レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

第七話 帝国の第七皇女/接触


 プレート4のロエン統領の執務机の上、写真立てが一枚のっている。それは遠く離れて暮らしている、息子夫婦の家族写真だった。
 髪の毛が朽葉色になった初老のロエンは思案に暮れていた。
 厚ぼったい瞼から視線を脇の小扉に向ける。裸足の足音がしたからだ。
「浮かないカオ」
 歳若い乙女だった。みどりの黒髪は滝のように背中に流れ落ちている。ゆったりした薄青色のシャツ一枚で、腰には色鮮やかなパレオを巻きつけている。それが彼女の身につけている全てだった。
「姫。詮索が厳しくなる前に、帰られたがいい」
 ロエンは帝国の「親善大使」に苦渋の言葉でうながす。
「どうして? あなたたちが帝国に帰属するなら、それで万事解決でしょう? 自治権は保証するのですし、人間に管理されているよりもずっと有利でしょう?」
「そうもいかんのですよ」
 ロエンは熱でもあるかのように頭を左右させる。
「このプレートにだって、人間の住民はいるんです。彼らはどうなるのです?」
 プレート4の住民の二割は人間だった。帝国に寝返った場合、アルスの資質で劣る人間たちの多くは自由人から貧民や農奴などの不自由民に転落することになるだろう。人間種族全体の地位も、帝国ではけっして高くはない。
「それに共和国の他のプレートにいる、木精や水妖たちにも危害が及ぶかもしれない。我々が裏切れば、怒った人間たちから腹いせに、我々の咎を背負わされて迫害されるでしょう」
 シシィ・キューレボルンはくすっと笑う。黒目がちな紫の眼差しは天真爛漫で、いたずらっぽい。そのくせ秋波を含んでいるようだった。
「ずいぶん、モラリストでお優しいんですね」
 彼女の鮮やかに赤い舌には毒のある刺でもあるらしい。
「今さら、何を迷っておいでなのです? 自分たちの企みを隠すおとりにするのに、あなたと同じ木精で、おまけに無実のエンヴェルたちを殺させたのに。椅子に座ったまま権力を使って、何にも知らずにあなたを信じている兵隊たちを動かして。返り血で手を汚すこともなしに、命令するだけで、あちこち三十三人も人も命を奪ったんでしたっけ?」
 ロエンは苦々しげに目を伏せた。白目がやや血走っていた。
「ヤツは、ヤツらは狂人だったんだ。内戦で頭がおかしくなって、強迫観念に憑かれた煽動家だ。どうしようもない社会の敵だったんだよ」
 まるで自分自身に言い聞かせるように答えるロエンに、シシィはあえて反論した。
「だったらなんで、今の今まで放置しておいたんです? 結局は利用するために、しばらく泳がせておいて、最後に自分たちの都合で殺しちゃったわけでしょう? 仮に彼らが社会の脅威だったとしたって、彼らをそうさせたのは共和国の社会でしょう?」
「エンヴェルは、旧連邦の出身だ。外国からやってきた元ゲリラ兵の戦争中毒者だ。人殺しのやりすぎで、脳がおかしくなっていたに違いないんだ。わたしにいったいどうしろというんだ? そんなもの、面倒を見切れるものか!」
「だったら、他の二人の独立派のリーダーは? エンヴェルの部下たちだって、みんなこのプレート4の生まれでしょう?」
「わたしは、キチガイの増殖を阻止しただけだ!」
 ロエンの額にはじっとりと脂汗がにじんでいる。シシィ・キューレボルンは美貌を盾に隠れ、計算ずくでさらに揺さぶりをかけた。
「統領様、あなたが私利私欲でなくて『大義』のために手を汚したのだと、わたくし、充分に理解しております。木精や水妖の住民を野蛮な人間の原理主義者から守るために、ずっと力を尽くしてこられたのだと。それに感動したからこそ、この度、わざわざこちらに来たのです」
「そのお志には、心から感謝している」
 ロエン統領は苦しげに息を吐く。
「だが、今は申し出に応じることなど……」
「では、わたしを逮捕しなさい」
 シシィは机に両の手をつく。ロエンの顔の前にぐっと豊かな胸をつきだした。
「プレート1の中央行政局に護送するなり、火炙りにするなりなさったらいかがです?」
 第七皇女の無茶苦茶な提案にロエンは驚愕する。シシィは凛として告げる。
「共和国の人間たちに義理立てするなら、そうするのが筋でしょう?」
「し、しかし、そういうわけには……」
 帝国との交渉が最終的に決裂する。それはまずい。万が一、プレート1との関係が決定的に悪化した場合に備えて、帝国とも水面下でのつながりは確保しておかねばならない。
「いつまでもいつまでたっても中途半端に、態度を決めない。そういうのは卑怯です。そんなやり方が、いつまでもこのまま許されるとお考えですか? しまいには帝国と共和国、両方を敵に廻しますよ?」
「そ、それは……」
 ロエンはたじたじとなる。熟練の政治家のはずが、たかが二十歳そこいらの皇女一人に気おされ、呑まれてしまっていた。
「これは……?」
