レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載
 別れ際、セリムはさりげなく、帰ろうとするエンヴェルに告げた。
「ぼくもよく、悪い夢を見る。人が沢山死んでいる夢とか」
 ごく一部とはいえ、セリムもまた旧連邦の惨状を目撃していた。
「ほう」
 セリムは間を置いて、肝心なことをゆっくりと話した。
「人や木精の友達を殺す夢を」
 冷酷なまでに抑揚がないセリムの告白にエンヴェルは目を瞠る。
「連邦のときみたいなことが繰り返すくらいだったら、もしそれを止めるためだったら、ぼくは誰でも撃つ」
 たった三秒の沈黙は、旧友たちの間にずいぶん長く感じられた。
「心得た」
 エンヴェル・クライストは淡白に応え、最後にこう告げた。
「だけどわたしだって、たまに幸せな夢も見るんだ。……どこか違う場所で、少年時代をやり直している夢だ。学校に砲弾が撃ちこまれることもないし、校庭に警備の民兵もいない。君も、同じ教室で授業を受けている」
 懐古するみたく目を閉じたエンヴェル。セリムはまた胸がつまって苦しげに答えた。
「そうだったら、よかったのに」
 そしてエンヴェルは分離独立派の同志たちと共にその場をあとにした。
 ブレイク・ハートは隣りでセリムの顔を見上げる。
「これでよかったのか?」
「……ぼくだって、とっくに生きてる気がしないんだ。たまに本気でそう思う。ずいぶん前に死んでるんじゃないのかって、そんな気がよくする」
「そうか」
 ふたりは道の向かいの警察署に引き返すことにした。
 もうじきカレル・ノスティッツの山狩りが始まる。



「あ、パンダのイタリアン」
 声を上げたのはアネシュカだった。
「およっ。『休日ブランチセット』『学生様割引』だって」
「うあ。いいかも」
 ブランシュもあっさり賛成する。時間が早いおかげで割とすいているようだ。
 店に入るとパンダが「いらっしゃい」とカウンターから挨拶した。
「わ。パンダ」
「アネシュカ! 失礼だよ」
 ブランシュにたしなめられるアネシュカ。子供っぽくキラキラ目を輝かせている。彼女は感動した口調で嘆息した。
「パンダのイタリアンって、あの看板は本当だったんですね」
 学寮に引っ越して二週間。まだ町のことで知らないことも多い。
 注文をとりにきた店長ドン・クーフーは別段気を悪くしたでもなく、ワインレッドのエプロンに胸を張る。
「はい。嘘偽りは申しません。わたしが二冠の鉄人、ドン・クーフー。本日の日替わりメニューは……」
「二冠?」
 アネシュカがしょうこりもなく、質問する。
「こんなパンダですが、それでもイタリアン料理と武術に魂をかけております」
 パンダは力強く胸を叩いた。豪壮な動作に哀しい居直りが見え隠れしている。ふたりは顔を見合わせ、ちょっと楽しさにふきだす。
「武術……ですか」
「はい。最強の拳法、アラビアン・アーツの奥義継承者です。……その起源は、かつて地上に存在した幻の大陸ユーラシア、伝説の英雄マホメットにまで遡ります」
「ほへ」
 二人の少女は顔を見合わせる。
「彼は貴族の大富豪で、無敵の強者でナイスガイでありました。ですがその当時の社会はあまりにも悲惨な無明時代の真っ只中にあったのです」
 クーフーはそこで深い詠嘆をこめ、言葉を区切る。
 アネシュカは興味津々、昔話に聞き入っている様子だった。
「世は腕力、強いもの勝ちの暴力の世界でありました。弱い立場の寡婦や孤児は虐待を受けて泣いておりました。女児を育てずに間引いてしまうような、残酷極まりない悪習までも横行し、大人の女性にすら人権そのものがありませんでした」
「それって、メチャクチャ酷いんですけど」
 アネシュカはぷうっと頬を膨らませる。
「しかしアラビアン・アーツは……無知な民衆を迷信で騙していた、悪い貴族や悪代官どもを成敗しました。そして力や財産のある者には社会貢に献せよと説き……現代から見れば不十分ながら、女子供にも一応は生存や権利の確保がなされました。愛と勇気と寛容の教えはユーラシアの西半分に千年の繁栄をもたらして……」
 ほとんどハードボイルド小説か、『世紀末救世主伝説』の映画のような物語である。
「…………おや?」
 熱く語っていたドンは二人の少女に見覚えがあった。
「お嬢さん方、昨日の昼過ぎに、店の前を通りませんでしたか?」
「え、はい。でもどうして」
 目をパチパチするアネシュカにドンは説明した。
「いえね、昨日たまたま居合わせた知り合いが、気にしているみたいだったんで」
 アネシュカは天井を見上げて思い出そうとする。もちろん手がかりが少なすぎる。
「見た目はレッサーパンダなんですが」
「レッサーパンダ?」
