レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載
第三話 禁呪の国の少女たち(後編)/異変
1
「ブレイク! ブレイク!」
誰かが呼んでいる。
ブレイクはむっくりと起き上がった。
闇。記憶をたぐりよせる。ここはハロルド号のキャビン、プレート2のドック内だ。
「ブレイク!」
聞きなれた声はキャビンの入り口の方からだ。時計の針は午後八時前をさして、蛍光塗料で光っている。
「どーしたっ!」
「非常召集だそうだ」
技師のおやっさんは持ち前の落ち着きで答える。
「非常召集?」
その単語が寝ぼけ頭の中で反響し、一気に脳細胞を覚醒させる。
ブレイクは低い上段ベッドから飛び降り、階段を四段飛ばしで跳ね上がる。
「戦争でも起きたかっ!」
プラネット3‐4の戦闘から昨日の今日である。帝国との正式な開戦も、あながちありえない話ではないかもしれない。改めて宣戦布告でもしてきたのだろうか?
しかしプレートの位置関係からして、ずいぶんと距離がある。次の帝国側プレートとの接近はプレート4、それも三ヶ月も先のはずだった。そんなタイミングからすれば、さして奇襲に有利とも思えない。
「まさか。そう慌てるな」
「どーしたってんだ?」
ドック内を見る限り、大事が起きたふうでもなかった。並んで停泊したボート級七隻は、特にあわただしい様子もない。警報のサイレンも黙ったままだ。
どうも非常召集はブレイク一人へのものらしい。
「まあ落ち着け、ブレイク」
おやっさんは走り出す方向がわからないブレイクに示唆を与える。
「『非常召集』は、喩えだそうだ。総長が、お前さんに用があるってよ。司書のキアラから内線で連絡がきたんだ。第三資料室に来いって」
アルジャノン・ヒッピアスから呼び出し。第三資料室はリラックスする場所だ。
「あらかた、飯でも食いに行こうってんじゃないのか?」
アルジャノンは一人で外出できない。だから外征帰りのブレイクに「一杯おごる」口実で町へ出ようとでもいうのだろう。
「…………おうよっ! 行ってくるぜ」
ブレイクは足の爪でコンクリートを引っかいて駆け出した。
2
プレート2の第三学寮。
「さっぱりしたよー」
アネシュカは赤い頭をバスタオルでふきながら、ドアを開く。
相部屋のブランシュは、ちょうど洗面器のお湯でタオルを絞っているところだった。
「……ブランシュも、入ってきたら? 今は人、少なかったよ」
半そでのある肌着姿のブランシュは、湯気のたつタオルを手にして、「うーん」とうなった。困った顔で部屋に視線をさまよわせている。
「どーしよー」
迷っている。迷っているふりをしている。乗り気になれない提案を却下しかねて困惑しているのだ。だがどうやら結論は否定的らしい。
「そんなに気にすることないって」
アネシュカは気軽になるようにうながした。
「でも……」
ブランシュは目線をそらして抗弁する。
同じ学校に入学し、相部屋になって早二週間。ブランシュは数えるほどしか風呂に入っていない。本人の弁明では二日に一回はお風呂に入っている、そうでない日は身体をふいている、のだそうだ。しかし共用の浴場で背中の刺青を見られるのを嫌い、人の少ないときにシャワーだけを使うのが常である。肩にタオルをかけて隠しているから、なかなかしっかり湯船に浸かれないのだ。ゆえに毎回、鴉の行水である。
