レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載
第六話 陰謀の共和国/質疑応答
1
『気の毒をしたとは思っているよ』
司書室で怒り心頭のアルジャノン。
水晶球に映った統領マフムート・パシャは困り顔だ。なだめるように言う。
色の浅黒い統領は白い髭をしごいて理由を告げる。
『とにかく見合うだけの利点があったのだよ。君にとっても悪い話ではないはず』
「中央行政局と取引して、何かいいことがあるのでしょうか?」
こみ上げる怒りを堪えて、アルジャノンは抗弁する。傍らではキアラが卓上の水晶球を操作していた。
『ノスティッツの姪御さんのことだ』
「ブランシュがどうかしたんですか?」
アルジャノンは親族の移住許可のために泣きついた弱みがあった。マフムート・パシャは書類を映す。ブランシュの新しい戸籍だ。
『うむ。これであの娘も、晴れて自由だ』
アルジャノンの面持ちがにわかに明るくなる。
プレート1はノスティッツ一家が住居を移したあとも、頑強にブランシュの身柄の所有権を主張していたのだ。住居の移動と戸籍の移動は別だなどと屁理屈をこね続けていた。そして将来、生まれたブランシュの子供をプレート1に引き渡せとまで要求していたのである。
『カレル君には気の毒をしたが、妹さんのためにもなることだ。許してくれるじゃろうて。何事にも尊い犠牲はつきものじゃ』
マフムートは白髭をしごき、首をかしげた。それからもう一枚の書類を取り出す。
『それで、この命令書をブレイクに手渡した。この文面の内容を決めたのはアルムルクじゃが』
そこにはカレルが帝国から侵入してきたテロリストであり、早急に対処せねば危険であることが、至極もっともらしく書かれている。この文章力、さすがはアルムルクであった。ましてや統領から手渡されたら、九割の人間は疑うことすら思いつくまい。
これがブレイクへの命令を写した控えである。異なっているのは、余白に中央行政局の印とアルムルクの書付とサインがあることだ。どうやらあの悪辣なアルムルクを言いくるめて証人に仕立て、言質をとったらしい。
「『統領の権限で命令を出すこと』と引き換えに、あいつらからブランシュの『自由を買い戻した』わけですか」
『そうじゃ。抹殺命令をだすことと、実際に殺すことは別じゃて』
マフムート・パシャは言葉のあやで、理屈の隙間をついたらしい。
つまりブレイクに「カレル・ノスティッツを殺せ」と命令を出したとして、実際に抹殺が成功するとは限らない。ブレイクが失敗する望みあっての命令だったらしい。
『じゃが、誤算はブレイクがカレル君と戦ったことじゃな。予想よりもずっと早くにプレート4に着いて、しかも真っ先に見つけたらしい。どうせカレルが殺されるのにも間に合わんだろうと、わしは半分タカをくくっておったが。……幸運や優秀さも、ときに考えものじゃて。うむ、一徹で真面目な性格も裏目に出ることはある』
それほどにハロルド号の速度は常識外れだった。設計の限界速度を超えていただろうが、よく船体がもったものである。
「ですがブレイクは」
担がれた真相を知れば激怒するだろう……それこそ規格外に。
マフムート・パシャはしたたかに微笑し、命令書を裏返して見せた。
『ほれ』
そこにはなんと! ブレイクをはじめ、十人近い人員のプレート1からの「正式な」移籍許可。プレート1はこれまでなんのかんのと、プレート2第一モスクの「外人部隊」にまで指揮命令権を主張していたのである。
『連中も、そろそろ君らに付きまとうのが面倒になったんじゃろうて。どうせ彼らがプレート1の行政局の命令など、きくわけもなしに』
アルジャノンは唸った。この統領の老政治家のトコトン狡猾で酷薄なまでの交渉のやり方。もはや怒るべきか賞賛するべきか、次第にわからなくなってくる。
そこで彼はもう一つの核心に触れた。
「しかし、プレート4はカレルを中央行政局に売って、何の得があるのでしょう? 帝国の破壊工作員ならまだしも、たかだかジャーナリストのカレルを」
