レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

 黒いサングラスが揺れる火影を映している。
 そこはモスク図書館内の道場。水墨画の掛け軸のある板間の上、道着に袴のアルジャノンは端座する。その格好は奇怪なまでに風貌にマッチしていた。だらだら伸びた長髪はまるで、長年を山に篭っている修行者のようだ。無精ひげまでが様になっている、この皮肉。つくづく変な仮装のよく似合う男である。
 雰囲気を出すためか、明かりは消して四本の蝋燭を灯しているだけだった。
 アルジャノンは正座で背筋を伸ばし、微動もせず静止している。
 瞑想しているのか、はたまた居眠りしているのか。
 飾られた書画には「人権侵害上等」の墨書。どうやらアルジャノン自身の手になる習字のようだ。雄渾な名筆に見えて、近くで見ると幼稚園児が毛筆で殴り書きした観がある。
 手元には白木の鞘の刀。この暇人の七つの趣味の一つ、居合である。
 おもむろに彼は立ち上がり、腰だめに構える。
「きええええい!」
 奇声もろとも一直線に抜き放った刀。瞬時に四つの燃える灯心だけを切り飛ばしていた。蝋燭は消え、室内は闇に沈む。
 白昼堂々このような奇行に及んでも、咎める者は誰一人としていない。
 修行という大義名分はまったく便利なものである。
 それでようやく心を静めたアルジャノンは刀を掛け軸前の台に戻す。彼はいそいそと続きの書類処理のため、執務室へ引き返していった。



 モスクの魔法学校(セミナリオ)前の公園で、時計は二時を指している。
 複数の分校から生徒が集まるが、クラスごとに時間わけして授業時間帯がずらされているのである。アネシュカとブランシュの授業は三時過ぎからなので、まだ時間がある。
 ベンチで一緒にお弁当を広げる。アネシュカはボリュームのある大きなおにぎりで、ブランシュは薄切りのサンドイッチ。水筒は丈夫なタンク型とスマートな魔法瓶。食事にも性格の差はあらわれるらしい。
「そーいったらさ」
 アネシュカはおにぎりを取り上げながら、切り出した。
「あのお見合いの話、どうなった?」
 ブランシュは飲みかけていたお茶を横にふきだし、ケホケホむせる。心の準備ができていない話題だったらしく、よっぽどびっくりしたらしい。小ぶりな鼻から出てしまった緑茶を、刺繍入りの絹ハンカチで優雅にぬぐっている。
「い、いきなり!」
「ごめん……そんなに驚いた?」
 狼狽するアネシュカをブランシュは軽くにらむ。長い睫毛の下から小さな子供を叱るときの視線を投げている。
「もう!」
 薄い頬を紅く膨らませるブランシュ。気を許した相手にしか見せない表情である。
「ごめ……そんなびっくりするとは思わなかったから……」
「びっくりするって!」
 謝るアネシュカにブランシュは大げさに腹を立てた態度をとる。きゃしゃな肩はいかり肩。それでも目はさほどには怒っていない。
 いまだ興味津々なアネシュカに、ブランシュは先手を打って答えた。
「あのお話なら、お断りしたわ。まだそんなことまで考えがつかないですって」
 ブランシュ・ノスティッツは眉間を曇らせている。名家ノスティッツのお嬢様だけあり、まだ十三というのに将来の縁談申し込みが殺到しているそうだった。
 アネシュカは腕組みし、考えるポーズをとる。
「そうだよねー。でも、ちょっともったいなくない? 写真かっこよかったし、お金持ちだし。まだ十八歳だったら、そんなに歳も離れてないし」
 ブランシュは「違うの」と頭をふる。恨めしげにふうっと溜息した。
「……お父様も、先方のご当主も、後継ぎが欲しいだけなのよ。相手の殿方だって……。わたしは子供なんていらないのに」
「なんで?」
「なんでって!」
 アネシュカの素朴な疑問にブランシュは柳眉を逆立てた。いきなり激した友人にアネシュカは息を飲む。声が高くなったのを自覚してか、ブランシュは声のトーンを落とした。
「だって、わたしと同じような目にあったら、かわいそうでしょ? ……それに……」
 金呪の刺青のことをよほど気にしているらしい。
「きっと、その子はわたしを憎むだろうし。そんなの、耐えられない……」
 ブランシュの悩みは深刻なようだった。
 憂い顔で見つめ合う二人の少女。背後から木陰に隠れてこっそり見ていた赤い影、レッサーパンダのブレイク・ハートに気がつくよしもなかった。
< 11 / 55 >

この作品をシェア

pagetop