まことに良家のお嬢様らしからぬ行状だった。
本人もかなり気にしているようでノイローゼ気味、香水の使用量も増えたそうだ。
「さっぱりしたほうが、精神えーせーにもいーよ」
間。沈黙。
「ほんとに、人少ない?」
ブランシュはためらいがちに念を押す。アネシュカがうなずくと、ブランシュはベッドの上の着替えを手にとって立ち上がった。箪笥からバスタオルを取り出して小脇に抱える。
「ちょっと見てくる」
ブランシュが部屋を出て行ってしまうと、アネシュカは書架の本を手に取った。
ぶ厚い参考書だ。こう見えてかなりの勉強家だった。最初のころ、「人は見かけによらない」などとブランシュが感心していたくらいである。
アネシュカが学習机に座り、しおりのページを開いたとき、ドアが開いた。
「あれ?」
ブランシュだった。うつむきかげんで浮かない顔をしている。フラストレーションが溜まっていることは表情に如実に表れていた。
「人が、いた」
「そんなこと言ってたら、キリないって」
呆れ顔のアネシュカにブランシュは申し訳なさげだ。
「もし夏になったら、どーするのさ」
移動するプレートでは季節の変化もかなり変則的である。
「……よーし!」
アネシュカは時計を見て切り出した。もう八時も廻っている。
「もうちょっとしたら、いっしょに行こ。あたしももう一回入る。もう八時だし、九時か十時くらいになったら、もっと空くよ」
ブランシュはおそるおそるといった感じで「でも」と小さく抗弁する。
極端に内気で心のガードが固い。それは脆さの裏返しなのかもしれなかった。
やがてブランシュは妙なことを口にする。
「アネシュカは、キスってしたことある?」
突然の質問にアネシュカは目をしばたたく。
「ないよ。なんで?」
「キスしてくれたら、一緒にお風呂に行く」
ブランシュの交換条件はまるきり子供の言い分だった。
そのくせ面持ちは真剣なのだ。
「どこでもいいから」
「いーよ。おでこでも、ほっぺたでも……でもお風呂に入るんだったら。そのあとでね」
「約束してくれる?」
「する」
「うん」
ブランシュは天使のような笑顔になった。ものごころつく前の子供が母親に向けるのと、同質の感情なのだろうか。とにかく学校でのツンケンした態度とは真逆もいいところだ。
「なんで急にそんなこと」
片眉を上げるアネシュカに、ブランシュは楽しげに手で口許を覆う。
「ちゃんと好かれてるのかなって」
「そーゆってるでしょ?」
「うん!」
どうやら平素がドライな分、気を許した相手にだけはとことん甘えたがるらしい。
「ブレイク! ブレイク!」
誰かが呼んでいる。
ブレイクはむっくりと起き上がった。
闇。記憶をたぐりよせる。ここはハロルド号のキャビン、プレート2のドック内だ。
「ブレイク!」
聞きなれた声はキャビンの入り口の方からだ。時計の針は午後八時前をさして、蛍光塗料で光っている。
「どーしたっ!」
「非常召集だそうだ」
技師のおやっさんは持ち前の落ち着きで答える。
「非常召集?」
その単語が寝ぼけ頭の中で反響し、一気に脳細胞を覚醒させる。
ブレイクは低い上段ベッドから飛び降り、階段を四段飛ばしで跳ね上がる。
「戦争でも起きたかっ!」
プラネット3‐4の戦闘から昨日の今日である。帝国との正式な開戦も、あながちありえない話ではないかもしれない。改めて宣戦布告でもしてきたのだろうか?