そもそものきっかけは、プレート4(ストロモフカ)が持ちかけた話だったらしい。マフムート・パシャは他人の陰謀に、巧みに便乗して利をせしめたにすぎない。
『ふむ、どうも壊滅したプラネット3‐4の委譲らしい。プレート1と3が排除した異種族の受け入れで、プレート4は居住用の土地が足りなくなってきておったからな。3‐4の元の人間の住民は、プレート1に引き取るそうじゃ』
「元亡命者一人を売るだけで、プラネットをひとつ手に入れたわけですか?」
アルジャノンは秘密交渉の裏を理解しかねている。
「まさか。本当の標的は、分離独立派首謀者の粛清じゃ。それには彼らが帝国のスパイとでも共謀したことにして、外患誘致(敵国への協力)とか、反逆や売国の罪を着せるのが手っ取り早かろうて。カレル君は、ま、その演出のための小道具じゃな」
どうやらカレル一人の生き死になど、巨大な陰謀の一端でしかないのだった。
政治の世界はかくも非情である。
統領はさらに見解を述べる。
「それにほれ、先日プレート4の移送された、小型の資源採集用プラネット。懐柔して離反を牽制する臨時の太陽政策かと思っておったが、あの強圧的なプレート1にしてはちと不自然じゃった。……分離独立の過激派粛清を求めた、踏絵の代償と考えれば説明がつく……」
アルジャノンは憮然として言った。
「キアラ、ブレイクに作戦中止の指示を」
「それは禁則事項です」
いきなりドアが開いて役人アルムルクが許可も得ずに悠々と入ってきた。ひょっとすると、司書室の通信を立ち聞きしていたのかもしれなかった。蛇のような執念深さである。
不快感をあらわにするキアラを無視し、アルムルクは水晶球に呼びかけた。
「閣下。だからわたしは言ったでしょう? あの赤パンダが、手を抜くわけがないと。賭けはわたしの勝ちです。カレル・ノスティッツが現地の軍に殺されるまでに間に合ったのですから。掛け金は支払って頂きますよ」
どうやらアルムルクとマフムート・パシャはブレイクの到着を賭け事のネタにしていたらしい。あらかたアルムルクを話にのせるために、マフムートの方も応じたのだろうが。
「賭け?」
憤懣やるかたなく、キアラが呟く。目許が憎々しげにゆがんでいた。
『わかっておる。……キアラ。ブレイク・ハートに命令変更の指示を』
水晶球から老成した統領が命じた。
キアラはアルジャノンと顔を見合わせた。統領の意図がどうにもつかめない。
『攻撃目標を変更する。帝国第七皇女、シシィ・キューレボルンを逮捕、または抹殺せよ』
「帝国の、第七皇女?」
あまりにも唐突な単語に、キアラは目を驚かせる。アルムルクが得意げに説明した。
「今日の明け方ごろに判ったんだよなあ。今、プレート4にお忍びで来てるらしいんだ。どうにもカレルのあとを追ってきたらしい。あのカレル・ノスティッツは帝国に行ったときに、男爵位授与の申し出を受けたそうだから、よっぽど気に入られたんだろうな。もっとも辞退したと聞いているがね」
アルムルクはとくとくとして言葉を続ける。
「最初、プレート1のテクネー特殊部隊から戦闘用ゴーレムを送ろうとしたけど、プレート4が受け入れるわけがない。とりあえず『逮捕して引き渡せ』って言ってやったけど、無駄だろうね。シシィは水妖種族(ニュンパエ)の女だから、表立った独立派じゃなくても、現地の木精や水妖は庇いだてするわけさ。なにせ非人間種族のお姫様で、水妖侯国の次期後継者だからな。……共和国に属しながら、帝国にも色目を使う。それがプレート4の木精どもの本音なんだろうね」
『キアラ』
マフムート・パシャが再度うながす。しかしキアラは顔をこわばらせたままだ。
「できません」
肩をふるわせるキアラの目には涙が溜まっていた。
『なぜ?』
「だって、だって……危険を冒してまで、好きな人を追いかけてきただけなんでしょう? それを殺せなんて、酷すぎます。そ、それに、カレル君だって、かわいそう……」
彼女は元から心優しい女だ。しかもキアラ本人は人間とはいえ、父親は空精の出身なのである。異種族に対して多分に同情的だった。
