暁に咲く
再開と出会い
翌朝、志乃は桝屋で目が覚めた。
頭が痛い。
そう。あの後、燃えたぎる憎しみに抑えが効かず、酒に頼ってしまったのだ。志乃が寝た布団は桂が用意してくれたのだろう。志乃は何よりも桂に迷惑をかけた自分を悔やんだ。
「おはよう、志乃」
聞こえた声に驚いて、思わず身体を勢いよく起こした。
この声は───────。
「稔麿!無事だったか!」
感激の余りそのまま抱き着くと、稔麿の手が遠慮がちに背中へ回されるのが分かった。彼の姿を確かめるように強く抱き締めれば、稔麿の腕の力もそれに合わせて強くなった。
「少し痩せたか?」
「そう?ちゃんと食べてるつもりだけど」
鼻腔を掠める稔麿の香りに志乃は酷く安心した。そんな志乃の様子に気付いているのだろう。稔麿は志乃の頭を撫でながら口を開いた。
「会いたかったよ、志乃」
稔麿の声は甘い。何せ稔麿にとっては、十年も想い続けた女との再開だ。これぐらいはお天道様も許してくれなくては困る。そんな思いで、稔麿は志乃を一層強く抱き締めた。
しかし、そんな稔麿の恋慕の情を志乃が知る由もない。稔麿に回した両腕を突然離すと、
「晋作は?一緒じゃないのか?」
と聞いた。これには稔麿もガッカリである。
「まだ会ってすぐなのに、他の男の話をするなんて…」
稔麿がわざと拗ねてみせると、志乃は表情に焦りの色を浮かべて謝った。志乃の賽のようにコロコロ変わる表情に稔麿の気分は良くなる。彼女がこうして自分に振り回されてくれていることが何よりも嬉しいのだ。
稔麿は拗ねるのを止めて志乃の頭をまた撫でた。
「晋作は国に帰ったよ。私だけ桂さんの補助の為、此方へ来たんだ」
「桂さん?久坂の補助ではなく、か?」
志乃の表情がまたころりと変わる。
彼女が驚くのも無理はない。今まで桂の補助をしていたのは志乃だったのだ。志乃に言わせれば、人手は既に充分足りているような気がした。
「ああ、まだ聞いていないのか」
稔麿は志乃の様子を見て確信したような声音で言った。そんな様子が志乃にはもどかしくて仕方が無かった。昨夜は桂と長く話していたはずなのに、肝心な話を聞き逃していたらしい。不覚である。
そんな志乃の様子にすぐに気が付いた稔麿は話をすり替えた。
「とにかく、これからは会う機会が増えるよ」
「ああ、嬉しいな」
屈託なく笑う志乃とは裏腹に、稔麿の胸中は穏やかではなかった。しかし、その事を志乃が知るのはもう少し先の話である。
─────
その後、稔麿は桂と合流するためにひと足早く店を出た。
志乃は、人を斬った直後は決して男装してはならないと桂からきつく言い含められていた。その為、今日は京の小娘として一日を過ごすことになっている。
これは志乃の身を守る為でもあった。人を斬ったその足で忠親として町を歩けば、いずれ誰かに顔を覚えられるかもしれない。
しかし理由はそれだけではない。
森忠親という男を、京の闇に棲む得体の知れぬ剣客として恐れさせる為である。
姿が見えなければ、人は勝手に噂を膨らませる。いつ現れるとも知れぬ辻斬り。何人斬ったかも分からぬ剣鬼。そうして生まれた恐怖は、やがて忠親本人よりも大きくなる。
桂はその事をよく知っていた。
しかし、志乃にとっては暇以外の何物でもない日々を過ごす事になるのだから苦痛である。
する事が無くても腹は減る。
しかし、腹が減る事でする事が増えるのだから悪い事では無い。
志乃はそんな言い訳を脳裏に浮かべながら、目に付いた甘味屋に入った。人気な店なのだろう、既に店内は人でいっぱいで、空いた席は外の縁台のみである。
「嬢ちゃん、注文は?」
「みたらしと三色団子、それぞれ二本ずつ」
店主は気の良い返事をして奥へ消えた。志乃はそれを見届けると、空いているひとつの縁台へ腰掛けた。
「隣、いいですか?」
志乃が振り返ると、人の良さそうな青年が立っていた。腰に刀を差しているところを見ると、武士だろうか。
