暁に咲く

人斬り

京の闇夜は暗い。

月明かりと行燈(あんどん)だけが照らす三条通りに人影ひとつ。

彼が歩く度にする金属音が、この人が武士である何よりの証拠であった。

森忠親(もりただちか)殿とお見受け申す」

さらに五つ、湧いて出たような影が一人を取り囲んだ。しかし、忠親は声ひとつ漏らさず、深く被った笠を少し上げた。

「新造殿の仇、取らせて頂きます」

五つの影が一斉に刀を抜き、忠親に斬りかかった。忠親は地を蹴って後退った。正面から迫る刃を躱した瞬間、背後へ回り込もうとした影の気配を感じる。彼は振り向きざま、刀を縦一文字に振り下ろした。

血飛沫が舞う。

そのまま、斬りかかって来た一人の腹を薙ぎ払い、そのまま振り上げた。骨肉を引き裂く(おぞ)ましい音がした。振り上げた勢いで、一人の顎が割れたのである。

「に、逃げろ…逃げろ!!」

頭領格と思しき一人が震え上がって叫んだ。仲間の生き残りも、震えて言葉も出ないようである。

忠親が刀を振ると、先程まで生きていた人の血がサラリと地に落ちた。

「みっともない。逃げたきゃ逃げろ」

忠親は心底呆れ果てたような声で、男達を一瞥した。忠親の一言で、生き残った二人の男は腰を抜かさんばかりに震えながら走り去っていった。

忠親は自身が腰に差していた鞘を抜き、まだ血濡れていない浪士の刀とすり替えると帰路に着いた。


​───────


「また、辻斬りか」

隊士からの報告に目を通す。今朝、三条通りで薩摩藩の浪士三人が死体で見つかった。そのうち一人の持つ刀にはべっとりと血が付いていたらしく、恐らく薩摩藩士同士のいざこざではないかという話だ。

「土方さん、聞いてました?辻斬りじゃなくて、内訌(ないこう)ですよ」

土方は腑に落ちないまま、頬杖をついた。

近頃の京は治安が滅法悪い。尊皇攘夷(そんのうじょうい)を掲げる過激派連中の動きが活発になっているのだ。かくいう土方も、そういった不逞浪士(ふていろうし)を征伐する為に江戸から遥々京へやってきたのだ。

「トシ、何か気になるか?」
「いや、なんでもねぇ」

なんでもないとは言うが、その実、気になることはある。

薩摩の連中が、ここに来て同士討ちなどするだろうか。それに、先日起きた辻斬りの一件。どちらも薩摩藩で佐幕(さばく)派の志士が殺られた。

偶然の一致とは、とても思えなかったのだ。


​───────


襲撃のあった夜、忠親は桝谷喜右衛門(ますやきえもん)という男が経営する店に立ち寄った。この男は近江国出身だが、志は尊皇攘夷を謳う同志の一人である。

「桂さんは二階に見えてます」

忠親の顔を見るなり、事情を察した桝谷はすぐに忠親を二階に上がらせた。

桝谷に案内された部屋の襖を開けると、数人の志士達が中にいた。おそらく、国の為に今後どうしていくか、話し合っているのだろう。忠親は部屋の前で一礼した。ようやく燈に照らされた姿は返り血で汚れていた。

「諸君、今日はここまで」

部屋の主と思わしき男が口を開くと、忠親は部屋に入り、皆が出て行くのを待った。

「……薩摩か」

ようやく人払いが済むと、桂が聞いた。忠親も頷く。

「佐川新造の仇を取りに来たようでした。賊は五人、三人殺し、二人逃がしました」

忠親の言葉に桂は苦笑した。取り逃がすなど、甘い。内心ではそう思いつつも、桂はよくやったと頷いて見せた。

「忠親、着替えた方が良い。丁度、幾松の着物があるから、それを着ていなさい」
「承知しました」

すると忠親は部屋の隅に置かれていた小紋と帯を取ると、屏風の向こうで着替え始めた。刀を大小抜き、袴を脱ぐ。帯を緩めて着流しを脱げば、胸元に巻かれたサラシ。

サラシを取り襦袢を羽織り直すと、もうそこに先程までの武士の姿は無かった。小紋を着て、髪を纏め直すと、更に忠親の面影は薄くなる。

「桂さん、着替え終わりました」

桂は意識的に背けていた身体を忠親に向けた。

何度見ても慣れぬ。

先程まで薩摩藩士を斬っていた人間と、目の前でいじらしく佇む娘が同一人物だとは思えなかった。

「楽に座りなさい。志乃、朗報だ」

志乃と呼ばれた忠親が顔を上げる。それがこの女の実名であった。志乃は行儀よく桂の前に座ると首を傾げた。

「朗報、ですか?」

桂は頷いた。

「どうやら明日、吉田君が江戸から帰ってくるらしい」
稔麿(としまろ)が?」

志乃の頬が緩んだ。吉田稔麿は志乃と同じ松下村塾で学んだ同郷の一人である。このご時世、知り合いにまた会えるという事だけで両手を挙げる時代である。しかもその気持ちも、長州藩士となれば余計深いものがある。

志乃が喜びを身体に滲ませているのを見て、桂も頬が緩んだ。

「久坂君とは反りが合わんのに、吉田君は良いのか?」

桂が云う久坂君とは、久坂玄瑞の事である。かなり短い期間ではあったが、松下村塾で共に学んだ事がある。

「ええ。久坂君とはどうにも……。頭脳は尊敬しますが、話していると息が詰まるのです」
「ほう」 桂は唸った。
「その点、稔麿はそういった堅苦しさが無いのが好きです。彼は《智仁勇》全てを併せ持っていると、私は思います」

志乃は懐かしさに目を細めた。久坂や稔麿と共に過ごした日々が脳裏に浮かんだのだ。松下村塾で学んだ日々は楽しかった。
共に学んだ愛する仲間、敬愛する師​​───────。

そこまで考えて止めた。先生は幕府によって奪われた。志乃の心に棲みつく幕府への恨みが、墨のように心を塗りつぶしていくようだった。

「志乃……」

志乃の心に渦巻く波に気が付いたのだろう。桂はそっと志乃に近付いて背をさすった。

幕府が彼女を変えてしまったのだ。

桂は膝の上で静かに拳を握りしめた。
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