『キアラ。カレル君を救う手立てはもうない。第一に外国に亡命してしまった時点で、もう死んだのと同じことなんだよ。それにシシィ・キューレボルンにしたって公人だ。立場をわきまえずに考えなしな行動をとったなら、暗殺されても自業自得なのだ』
「ですが……」
時計の秒針は秒を刻んでじっくりと三百回転する。
キアラは半泣きになりながら命令に従った。
「統領、あなたはわざと負ける賭けをしたのですね」
アルムルクが出て行ったあと、アルジャノンは統領に釘を刺すように言った。
『ほう。なぜそう思う?』
「プレート4の領土内で帝国の皇族が殺害されれば、もちろん帝国とプレート4の関係は悪化します。そうすればプレート4が帝国に寝返る惧れも減って、共和国も安泰です」
異種族主体のプレート4では、帝国に親近感が強い。なぜなら異種族の多くは、アルスの素質で一般の人間より秀でているからだ。帝国では素質に優れた血筋は優遇されるから、人間より木精や水妖の方が立場で優勢を占めている。これまで寝返らなかったのは、帝政という政治体制を懸念しているからなのだろう。
「その点で、中央行政局とプレート2の人間は利害が一致しています。ですが、理由もなしに言いなりになれば、今度はプレート2や4の身内から突き上げを食らうかもしれない。だから責任をアルムルクに転嫁するための、口実が欲しかったのではないですか?」
『なるほど』
「それに急に『分離独立の過激派粛清』、とおっしゃいましたが……それは本当に閣下個人の推論なのですか?」
『ほう?』
「さっきの資源プラネットの話といい、秘密交渉をした当の本人たちから直接に聞いていたのではないのですか?」
統領は自分の白い髭を引っ張った。
『考えすぎだよ』
「…………そうおっしゃるのなら、そうなのでしょう」
平静なアルジャノンはサングラスで目の動きも読めない。
「それに。憶測ですが、三ヵ月後のプレート間の接近を機に、プレート4が本気で帝国に寝返る思惑があるのでは? シシィがやってきたのもそのための打ち合わせだとすれば辻褄が合います。皇女ともあろう者が、男一人追いかけて危険を冒すなどナンセンスです。プレート4が独立運動指導者の粛清に合意したのも、かえって真意を隠すためでは?」
マフムート・パシャは両手をパチパチ打ち合わせた。
『うむ、面白い考察だ。実はわたしもそれを危惧している。それだけはなんとしても阻止せねばならん』
「もしも表沙汰になれば、相互不信で共和国が崩壊しかねませんな」
『そうなったらばおしまいさ、破局というものだよ』
アルジャノンは皮肉たっぷりに言った。
「不条理な粛清だけで済めば御の字ですかな」
『左様。数千人単位の死者に比べれば、些細な犠牲だ。彼らのために祈ろう』
「彼らはまだ生きています。我々がプレート1より先に、シシィの身柄を押さえれば、主導権を握って未然に事態を終息させることもできるでしょう」
『再考せよ、と? ふむ、考えてはみよう、大局の見地からな。……だがヒッピアス、たかだか数十人や百人そこいらの犠牲を救うにこだわって、そのために数千人、数万人を危険にさらす方がよほど無責任なのではないかね?』
そして通信は終わった。
車椅子からキアラの両手がアルジャノンの服に取りすがった。
「きもち、わるいです…………わたし、吐きそうです……」
キアラは青白くなった顔で口許を押さえた(冷酷な政治と渦巻く陰謀の瘴気に当てられたらしい)。アルジャノンはキアラのシルバーブロンドの髪を優しく撫でた。
「君に責任はない。それに、命令が届くかどうか、それに実行されるかどうかは別だ。確率からすれば二分の一なんだ。ブレイクが命令を無視するかもしれないんだし……。とにかく、カレルはまだ生きているんだ」
「わ、わたしがあの命令書、を、破ってしまったら、よかったんです、封、を切るまで、あんな中身だなんて……」
アルジャノンはおこりのように震えるキアラに「もういいんだ」とささやいた。
