レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

第五話 辺獄の空の上で(後編)/傷跡


 プレート2、アル・カーヒラではもうじき夜が明ける。
「ブランシュ、もう痛くない?」
「……うん、だいぶ。もうそんなには痛くない」
 一つベッドでまどろんでいたアネシュカとブランシュはひどく疲れてしまっていた。
 遮光カーテンの隙間から明澄な朝の光が差し込んでくるのは時間の問題だ。
 朝五時。今日は土曜の休日だった。
「もうちょっと寝る?」
「うん」
「そしたら、あとでどこかご飯食べにいこっか?」
 学寮の食堂は土曜日がお休みである。
「うん」
 ブランシュは安心しきったふうでアネシュカの汗ばんだ手を握りしめる。それから親友の腕を枕に頭をあずけ、もいちど目を閉じた。



 セリムがエンヴェル・クライストと会談したのはその日の明け方前だった。
 あと小一時間でカレル・ノスティッツの山狩りが動き出す。
 会談相手は案の定、警備軍の建物を嫌った。しかし意外なことに近くに出向くことは承諾したのである。エンヴェルが頼んで、向かいにある喫茶店を早く開けてもらったのだ。
「朝食の誘いとは」
 エンヴェルは旧友との再会に嬉しげではあったものの、事情が事情だけに当惑気味であったことは否めない。
 外観は正味十代の終わりか二十代の初めにしか見えなかったが、髭をたくわえていた。しかも人生経験のせいか独特の風格がある。セリムの髪と同じ色合いの、濃緑の光沢があるしっかりした黒い毛質だ。肌の色はやや濃く、種族の特徴である木目もセリムよりはっきりしている。紳士的な物腰でグレーのスーツに青いネクタイを締めている。
 付き添ってきた木精独立派の護衛は服装もまばら、タンクトップのスキンヘッドを筆頭に、私服・作業服の者もいる。総勢で十人近い。一様に殺気立っている。セリムまでを敵視している節がある。
「悪く思わないでくれ。彼らは護衛のつもりなんだ」
 エンヴェルはとりなすように詫びる。
「護衛?」
「お前らからだよ、暗殺とか汚いことしやがるからよ」
 スキンヘッドが吐き捨てる。
 あながち杞憂とも言い切れなかった。過去にそういった事例はなくもない。
 けれどもセリムは感情を害したらしい。
「ぼくは、そんなことはしない」
「判るもんか」
 野次を飛ばされたセリムは人形のように無表情になる。
 やむなくブレイクが横から助け舟を出した。
「よっぽど信用がねえんだな。ゆっとくけどよ、オレら、プレート1の連中とは違うぜ? 所属はプレート2なんだから」
「判るもんか」
 独立派の一団はさかんにブツブツと囁きあっている。
 独立派の頭目は部下たちに向かい鷹揚になだめるように指示した。
「君らも。せっかく古い友人と会ったんだ。少し、二人で話をさせてくれないか? ジュマル、他の者たちと別テーブルに。トーストでも食べて待ってくれ」
 ジュマルと呼ばれたスキンヘッドのマッチョな木精は、懸念したように忠告する。
「気をつけてくださいよ……毒でも盛られるかもしれんぞ」
 たとえプレート2であれ、人間の手先に対する不信感は強いようである。
「まさか。ここはプレート4の奥地だよ。それに危害を加えたいなら、もっと手っ取り早い手をとっているさ。現にわたしはここに立っている、それなのにまだ矢の一本も飛んできていない。警戒は必要だが、いたずらに敵を挑発するのは賢くない」
「それはそうだが」
「だいたいみんながみんな、そんな稚拙な手を使うわけじゃないさ。対話のチャンスは活用しないと……まだこうやって会話ができるうちに……」
 エンヴェルは場数を踏んで、危険に慣れているらしい。
 セリムとエンヴェルは店の中ほどの席に向かい合って腰を下ろす。
「モーニングのAセットで……無理を言ってすまない。こんな朝早くに」
 注文するエンヴェルに、同種族のウェイターは「とんでもない」と首を振った。どうやらエンヴェルはプレート4の一部ではそれなりの名士扱いになっているらしい。
「ぼくも同じものを」
 店長はセリムにも「かしこまりました」とうなずく。
 他の者たちは窓際などにエンヴェルの席を守る形で陣取った。
 ブレイクは入り口近くの席でスキンヘッドのジュマルと対座している。二人で食パン一斤と牛乳一リットル、小型バター二分の一本。加えて厚切りハムステーキの目玉焼き乗せ。幸い材料は店に買い置きがあるらしかった。
 朝早く叩き起こして繰り上げ開業させたのだから、コーヒー一杯くらいで茶を濁してはかえって失礼というものだった。彼らとて遊びで店をやっているのではない。
 そこでジュマルが代表し、やや寝ぼけ眼のままで怖がっているウェイターに頼んだ。
「全員にトースト。それと厚切りハムステーキ目玉焼き載せを」
 早朝で人手も足りないようだったし、あまり色々注文するのも混乱させそうで気の毒だった。飲み物も牛乳かホットコーヒーで統一することにする。ラフな外見のくせに世話役気質で気の廻る男のようである。
「わたしたちも同じものにしようか」
 エンヴェルはにこっとセリムに同意を求め、まだその場にいた店長にその旨を告げる。
 やがてもう一度奥から出てきたウェイターが先に皆に緑茶を注いでくれた。
 どうやら騒動が起きるのを警戒している節もあったかもしれない。
 スキンヘッドのジュマルはさりげなく、ブレイクの前に差し出されたコップをさらい、かわりに自分に差し出そうとしていたコップを置かせた。木目のある筋肉質の腕にはアラベスクの刺青と文字、その呪文めいた標語は「林檎園を忘れるな」である。
 どうやら注文メニューを統一したことも、誰がどれを食べるか直前までわからなくしたかったのかもしれなかった。いかつい見かけによらず神経質らしい。
 レッサーパンダの小兵、ブレイク・ハートは背もたれにふんぞりかえって、尊大に緑茶をすすった。そのうちのウォッカの瓶を片手に葉巻でもくわえそうな勢いである。余裕のポーズでジュマルと無言でにらめっこしている。目をそらしたら負けだ。
 それから皆一様にセリムとエンヴェルの会話に耳を澄ましていた。
「元気そうでなによりだ」
 エンヴェルの感情の吐露に偽りはなさげだった。
「あなたも」
 セリムもまたほっとした様子で相好を崩す。
 貫禄こそついたものの、最後に会った頃とさして変わってはいない。
 幼き日、まだ両親が健在で、旧連邦の木精の自治プレートにいたころ。年上のエンヴェルにはよく遊んでもらった。そして内戦が始まってからもちょくちょく会う機会があった。木精の中にはハーフ(実質は木精だが、父親が人間)のセリムを忌み嫌うものもいたが、エンヴェルは特に態度を変えることもなかった。
「セリムは今はプレート2にいるんだって?」
 共和国に難民として送られたことはエンヴェルも知っている。しかし別れた時点ではどのプレートに行くかまでは見当がつかなかった。
「実はモスク・ルージュで働いている」
「それならぴったりだ。たしかアルジャノン・ヒッピアスのところだろう?」
 護衛たちの顔つきがやや和んだようだった。
 アルジャノンはどういうわけか、他の種族にも比較的に受けがよいらしい。過去にプレート1の緑十字審問委員会と大喧嘩したことは、彼の評判を大いに高めたようだ。古き良き共和派を信奉するアルス使いの典型的模範の代表例でもあった。
「そうなんだ。一昨日前まで、プラネット3‐4まで行って警備に当たっていた」
「それは大変だったな」
 帝国側と大規模な交戦があったことは知れ渡っている。だがねぎらいの言葉とは対照的に、エンヴェルの語調はやや冷たい。
「あのプラネットは、あと少しで沈むところだった。復旧の目処もまだたっていない。自分の目で見てきたから、どれだけ被害が大きかったかはよく知ってる」
 そこまで言ったとき、二人の間に沈黙が落ちる。エンヴェルは無言ながら、セリムの言わんとすることが予知できたらしい。
 セリムが再び口を切る。
「あのジャーナリストの……」
「うん。昨日の晩遅くに聞いた。最初の通信での自己紹介とは違うけど、どうも本当は、帝国から来たらしいって。話くらいは聞いてみたかったな」
 エンヴェルは鷹揚に不遜な言葉を口にする。
「帝国は、信用できないよ。あいつらのやり方は……」
 セリムは困ったみたいに眉をひそめる。エンヴェルは問い返した。
「じゃ、プレート1の連中は信用できるのか?」
 エンヴェルは戸口の方に視線を滑らせる。そこにはブレイク・ハートがいる。
「身内にまであんなマネをする奴等が」