しかしプレートの位置関係からして、ずいぶんと距離がある。次の帝国側プレートとの接近はプレート4、それも三ヶ月も先のはずだった。そんなタイミングからすれば、さして奇襲に有利とも思えない。
「まさか。そう慌てるな」
「どーしたってんだ?」
ドック内を見る限り、大事が起きたふうでもなかった。並んで停泊したボート級七隻は、特にあわただしい様子もない。警報のサイレンも黙ったままだ。
どうも非常召集はブレイク一人へのものらしい。
「まあ落ち着け、ブレイク」
おやっさんは走り出す方向がわからないブレイクに示唆を与える。
「『非常召集』は、喩えだそうだ。総長が、お前さんに用があるってよ。司書のキアラから内線で連絡がきたんだ。第三資料室に来いって」
アルジャノン・ヒッピアスから呼び出し。第三資料室はリラックスする場所だ。
「あらかた、飯でも食いに行こうってんじゃないのか?」
アルジャノンは一人で外出できない。だから外征帰りのブレイクに「一杯おごる」口実で町へ出ようとでもいうのだろう。
「…………おうよっ! 行ってくるぜ」
ブレイクは足の爪でコンクリートを引っかいて駆け出した。
2
プレート2の第三学寮。
「さっぱりしたよー」
アネシュカは赤い頭をバスタオルでふきながら、ドアを開く。
相部屋のブランシュは、ちょうど洗面器のお湯でタオルを絞っているところだった。
「……ブランシュも、入ってきたら? 今は人、少なかったよ」
半そでのある肌着姿のブランシュは、湯気のたつタオルを手にして、「うーん」とうなった。困った顔で部屋に視線をさまよわせている。
「どーしよー」
迷っている。迷っているふりをしている。乗り気になれない提案を却下しかねて困惑しているのだ。だがどうやら結論は否定的らしい。
「そんなに気にすることないって」
アネシュカは気軽になるようにうながした。
「でも……」
ブランシュは目線をそらして抗弁する。
同じ学校に入学し、相部屋になって早二週間。ブランシュは数えるほどしか風呂に入っていない。本人の弁明では二日に一回はお風呂に入っている、そうでない日は身体をふいている、のだそうだ。しかし共用の浴場で背中の刺青を見られるのを嫌い、人の少ないときにシャワーだけを使うのが常である。肩にタオルをかけて隠しているから、なかなかしっかり湯船に浸かれないのだ。ゆえに毎回、鴉の行水である。
まことに良家のお嬢様らしからぬ行状だった。
本人もかなり気にしているようでノイローゼ気味、香水の使用量も増えたそうだ。
「さっぱりしたほうが、精神えーせーにもいーよ」
間。沈黙。
「ほんとに、人少ない?」
ブランシュはためらいがちに念を押す。アネシュカがうなずくと、ブランシュはベッドの上の着替えを手にとって立ち上がった。箪笥からバスタオルを取り出して小脇に抱える。
「ちょっと見てくる」
ブランシュが部屋を出て行ってしまうと、アネシュカは書架の本を手に取った。
ぶ厚い参考書だ。こう見えてかなりの勉強家だった。最初のころ、「人は見かけによらない」などとブランシュが感心していたくらいである。
アネシュカが学習机に座り、しおりのページを開いたとき、ドアが開いた。
「あれ?」
ブランシュだった。うつむきかげんで浮かない顔をしている。フラストレーションが溜まっていることは表情に如実に表れていた。
「人が、いた」
「そんなこと言ってたら、キリないって」
呆れ顔のアネシュカにブランシュは申し訳なさげだ。
「もし夏になったら、どーするのさ」
移動するプレートでは季節の変化もかなり変則的である。
「……よーし!」
アネシュカは時計を見て切り出した。もう八時も廻っている。
「もうちょっとしたら、いっしょに行こ。あたしももう一回入る。もう八時だし、九時か十時くらいになったら、もっと空くよ」
ブランシュはおそるおそるといった感じで「でも」と小さく抗弁する。
極端に内気で心のガードが固い。それは脆さの裏返しなのかもしれなかった。
やがてブランシュは妙なことを口にする。
「アネシュカは、キスってしたことある?」
突然の質問にアネシュカは目をしばたたく。
「ないよ。なんで?」
「キスしてくれたら、一緒にお風呂に行く」
ブランシュの交換条件はまるきり子供の言い分だった。
そのくせ面持ちは真剣なのだ。
「どこでもいいから」
「いーよ。おでこでも、ほっぺたでも……でもお風呂に入るんだったら。そのあとでね」
「約束してくれる?」
「する」
「うん」
ブランシュは天使のような笑顔になった。ものごころつく前の子供が母親に向けるのと、同質の感情なのだろうか。とにかく学校でのツンケンした態度とは真逆もいいところだ。
「なんで急にそんなこと」
片眉を上げるアネシュカに、ブランシュは楽しげに手で口許を覆う。
「ちゃんと好かれてるのかなって」
「そーゆってるでしょ?」
「うん!」
どうやら平素がドライな分、気を許した相手にだけはとことん甘えたがるらしい。