心中で密かに部下の「暴走」に期待するしかない。仮にも上司としてこれほど喜劇的なことはなかった。
『気の毒をしたとは思っているよ』
司書室で怒り心頭のアルジャノン。
水晶球に映った統領マフムート・パシャは困り顔だ。なだめるように言う。
色の浅黒い統領は白い髭をしごいて理由を告げる。
『とにかく見合うだけの利点があったのだよ。君にとっても悪い話ではないはず』
「中央行政局と取引して、何かいいことがあるのでしょうか?」
こみ上げる怒りを堪えて、アルジャノンは抗弁する。傍らではキアラが卓上の水晶球を操作していた。
『ノスティッツの姪御さんのことだ』
「ブランシュがどうかしたんですか?」
アルジャノンは親族の移住許可のために泣きついた弱みがあった。マフムート・パシャは書類を映す。ブランシュの新しい戸籍だ。
『うむ。これであの娘も、晴れて自由だ』
アルジャノンの面持ちがにわかに明るくなる。
プレート1はノスティッツ一家が住居を移したあとも、頑強にブランシュの身柄の所有権を主張していたのだ。住居の移動と戸籍の移動は別だなどと屁理屈をこね続けていた。そして将来、生まれたブランシュの子供をプレート1に引き渡せとまで要求していたのである。
『カレル君には気の毒をしたが、妹さんのためにもなることだ。許してくれるじゃろうて。何事にも尊い犠牲はつきものじゃ』
マフムートは白髭をしごき、首をかしげた。それからもう一枚の書類を取り出す。
『それで、この命令書をブレイクに手渡した。この文面の内容を決めたのはアルムルクじゃが』
そこにはカレルが帝国から侵入してきたテロリストであり、早急に対処せねば危険であることが、至極もっともらしく書かれている。この文章力、さすがはアルムルクであった。ましてや統領から手渡されたら、九割の人間は疑うことすら思いつくまい。
これがブレイクへの命令を写した控えである。異なっているのは、余白に中央行政局の印とアルムルクの書付とサインがあることだ。どうやらあの悪辣なアルムルクを言いくるめて証人に仕立て、言質をとったらしい。
「『統領の権限で命令を出すこと』と引き換えに、あいつらからブランシュの『自由を買い戻した』わけですか」
『そうじゃ。抹殺命令をだすことと、実際に殺すことは別じゃて』
マフムート・パシャは言葉のあやで、理屈の隙間をついたらしい。
つまりブレイクに「カレル・ノスティッツを殺せ」と命令を出したとして、実際に抹殺が成功するとは限らない。ブレイクが失敗する望みあっての命令だったらしい。
『じゃが、誤算はブレイクがカレル君と戦ったことじゃな。予想よりもずっと早くにプレート4に着いて、しかも真っ先に見つけたらしい。どうせカレルが殺されるのにも間に合わんだろうと、わしは半分タカをくくっておったが。……幸運や優秀さも、ときに考えものじゃて。うむ、一徹で真面目な性格も裏目に出ることはある』
それほどにハロルド号の速度は常識外れだった。設計の限界速度を超えていただろうが、よく船体がもったものである。
「ですがブレイクは」
担がれた真相を知れば激怒するだろう……それこそ規格外に。
マフムート・パシャはしたたかに微笑し、命令書を裏返して見せた。
『ほれ』
そこにはなんと! ブレイクをはじめ、十人近い人員のプレート1からの「正式な」移籍許可。プレート1はこれまでなんのかんのと、プレート2第一モスクの「外人部隊」にまで指揮命令権を主張していたのである。
『連中も、そろそろ君らに付きまとうのが面倒になったんじゃろうて。どうせ彼らがプレート1の行政局の命令など、きくわけもなしに』
アルジャノンは唸った。この統領の老政治家のトコトン狡猾で酷薄なまでの交渉のやり方。もはや怒るべきか賞賛するべきか、次第にわからなくなってくる。
そこで彼はもう一つの核心に触れた。
「しかし、プレート4はカレルを中央行政局に売って、何の得があるのでしょう? 帝国の破壊工作員ならまだしも、たかだかジャーナリストのカレルを」
