レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

 プレート4の列車は森の深くに流れ込んでいく。
「共和国が平等の国だなんて、迷信ですよ」
 カレル・ノスティッツは吐き捨てるみたいに言った。
 セリムにはカレルが出任せの嘘を言っているようには聞こえなかった。カレルはジャーナリストで、インタビューにいく途中なのだという。プレート1の出身だそうで、言葉どおりプレート1のローカルな地理をよく知っている。
「かもしれません。ですけど、とにかく共存はできてますよ」
「……一部に負荷を押し付けて、無理やり成り立つ共存なんて、本当に共存しているといえるんでしょうか?」
 ジャーナリストが体制に批判的なのはよくあることである。
「ノスティッツさん。この社会はちゃんとまわってますよ。いちおう、ですけど」
 おかしな具合だった。人間のカレルが人間主導の共和国をけなし、見た目が木精のセリムがそれを弁護している。
「だとしても。同胞に金呪を課さなければならないことからして、おかしいんです。そこまでしなければ成り立たないんだとしたら……本質的な問題は隠されてるだけで、全然解決なんてしてないんです」
 正論だった。魔法文明のこの世界では魔法の才能が、そのまま人間の値打ちになりがちだ。生まれもった資質が地位や立場に直結する。特に古い時代は絶望的なまでの格差があった。そんな歪みは緩和はされても完全に解消されたとは言いがたい。
 セリムは言った。
「でも最近は、テクネーの普及したおかげで、改善してきてるんじゃないでしょうか?」
「それだって、木精や他の種族からの、ノウハウの搾取でここまできたんでしょう?」
 この共和国でも、初期の頃には人間に根絶やしにされた種族もある。現存する少数種族の居留村は、その傷跡の名残なのだ。
「このプレート4だって、実質、プレート1の統制下に置かれているわけですし」
 カレルは痛い現実をあえて指摘する。木精のセリムがずいぶん共和国に肯定的なことが、不可解でならないらしい。
 セリムは遠い目で流れていく風景を眺める。山の端にはもう夕闇が迫っていた。
「こっちのいうことも、話くらいは聞いてはくれますよ。全国元老院に代表もおくってますし。今では差別も弾圧も、せいぜい、ちゃんとした法律の枠の範囲内です。……どんな形でも、平和で共存できるんだったら。内戦よりは十倍もいいです……もし世界が旧連邦みたいなことになったら、それこそ何もかもおしまいですから」



 モスクの近くにあるドックでは、ハロルド号の外装修理がもう完成していた。新しい塗料で塗りなおされた船は新品に生まれ変わったかのようだった。バルカンも旧式だけでなく、動力源直結の小型エレメントガンを装備した。
「もどったぜ」
「おう、ブレイク。帰ったか、なおったぞ」
 担当の技師長、ジュールじいさんは仕上がり具合に自慢げだ。
「サンキュー。ピカピカだぜ」
「だろ」
「おーよー。助かったぜ」
 ブレイクは上の空だ。ドックの技師長との会話もそこそこに、舷側にかけられた階段をてくてくのぼる。キャビンにもぐりこむためだ。
 一人になりたい気分だった。
 キャビンの二段ベッドの上段が彼の寝床だ。
 毛布に身を投げて、枕もとをガサゴソやる。引っ張り出したのはペンダント。ロケットには古い写真が入っている。
 幼いころのアネシュカだ。胸当てのあるデニムのズボンをはき、髪を二つにしばっている。腕にアライグマのぬいぐるみを抱き、カメラにむかって精一杯気取っている。
 ブレイクは寝っ転がったまま、じっとそれに魅入っていた。やがて眠りに落ちた彼がどんな夢を見たのかは、誰も知らない。



 晩鐘の時刻が迫っている。
 アルジャノンは微妙にエレガンスな法服を着て、渡り廊下からモスクに入った。
 正方形の建物は何列もの列柱に支えられている。中庭から差し込んだオレンジ色の光が、切なげな光の影を投げうっている。柱そのものと、斜光によって生まれる影が幾何学的な模様をつくる。タイルは長年月の重みで優美に擦り減っている。
 はるか昔にはここで毎日、人々が素朴な祈りを捧げたのである。
 彼は中庭を右手に見ながら進み、礼拝聖堂の入り口に立つ。押し開けた扉の先のナルテックス(玄関間)は横に細長い。その両端にある階段のうち、奥のほうへと歩みを運ぶ。
 石造りの折れ曲がった階段を上ると二階のホールに出る。
 そこからは礼拝聖堂内部の様子が見てとれる。暮れなずんでいく光に薄暗く照らされ、天使や聖者の像が沈思に耽っている。そこには人間もいれば他の種族の守護者たちも共に祭られているのだ。迷路を模したモザイクの床や大理石の化粧板には、ステンドグラスからの翳りゆく光が妖しく踊る。
 一段高くなった最奥部には至高の造物主を示すミフラーブ(くぼみ)がある。その左右には地下祭室へ続く階段が口をあけている。さらにその外側にはミフラーブのある黒石祭壇の背後に並んだ、放射状祭室を巡る回廊がある。
 アルジャノンは二階ホールから、鐘塔のてっぺんへと続く螺旋階段を上った。何周も廻らなければならない。それほどにこの塔は高いのだ。
 やがてあずま屋のような、四囲を柱で囲まれた小さな空間に出る。
 等身大の釣鐘を脇にして見渡せば、プレート2(アル・カーヒラ)の世界の端までも一望できるほどだ。
 手近には色とりどりの屋根の家々や、入り組んだ路地が見える。家路を急ぐ人々や、小さな広場で遊んでいる子供たち。視線を遠く転ずれば、緑の大地や耕地。散在する町や村。その中心を定めるモスクやチャペルたち。その果てで、大地の終わりと色を変えた空がやさしい曲線で触れ合っている。
 彼は夕日に浮かび上がった世界を前にしてしばし無言でたたずんでいた。
 それが彼の全世界だった。毎夕、晩鐘を鳴らす前に身だしなみを整えるのは、彼なりの礼儀でありマナーなのだ。
 やがてポケットから金の懐中時計を取り出し、文字盤の秒針を待つ。
 あと四十秒。三十秒。二十秒。十秒。
 ゼロ。
 アルジャノンは鐘の紐を両の手で引っ張って、その日の晩鐘を打ち鳴らす。その高らかな音が街に、一日の終わりを告げ知らせる。休息の夜の訪れを宣言し、世界に晩餐と眠りを与える。それは彼の仕事であり、義務であり、特権だ。
 彼はこの世界の主人であり、王様でさえあり、しかも囚われ人なのだから。
 もう一生、共和国のプレート2から出ることはできない。街に出ることさえ自由ではないのだ。与えられた金呪はそれを許さない。もしも禁を犯せば、即座に国家反逆罪に問われることだろう。
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