 シシィは目にとまった机上の写真立てを取り上げた。
 木精の若者と人間の女。小さな子供もいる。
「ご家族ですか?」
「二番目の息子夫婦です。人間の娘と結婚して、孫ができました」
「お孫さんは、人間というわけね」
 お互いに通婚が可能なのは人間と異種族の多くが、一個の共通の祖先「先史原人」から枝分かれしたからだともいわれている。現代の人間種族は先史時代のオリジナル、古典的な原人にもっとも近いのだそうだ。
 シシィはよく光る人差し指の爪をそっと唇に当て、写真を見つめた。やがて怜悧に研ぎ澄まされていた目許がふっとゆるんだ。
「かわいらしいお孫さんですね」
「はい」
「……いいわ、今日だけは許してあげます。このお孫さんに免じて、ね」
 帝国第七皇女は美しい波のように自分の髪をさばいた。
「そのかわり、一つだけお願いできませんか?」
「……?」
 憔悴したロエンは皇女の顔を見上げた。
「カレル・ノスティッツを引き渡して欲しいのです」
 ロエン統領は提案そのものにはあっさりとうけあった。
「いいでしょう。それで収まるなら、安いものだ。……ですが、素直に従うでしょうか? 今現在はプレート2の人員と合流しておりますし、かなり警戒している様子です。我々が出頭命令を出しても従うかどうかは? 時間がかかってしまうかもしれません。そうなれば、姫様の脱出にも悪影響が……」
 プレート1や2に、親善大使の受け入れが察知された節がある。あまりゆっくりしていればシシィ・キューレボルンがつかまる惧れがあった。強行突破にでもなって直接交戦することも秘密交渉の証拠を残すことになる。いずれにせよ、望ましくはなかった。
「場所を教えていただければ、わたくし、自分で迎えに行きます」
 シシィの言葉にロエンはまたも驚愕する。
「それは危険だ。もしお怪我でもなさったら」
「かまいません。その値打ちはあります」
 ロエンの不安を封じるように、凛として断言する。それでもなおロエンは苦言を呈し、翻意を促す。彼は安楽椅子から立ち上がった。
「ですが!」
 シシィ・キューレボルンはにっこりとアイデアを出す。
「それでは、フェリーをひとつ、かしていただけませんか?」
「フェリー?」
「そうです、プレート間の交通のための、フェリーです。武装のついていないものがいいでしょう」
「それでプレート4を脱出すると?」
 ロエンが訝ったのも理由がないことではない。
 プレート間での定期航行輸送を担うフェリーは数が限られて貴重であった。武装はなくとも積載量を確保するために諸々の工夫がなされている。プラネットの軌道修正にもつかわれる動力源はごく強力な特別製、何隻か集まればそれこそ空中要塞でも支えられるだろう。ゆえにプレート、プラネットに次ぐ第三の「島」にしばしば喩えられるほどだ。戦艦などよりもずっと値が張るのだった。
 この第七皇女は天真爛漫な顔をして、何を考えているのか判らない。
 ロエンはやや皺のある額を押さえる。頭が痛そうだった。苦しい言い訳を探す。
「……手ごろな小型なら。いや、しかしかえって目立つのではないですか? フェリーで帝国プレートまで行くとなると、発見されずにはすみません。快速艇なら、最新式のものを準備できますが」
 フェリーの直通便の往来は国交を開いたと宣言するのと同じことだ。それが狙いか?
 シシィは笑顔で頭を左右させ、麗しくもつややかな黒い髪を振る。
「いいえ、脱出には乗ってきた船があります。ですから、できれば大型のフェリーを、一時かしていただければ充分です。それに、動かす必要すらないのです」
 この女、他人の頭を混乱させることにかけては天才であった。
「動かす必要はない?」
「そうです。安全に逢引できる場所を拝借したいだけなんです。現在、この近くにも一隻乗り入れて停泊中でしたね」
 意図が読めた。国際航行法を盾に取るつもりなのだ。フェリーは外部からの攻撃も内部での戦闘も禁止されている、安全地帯(アジール)である。ゆえに国際会談の場所としてしばしば利用される。シシィはその中でカレルを説得しようというのか?
「……袋小路ですよ? 包囲でもされたら、それこそ逃げ場はなくなります。それに停泊とは言っても、荷物の積み下ろしをしているだけです。四時には出航しなければならない。定期の運行を停止すれば、それだけで怪しまれます。航路は帝国とは逆方向で……」
「ご安心を。さしてお時間はとりません。それに、口実ならあるではありませんか」
 シシィはそっとロエンの耳元に口をよせる。
「もらう予定のプラネット3‐4の牽引に利用するため。定期運行を一時中止した、なんてのはいかがでしょう?」
 どうしてそんなことまで知っている? ロエンは戦慄する。あてずっぽうの推測を口にして的中しただけかもしれなかったが、今はただただこの第七皇女が恐ろしかった。
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