そもそものきっかけは、プレート4(ストロモフカ)が持ちかけた話だったらしい。マフムート・パシャは他人の陰謀に、巧みに便乗して利をせしめたにすぎない。
『ふむ、どうも壊滅したプラネット3‐4の委譲らしい。プレート1と3が排除した異種族の受け入れで、プレート4は居住用の土地が足りなくなってきておったからな。3‐4の元の人間の住民は、プレート1に引き取るそうじゃ』
「元亡命者一人を売るだけで、プラネットをひとつ手に入れたわけですか?」
アルジャノンは秘密交渉の裏を理解しかねている。
「まさか。本当の標的は、分離独立派首謀者の粛清じゃ。それには彼らが帝国のスパイとでも共謀したことにして、外患誘致(敵国への協力)とか、反逆や売国の罪を着せるのが手っ取り早かろうて。カレル君は、ま、その演出のための小道具じゃな」
どうやらカレル一人の生き死になど、巨大な陰謀の一端でしかないのだった。
政治の世界はかくも非情である。
統領はさらに見解を述べる。
「それにほれ、先日プレート4の移送された、小型の資源採集用プラネット。懐柔して離反を牽制する臨時の太陽政策かと思っておったが、あの強圧的なプレート1にしてはちと不自然じゃった。……分離独立の過激派粛清を求めた、踏絵の代償と考えれば説明がつく……」
アルジャノンは憮然として言った。
「キアラ、ブレイクに作戦中止の指示を」
「それは禁則事項です」
いきなりドアが開いて役人アルムルクが許可も得ずに悠々と入ってきた。ひょっとすると、司書室の通信を立ち聞きしていたのかもしれなかった。蛇のような執念深さである。
不快感をあらわにするキアラを無視し、アルムルクは水晶球に呼びかけた。
「閣下。だからわたしは言ったでしょう? あの赤パンダが、手を抜くわけがないと。賭けはわたしの勝ちです。カレル・ノスティッツが現地の軍に殺されるまでに間に合ったのですから。掛け金は支払って頂きますよ」
どうやらアルムルクとマフムート・パシャはブレイクの到着を賭け事のネタにしていたらしい。あらかたアルムルクを話にのせるために、マフムートの方も応じたのだろうが。
「賭け?」
憤懣やるかたなく、キアラが呟く。目許が憎々しげにゆがんでいた。
『わかっておる。……キアラ。ブレイク・ハートに命令変更の指示を』
水晶球から老成した統領が命じた。
キアラはアルジャノンと顔を見合わせた。統領の意図がどうにもつかめない。
『攻撃目標を変更する。帝国第七皇女、シシィ・キューレボルンを逮捕、または抹殺せよ』
「帝国の、第七皇女?」
あまりにも唐突な単語に、キアラは目を驚かせる。アルムルクが得意げに説明した。
「今日の明け方ごろに判ったんだよなあ。今、プレート4にお忍びで来てるらしいんだ。どうにもカレルのあとを追ってきたらしい。あのカレル・ノスティッツは帝国に行ったときに、男爵位授与の申し出を受けたそうだから、よっぽど気に入られたんだろうな。もっとも辞退したと聞いているがね」
アルムルクはとくとくとして言葉を続ける。
「最初、プレート1のテクネー特殊部隊から戦闘用ゴーレムを送ろうとしたけど、プレート4が受け入れるわけがない。とりあえず『逮捕して引き渡せ』って言ってやったけど、無駄だろうね。シシィは水妖種族(ニュンパエ)の女だから、表立った独立派じゃなくても、現地の木精や水妖は庇いだてするわけさ。なにせ非人間種族のお姫様で、水妖侯国の次期後継者だからな。……共和国に属しながら、帝国にも色目を使う。それがプレート4の木精どもの本音なんだろうね」
『キアラ』
マフムート・パシャが再度うながす。しかしキアラは顔をこわばらせたままだ。
「できません」
肩をふるわせるキアラの目には涙が溜まっていた。
『なぜ?』
「だって、だって……危険を冒してまで、好きな人を追いかけてきただけなんでしょう? それを殺せなんて、酷すぎます。そ、それに、カレル君だって、かわいそう……」
彼女は元から心優しい女だ。しかもキアラ本人は人間とはいえ、父親は空精の出身なのである。異種族に対して多分に同情的だった。