「もちろん、良いですよ」
志乃がそう言うと、青年は人懐っこい笑みを浮かべ礼を言った。京訛りでは無いし、少なくともここら辺の出ではないようだ。まあ、私も同じ部類だが。
「へい、お待ち」
青年が座り終えた所で、店主が団子を持ってきた。もう小腹とは言えない程に空いた腹が歓喜した。一目散に団子一本手に取ると、勢いよく頬張った。
「いやあ、それにしても良かった。お連れの方がいはったんですね」
「え?」
店主の視線が、隣に座った青年に向けられた。
「ここだけの話、最近は偉う物騒ですからねえ……ほら、長州の輩が…」
店主は周りを気にしてコソッと志乃に耳打ちした。この可憐に見える女こそが、長州の悪評の中心にいるとも知らずに。志乃は思わずクスリと笑った。
「この御方は連れではありませんよ」
「そこは、連れという事にしておきましょうよ」
青年はケロッと言い放った。志乃には何故青年がそう話すかなど分からなかった。志乃は青年を見たが、彼もまた志乃を見つめるだけで、全く表情が読めなかった。
青年は、相も変わらず人懐こい笑みを口元に浮かべている。
「あらま、それは失礼な事を申しました…!あまりにもお似合いやったから、恋人やないかと…」
店主がそこまで言うと、店の中から彼を呼ぶ声がした。
「忙しそうですね」
「こりゃまた失礼しました…どうぞ、ごゆるりと」
あまりの忙しなさに思わず苦笑がこぼれる。それは隣に座る青年も同じだった。
「なんだか愉快な人でしたね」
「え、ええ。知らぬうちにご迷惑をお掛けしました…」
志乃は青年に申し訳なくなって頭を下げた。形だけのつもりだった。すぐに許しの言葉をくれるだろうと思っていた青年から返事が聞こえず困惑した。
恐る恐る顔を上げると、意地の悪い笑みを浮かべた青年と目が合った。
「良いですけど、許す代わりに名前を教えてください」
どうやら、面倒な人に捕まってしまったようだ。
頭が痛い。
そう。あの後、燃えたぎる憎しみに抑えが効かず、酒に頼ってしまったのだ。志乃が寝た布団は桂が用意してくれたのだろう。志乃は何よりも桂に迷惑をかけた自分を悔やんだ。
「おはよう、志乃」
聞こえた声に驚いて、思わず身体を勢いよく起こした。
この声は───────。
「稔麿!無事だったか!」
感激の余りそのまま抱き着くと、稔麿の手が遠慮がちに背中へ回されるのが分かった。彼の姿を確かめるように強く抱き締めれば、稔麿の腕の力もそれに合わせて強くなった。
「少し痩せたか?」
「そう?ちゃんと食べてるつもりだけど」
鼻腔を掠める稔麿の香りに志乃は酷く安心した。そんな志乃の様子に気付いているのだろう。稔麿は志乃の頭を撫でながら口を開いた。
「会いたかったよ、志乃」
稔麿の声は甘い。何せ稔麿にとっては、十年も想い続けた女との再開だ。これぐらいはお天道様も許してくれなくては困る。そんな思いで、稔麿は志乃を一層強く抱き締めた。
しかし、そんな稔麿の恋慕の情を志乃が知る由もない。稔麿に回した両腕を突然離すと、
「晋作は?一緒じゃないのか?」
と聞いた。これには稔麿もガッカリである。
「まだ会ってすぐなのに、他の男の話をするなんて…」
稔麿がわざと拗ねてみせると、志乃は表情に焦りの色を浮かべて謝った。志乃の賽のようにコロコロ変わる表情に稔麿の気分は良くなる。彼女がこうして自分に振り回されてくれていることが何よりも嬉しいのだ。
稔麿は拗ねるのを止めて志乃の頭をまた撫でた。
「晋作は国に帰ったよ。私だけ桂さんの補助の為、此方へ来たんだ」
「桂さん?久坂の補助ではなく、か?」
志乃の表情がまたころりと変わる。
彼女が驚くのも無理はない。今まで桂の補助をしていたのは志乃だったのだ。志乃に言わせれば、人手は既に充分足りているような気がした。
「ああ、まだ聞いていないのか」