 そのときブレイクは相席のジュマルと、なにやら深刻に話し込んでいた。
「プレート1に林檎園があったんだ」
 スキンヘッドの木精ジュマルは苦渋に満ちて告白する。
「役人どもが『ここは人間の居住エリアになった』って潰しちまいやがったんだ。『接収』とか抜かしやがったけど、あんなもん『強盗』とか『侵略』だ」
 憤懣やるかたないジュマルは怒りに拳を震わせている。どうやらその事件こそが、果樹栽培農家の息子だった彼を、独立運動にまで駆り立てた直接のきっかけだったらしい。
「『プレート4に指示して、かわりの土地をやる』って。あいつら果樹園を育て上げるのに、どれだけ時間と手間がかかるかわってないんだ。じいちゃんが、若いころから苦労してあそこまで育てたってのに。何でも金と権力で片がつくと思ってるんだ」
 ブレイク・ハートは静かに訊ねた。
「で、林檎園はどうなった」
「壊して、運動場になった」
 ブレイクは嘆かわしげに頭を左右させる。彼は林檎が一番の好物だったのだ。
「もったいない。国家的損失だな。せっかくの林檎を」
「わかってくれるのか? 俺の怒りを」
「おーよ。アップルパイにかけて宣誓するぜ」
 ブレイクとジュマルはなにやら変な具合に意気投合している。ハラハラしながら見守っていた他の独立派メンバーはほっとして、黙って食事を再開した。

