主は変わらぬ調子で説明を続けた。
「一人用を二台お入れすることもできますし、お二人でお使いになれる大きさのものを一台ご用意することもできます」
アリスの頬がさらに熱くなる。
ウィルは動揺することもなく並んだ寝台へ視線を向けてから、アリスを見る。
「オレはどちらでも構わない。アリスは?」
「あの……私は……」
言葉に詰まる。
恥ずかしすぎて、選ぶことなどできるはずがなかった。
「……私もどちらでも」
かろうじてそう答え、思わず視線を逸らしてしまう。
ウィルはそんなアリスをじっと見つめたあと、店主へ向き直った。
「では、一台で」
「かしこまりました」
アリスの顔がとうとう真っ赤に染まった。
店主はその様子に気づいていたが、表情を変えることなく、ごく自然な調子で続けた。
「大きめのものを一台にされた方が、お部屋のスペースにも余裕ができますよ」
「……それは、そうですね」
それなら、と何とか自分の気持ちを落ち着かせる。
「では、こちらをご覧ください」
店主に案内され、いくつかの寝台の前へ移動する。
「こちらは柔らかめでございます」
まだ頬から熱が引かないまま、アリスは寝台へ手を伸ばした。
手のひらで何度か押してみる。
思った以上に沈む。
「……本当、柔らかいわ。ウィル様は、どう思われますか?」
「アリスが寝やすいものでいい。オレはどこでも眠れるからな」
そう言って、ウィルは肩をすくめた。
アリスは少し眉を下げた。
「あの……それでも」
思ったよりはっきりした声が出る。
「一緒に選んで頂きたいです。私だけが寝やすくても困ります。ウィル様は大変なお仕事をされているのに……」
ウィルは一瞬だけアリスを見てから、頷いた。
「……そうか」
ようやくウィルも寝台へ手を置き、軽く押して確かめる。
「これは少し柔らかすぎるな」
「はい……私もそう思いました」
次に案内されたものは、先ほどよりかなり硬かった。
アリスが手を押し当てる。
「こちらは……少し硬いですね」
「あぁ」
さらにその隣へ移る。
今度は先ほどの二つの中間ほどの硬さだった。
二人はそれぞれ何度か手で押してみる。
「……これくらいが、ちょうどいい気がします」
「オレもこれがいいと思う」
「では……こちらにしますか?」
アリスはウィルへと視線を向ける。
「あぁ、そうするか」
ウィルは店主へ向き直った。
「これで頼む」
「かしこまりました」
店主は帳面へ書き留めると、一礼した。
「本日選ばれた商品の色味や装飾などにつきましては、後日改めてご相談させてください」
「分かった」
ウィルが頷き、アリスも続ける。
「よろしくお願いします」
こうして、アリスの部屋に置く椅子とソファー。
そして、二人で使う寝台が決まった。
アリスは改めて、先ほど選んだ寝台へ視線を向ける。
――私、本当にウィル様の奥さんになるのね……。
これからも、ずっと傍にいられることが、本当に嬉しい。
けれど、何故か胸の奥がほんの少しだけザワザワする。
――いつか、相応しくなれるのかしら?
アリスは無意識に、隣にいるウィルの腕へ手を添えた。