「ほら、赤いアライグマのような」
 そのヒントで、アネシュカは「あ」と声を発し、ぱちっと手を叩いた。
「腹黒赤アライグマ」
「そーゆー見た目ですね。でもそんな悪い奴じゃないです……たまに凶暴ですが」
「あいつのこと、何かご存知なんですか?」
 アネシュカが興味津々にテーブルから身を乗り出す。
 ブランシュは不安そうに目を伏せていた。
「奴はブレイク・ハート。わたしの武術の弟分のようなもので、最終的には新歩兵式古蘭掌で印可をとらせました。回転力を活用した接近戦、銃器の使用にも長けた流派ですね」
 パンダは両腕を広げて、横に回転するそぶりをみせる。どうやら流派の特徴を説明しようとしているらしかった。女の子にそんなマニアックな話をされても困ってしまう。
「他にヒントは? むこうがこっちを知ってるんだったら、わたしもどこかで会ってるのかも」
 クイズ気分で続きをねだるアネシュカ。ブランシュは話を切り上げさせようとしてタイミングがつかめない。
「それと、記憶が正しければ、元はプレート3の出身で、ほんの一時期はプレート1にもいたと。本名はヴァーツラフとか、たしかそんな……」
 楽しげだったアネシュカの顔から、一転して表情が消える。
「……ヴァーツラフ?」
 ブランシュは上目遣いにドン・クーフーを叱るみたく睨み、唇を噛んでいた。

 一気に空気が冷え込んでいく。
「ごめんなさい。……薄々は気がついてたの」
 ブランシュは慰めるべきか、弁解するべきかわからず、うろたえている。
「でも、急いで話しても、きっとアネシュカを混乱させるだけと思ったの。こういうことって、打ち明けるタイミングもあるし。勝手に本人の内緒をばらすのも……」
 アネシュカはうつむいたままだ。パンダは口をあけたまま呆然としていた。
 ブランシュはアネシュカの手に手を重ねる。
 アネシュカはゆっくりと首を友人にふりむける。目が怖かった。
「うそつき」
 ブランシュの目にいっぺんに涙がたまっていく。
「うそつき」
 アネシュカはもう一回、同じ罵声を呟いた。だんだんいたぶる口調になる。
「うそつき」
 三度目でブランシュの頬を涙がぬらす。アネシュカは両手で顔をおおったブランシュの、形のいい耳元に口を近づけた。赤と金の髪がどうしが触れる。ブランシュは指の間から目の動きだけで友人を見る。アネシュカの怒りように怯えていた。
「朝方のアレも、仮病なんじゃないの」
「ち、ちがうの! そんなこと!」
 必死で打ち消そうとするブランシュ。パンダはどうしたらいいかわからない。
 アネシュカは意地悪くテーブルに頬杖ついて、こころもち下から顔をのぞきこむ。冷徹にトドメを刺すみたいに言った。
「あんたって、ずっるい女だよねえ。……なにが『結婚は嫌だけど恋は別』よ。そうやってすました顔して、そーやって、嘘泣きで何人騙したのよ。気取っちゃってさ、裏では男に媚売ってるなんて最っ低!」
 愛情が逆転してこの上ない悪意になってしまったらしかった。
「ちょっとでも憧れたわたしが馬鹿だった。あんたはそこらの金持ちの馬鹿娘とは違うと思ったけど、上っ面だけで中身は同じじゃん。見てくれがいいだけにタチ悪いってヤツ? はらわた腐った性悪女……」
「お嬢ちゃん! お嬢ちゃん!」
 パンダのドン・クーフーはとにかく、罵詈雑言を止めようとする。だが頭に血が上ったアネシュカは訊く耳を持たない。赤毛の少女の口からどす黒い悪意が決壊する。
「昨日のさ、シェイクスピアだっけ? あんたって、いっつも、誰にでもそーゆーことやってるんじゃないの」
「してないもん!」
 ブランシュはぎょっとして顔を上げる。泣きはらした顔を真っ赤にして叫んでいた。
「そんなこと……そんなこと、ない!」
「うそつき!」
 アネシュカはブランシュのスカートを払うようにめくった。
「黒いパンツなんて、浮気女の色だよ!」
 昨晩の入浴の際には「大人っぽい」などと単純に羨ましがって賞賛さえしたのだ。坊主が憎ければ袈裟までも憎くなるものらしい。
「嬢ちゃん!」
 さすがに怒った声になるパンダ。しかしブランシュの方が手が早かった。
 ブランシュの細い指が素早くアネシュカの首に巻きつく。
「死んじゃえっ! 死んじゃえ! 死んじゃえっ! せっかく好きになったのに! お兄ちゃん以外で誰か好きになったの、初めてなのに! あなたとなら、結婚してもいいって思ったのに! なんであなたまで女なのよ! イッペン死んで、生やすもん生やして生まれ変わってきなさいよ!」
 錯乱したブランシュは泣き叫びながらアネシュカの喉を締めあげる。赤い髪がグラグラ揺れた。ブランシュは赤くなった顔が涙と鼻水でグズグズだった。夜叉のような凄まじい形相は鬼気迫っている。とっくにまともな分別がついていない。