稔麿は志乃の様子を見て確信したような声音で言った。そんな様子が志乃にはもどかしくて仕方が無かった。昨夜は桂と長く話していたはずなのに、肝心な話を聞き逃していたらしい。不覚である。
そんな志乃の様子にすぐに気が付いた稔麿は話をすり替えた。
「とにかく、これからは会う機会が増えるよ」
「ああ、嬉しいな」
屈託なく笑う志乃とは裏腹に、稔麿の胸中は穏やかではなかった。しかし、その事を志乃が知るのはもう少し先の話である。
─────
その後、稔麿は桂と合流するためにひと足早く店を出た。
志乃は、人を斬った直後は決して男装してはならないと桂からきつく言い含められていた。その為、今日は京の小娘として一日を過ごすことになっている。
これは志乃の身を守る為でもあった。人を斬ったその足で忠親として町を歩けば、いずれ誰かに顔を覚えられるかもしれない。
しかし理由はそれだけではない。
森忠親という男を、京の闇に棲む得体の知れぬ剣客として恐れさせる為である。
姿が見えなければ、人は勝手に噂を膨らませる。いつ現れるとも知れぬ辻斬り。何人斬ったかも分からぬ剣鬼。そうして生まれた恐怖は、やがて忠親本人よりも大きくなる。
桂はその事をよく知っていた。
しかし、志乃にとっては暇以外の何物でもない日々を過ごす事になるのだから苦痛である。
する事が無くても腹は減る。
しかし、腹が減る事でする事が増えるのだから悪い事では無い。
志乃はそんな言い訳を脳裏に浮かべながら、目に付いた甘味屋に入った。人気な店なのだろう、既に店内は人でいっぱいで、空いた席は外の縁台のみである。
「嬢ちゃん、注文は?」
「みたらしと三色団子、それぞれ二本ずつ」
店主は気の良い返事をして奥へ消えた。志乃はそれを見届けると、空いているひとつの縁台へ腰掛けた。
「隣、いいですか?」
志乃が振り返ると、人の良さそうな青年が立っていた。腰に刀を差しているところを見ると、武士だろうか。
「もちろん、良いですよ」
志乃がそう言うと、青年は人懐っこい笑みを浮かべ礼を言った。京訛りでは無いし、少なくともここら辺の出ではないようだ。まあ、私も同じ部類だが。
「へい、お待ち」
青年が座り終えた所で、店主が団子を持ってきた。もう小腹とは言えない程に空いた腹が歓喜した。一目散に団子一本手に取ると、勢いよく頬張った。
「いやあ、それにしても良かった。お連れの方がいはったんですね」
「え?」
店主の視線が、隣に座った青年に向けられた。
「ここだけの話、最近は偉う物騒ですからねえ……ほら、長州の輩が…」
店主は周りを気にしてコソッと志乃に耳打ちした。この可憐に見える女こそが、長州の悪評の中心にいるとも知らずに。志乃は思わずクスリと笑った。
「この御方は連れではありませんよ」
「そこは、連れという事にしておきましょうよ」
青年はケロッと言い放った。志乃には何故青年がそう話すかなど分からなかった。志乃は青年を見たが、彼もまた志乃を見つめるだけで、全く表情が読めなかった。
青年は、相も変わらず人懐こい笑みを口元に浮かべている。
「あらま、それは失礼な事を申しました…!あまりにもお似合いやったから、恋人やないかと…」
店主がそこまで言うと、店の中から彼を呼ぶ声がした。
「忙しそうですね」
「こりゃまた失礼しました…どうぞ、ごゆるりと」
あまりの忙しなさに思わず苦笑がこぼれる。それは隣に座る青年も同じだった。
「なんだか愉快な人でしたね」
「え、ええ。知らぬうちにご迷惑をお掛けしました…」
志乃は青年に申し訳なくなって頭を下げた。形だけのつもりだった。すぐに許しの言葉をくれるだろうと思っていた青年から返事が聞こえず困惑した。
恐る恐る顔を上げると、意地の悪い笑みを浮かべた青年と目が合った。
「良いですけど、許す代わりに名前を教えてください」
どうやら、面倒な人に捕まってしまったようだ。