『キアラ。カレル君を救う手立てはもうない。第一に外国に亡命してしまった時点で、もう死んだのと同じことなんだよ。それにシシィ・キューレボルンにしたって公人だ。立場をわきまえずに考えなしな行動をとったなら、暗殺されても自業自得なのだ』
「ですが……」
時計の秒針は秒を刻んでじっくりと三百回転する。
キアラは半泣きになりながら命令に従った。
「統領、あなたはわざと負ける賭けをしたのですね」
アルムルクが出て行ったあと、アルジャノンは統領に釘を刺すように言った。
『ほう。なぜそう思う?』
「プレート4の領土内で帝国の皇族が殺害されれば、もちろん帝国とプレート4の関係は悪化します。そうすればプレート4が帝国に寝返る惧れも減って、共和国も安泰です」
異種族主体のプレート4では、帝国に親近感が強い。なぜなら異種族の多くは、アルスの素質で一般の人間より秀でているからだ。帝国では素質に優れた血筋は優遇されるから、人間より木精や水妖の方が立場で優勢を占めている。これまで寝返らなかったのは、帝政という政治体制を懸念しているからなのだろう。
「その点で、中央行政局とプレート2の人間は利害が一致しています。ですが、理由もなしに言いなりになれば、今度はプレート2や4の身内から突き上げを食らうかもしれない。だから責任をアルムルクに転嫁するための、口実が欲しかったのではないですか?」
『なるほど』
「それに急に『分離独立の過激派粛清』、とおっしゃいましたが……それは本当に閣下個人の推論なのですか?」
『ほう?』
「さっきの資源プラネットの話といい、秘密交渉をした当の本人たちから直接に聞いていたのではないのですか?」
統領は自分の白い髭を引っ張った。
『考えすぎだよ』
「…………そうおっしゃるのなら、そうなのでしょう」
平静なアルジャノンはサングラスで目の動きも読めない。
「それに。憶測ですが、三ヵ月後のプレート間の接近を機に、プレート4が本気で帝国に寝返る思惑があるのでは? シシィがやってきたのもそのための打ち合わせだとすれば辻褄が合います。皇女ともあろう者が、男一人追いかけて危険を冒すなどナンセンスです。プレート4が独立運動指導者の粛清に合意したのも、かえって真意を隠すためでは?」
マフムート・パシャは両手をパチパチ打ち合わせた。
『うむ、面白い考察だ。実はわたしもそれを危惧している。それだけはなんとしても阻止せねばならん』
「もしも表沙汰になれば、相互不信で共和国が崩壊しかねませんな」
『そうなったらばおしまいさ、破局というものだよ』
アルジャノンは皮肉たっぷりに言った。
「不条理な粛清だけで済めば御の字ですかな」
『左様。数千人単位の死者に比べれば、些細な犠牲だ。彼らのために祈ろう』
「彼らはまだ生きています。我々がプレート1より先に、シシィの身柄を押さえれば、主導権を握って未然に事態を終息させることもできるでしょう」
『再考せよ、と? ふむ、考えてはみよう、大局の見地からな。……だがヒッピアス、たかだか数十人や百人そこいらの犠牲を救うにこだわって、そのために数千人、数万人を危険にさらす方がよほど無責任なのではないかね?』
そして通信は終わった。
車椅子からキアラの両手がアルジャノンの服に取りすがった。
「きもち、わるいです…………わたし、吐きそうです……」
キアラは青白くなった顔で口許を押さえた(冷酷な政治と渦巻く陰謀の瘴気に当てられたらしい)。アルジャノンはキアラのシルバーブロンドの髪を優しく撫でた。
「君に責任はない。それに、命令が届くかどうか、それに実行されるかどうかは別だ。確率からすれば二分の一なんだ。ブレイクが命令を無視するかもしれないんだし……。とにかく、カレルはまだ生きているんだ」
「わ、わたしがあの命令書、を、破ってしまったら、よかったんです、封、を切るまで、あんな中身だなんて……」
アルジャノンはおこりのように震えるキアラに「もういいんだ」とささやいた。
心中で密かに部下の「暴走」に期待するしかない。仮にも上司としてこれほど喜劇的なことはなかった。