 エンヴェルはセリムに微苦笑した。気を静めたらしく、コーヒーに砂糖を溶かしながら眺めている。
「セリムは、いい友人に恵まれたみたいだ。安心したよ」
「悪い人たちばっかりじゃあ、ないんだよ」
 セリムは説得する口調が出てしまう。エンヴェルは穏やかに答えた。
「……わたしだって、なにも人間や、他の種族を排除しようとか、そんなふうに考えてるわけじゃないんだ。一緒に住んでいて、争いごとになるのは悲しいことだからね」
 エンヴェルの言葉には崩壊した旧連邦の実体験からくる、真実の感情がこもっている。それはセリムもまた共有している感情だった。それだけに納得がいかない。
「だったらどうして……」
 プレート4独立を主張するデモなど行ったのか。
「力づくで独立戦争をやろうってわけじゃないさ。それができたら楽なんだろうけど。現実的な話、そんなことをしたらプレート4は弱小国になってしまうし。プレート2や3だけじゃなくって。あの忌々しいプレート1にしても同じことで、お互い『離婚したくても離婚できない夫婦関係』みたいなもんさ」
 エンヴェルは言葉を続ける。
「だからわたしたちは『確認』したかったんだ」
「確認?」
「『各プレートの離脱権』は共和国憲章にも明記されている。近頃のプレート1のやり方は、どんどん勝手になってきている。だから『あんまり酷いことをすると、プレート4は共和国から離れる』って、『脅し』や『牽制』ってところなのさ。権利や立場を守るには、たまには強い主張だって必要だよ……その辺の趣旨は、こちらの役所にも繰り返し説明してあるし、政治家の中にだって一定の理解者はいる」
 セリムは黙ってうつむいていた。
 コーヒーを飲んでいるエンヴェルの顔に目線を上げる。
「どうかしたかい?」
 エンヴェルはセリムの面持ちの変化を悟ったらしい。
「じゃ、本気じゃないと?」
「もちろん。現実を考えに入れ……」
「……いざとなったら?」
 セリムはエンヴェルを睨んでいる。眼差しは暗い。胸の奥に沈んでいた強迫観念じみた不安が急速にフラッシュバックしてきているのかもしれなかった。
「いざとなったら、どうするの。旧連邦の内戦だって、デモが警察と衝突して、暴動になったんだ。仮に威嚇だけのつもりでも、充分喧嘩のきっかけにはなりうるよ? もし、もしも話がこじれて……」
 エンヴェルはさえぎるみたく、簡素に告げた。
「戦う」
 静謐。その場の温度が下がったような気がした。
 セリムはごくりと喉を鳴らす。
「人間と?」
「そう、主に人間と。殴られるよりは殴った方がいい。殺されるよりは殺した方がいいだろう? わたしは…………君と別れた後、しばらく非人間種族の絶滅収容所にいたんだ」
「絶滅収容所?! つかまっていたの?」
 セリムは背筋がぞっと冷たくなる。
 エンヴェルは安心させるように、つとめて微笑する。目は笑っていない。軽い口調で話しながらも笑えないのだ。
「でも、見張りの人間をガラスの欠片で刺して、逃げた。それからパルチザン(抵抗軍)に入って『自衛戦争』の練習も、実戦もずいぶんやってきたんだ。……もしわたしが優しかったら、今ごろ生きてここにはいない」
 エンヴェルは殺人鬼のように目をぎらぎらさせてきた。
「今でも、収容所で撃ち殺される夢をよくみて。そんなときは『人間は害虫だ、駆除しろ』って、パルチザンの『信条告白』を唱えることにしている。歌くらい長いけど、あのころは一日に四回はみんなで唱える規則だったから、文句を間違えることは絶対ないね」
 セリムは旧友との間に救いがたい断絶の距離を感じていた。
 強制収容所の悲惨さやパルチザン闘争の凄絶さは間接的にだったが知っている。
 一度でも異常な体験に慣れてしまうと、もはや他の、穏健な考え方ができなくなってしまうのかもしれない。エンヴェルはもう、昔のエンヴェルではないようだった。内戦のトラウマで脅迫観念にとりつかれたこの男は、いざ選択を迫られれば、現実との妥協よりも一切の破滅を選ぶだろう。
 セリムは胸が苦しくなった。

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