「心中してやる! 心中してやる! 心中してやる……このまま無理心中してやるっ!」
 ブランシュは怒りながらも、天啓のようなアイデアに次第にうっとりとして叫んだ。
 もしもパンダが引き離さなかったなら、そのまま最後の最後、悲劇的な結末までいってしまったかもしれなかった。
「お、落ち着くんだ! ふ、ふたりとも!」
 本性をむきだしにした少女たちの修羅場、武術達人ドン・クーフー師範もたじたじだ。
 アネシュカはゲホゲホと締められていた喉をさする。すぐに猛った鬼女のように喚きたてながら立ち上がり、平手を振り上げた。
「朝方の晩にも顔に肘撃ちしたわね! 辛そうだったから大目に見てあげたのに!」
 万策尽きたパンダはアネシュカを担ぎ上げた。そのまま店の外に走り出る。他に解決方法がなかったのだ。
「お嬢ちゃん、ね、落ち着いて。ね、ね」
 アネシュカを地面に下ろしながらたしなめる。彼女は怒りにかられ、パンダのふかふかした膝小僧を蹴飛ばした。
「なンにが、『ね』だよッ! お前が死『ね』よ! あんたまでブランシュの肩もつのね! 同じ白黒だからって、ブランシュにさかってんじゃねーぞッ、ぼけッ!」
 少女は怒り狂って、小石を拾う。店のガラスに投げつける。
 びしっ! ガラスに雪の結晶のようなひびが入る。
 ローティーン、ギャングエイジの少女はまことに凶暴であった。
 アネシュカはもう一個、次の投石のために石をさがす。大いに慌てたパンダは、後ろから羽交い絞めにして止めようとする。少女は怒りに燃えて叫んだ。
「エッチ! ちかんっ! ヘンタイ! 変質者っ!」
「お、落ち着くんだっ!」
 アネシュカは赤毛の髪を獅子舞のように振り乱し、目を血走らせて噛みつかんばかりだ。
「放せっ、放せよ! パンダのくせに! 人里離れて笹でも喰ってろ、このどーぶつヤローのケダモノがっ!」
「さ、笹なんて、そんなステレオタイプな!」
「ステレオもラジカセもあるかよ! 後ろから抱きついて、寝ぼけたこと言ってんじゃねえッ! フカフカしやがって、毛布みたいにのしかかってきやがってようっ、あっつくなるじゃねえか! おしまいにゃ、逝っちまうぞ! だいたい、そんな図ー体でイタリアンつくってんじゃねえ! このピザ野郎、キョンシーみてーに、目の周りに隈つくりやがって! やりすぎなんだよ、自分のツラ、イッペン鏡で見ろよ! まぎらわしいだろうが、チャイニーズ料理にしろよっ! パスタ茹でる暇があったら、め、面打ちの修行でもしろよ、鼻の穴からラーメン垂らしてろ! 奈落の動物園の檻の底で中華まんこさえてろ! ゲ、ゲゲのゲテモノ食い、チンチン珍味の姿焼きにでもなっちまえばいいんだッ!」
 とても女の子とは思えない言葉遣いだ。親兄弟の顔が見たい。喚きたてながら、さかんに踵で蹴りつけ、後頭部で激しく頭突きしている。爆発力が段違いに凄まじい。ネズミ花火と爆竹をダース単位で点火したな騒ぎようである。
「ど、どうしてブレイクのことくらいで、そんな!」
 アネシュカははっと「お兄ちゃん」と呟いて、ついに声をはりあげて泣きだす。
 ブレイク・ハート、本名はヴァーツラフ・ペルンシュテイン。元はプレート3の人間だが、プレート1で受けた金呪によってレッサーパンダの姿になっている。
「……あー、どうりで。だったら、君はペルンシュテインのお嬢ちゃんだね」
 ドンの脳裏をよぎったのは荒れていた時のブレイク・ハートだ。あいつと草試合で対戦したときの跡は、いまだにあちこち永久脱毛している。最後はどうにか捕まえてボディプレスで押しつぶしたのだが。
「なーんだ、あいつの妹か」
 少女はしゃくりあげながらも猛然と抗議とする。
「ひっく、あんなのっ、あんなの、お兄ちゃんじゃないッ!」
 アネシュカは号泣する。再会した兄の「変わり果てた姿」に、強烈な精神的打撃を受けているらしい。それでパニックとヒステリーを起こしてしまったのだ。いくら気丈とはいえ、そこはデリケートな女の子である。
(そーだよなー。自分が慣れすぎていて、気が廻らなかった)
 行方不明の兄に再会したら、変てこな小動物になっていた。ショックだろう。
 ドン・クーフーは呆然と、自分の一連の不用意な発言、その失策を悟った。
 道行く人がじろじろと見ている。
 たまたまとおりがかった、気の弱そうな若い警官が後ろから走ってきた。勘違いした新米お巡りさんは決死の勇気を振り絞る。走りながら鋼鉄の警棒を抜く。
「御用だっ! て、天誅!」
 巡査は気持ちを鼓舞して、ドン・クーフーの後頭部を力いっぱいに殴りつけた。
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