レッドパンダ・ブレイク ※本格・長編ファンタジー戦記、一括掲載

「そうしなければ、帝国は滅びてしまいます」
 シシィは突如とんちんかんを言い出したかに見えた。
 カレルはあまりに荒唐無稽な言い分に、状況の奇異さを忘れてとっさに反論してしまう。
「何を馬鹿な。ついさっき、プレート3のプラネットを壊滅させただろう。帝国の力が優勢で、世界を席巻しているのは、誰が見たって明らかだ」
 シシィは悲しげに髪を左右させる。
「上辺だけ、そう見えるにすぎません。この度の強引な侵攻も、焦りの表れなのです」
 理解不能で逆説的な言い分だった。カレルは詐術的な論理と警戒しつつも、ひとまず話を聞こうとする。シシィは言葉を続ける。
「共和国の、人間たちが世代を超えて蓄積したテクネーは年々に増大しています。雪だるま式に増えていくのです。テクネーは保有する種族や集団に一様な力を与えます。それが個人の才能、アルスを凌ぐのは、すでに時間の問題でしょう」
 シシィの言葉はあながち嘘ではない。
 人間が住民の主体をなす共和国が強国としての地位を保持できるのも、テクネーのおかげである。総体として、アルスでは人間は異種族に敵わないのに。
「帝国の力は結局は、エレメント・アルスの才能をもつ人材の数に依存しています。ですからテクネーがアルスを凌駕する時代がくれば、帝国と共和国の力関係は逆転してしまいます。……そうなる前に自ら変革しなければ、帝国は滅びてしまいます」
 カレルはシシィの言うことに首肯する。ひとまず話の理屈と筋は通っている。だが、協力する義理はなかった。彼は冷ややかにシシィの肩を押し離す。
「帝国は世界の脅威だ。それが自滅してくれるなら、こんなにありがたいことはない」
「まだわからないのですか? 帝国が滅びたあと、世界の主導権を握るのは共和国、プレート1でしょう。ノーマル・ヒューマニズムの原理主義者たちの天下になるのです」
 カレルは戦慄した。プレート1、中央行政局の無慈悲さは我が身でもって知っている。その統制が全世界に拡がるのだとすれば、異種族やアルスの血筋の者たちにとってディストピアになるだろう。生存すら許されないのかもしれなかった。
 ポケットのレシーバーが鳴った。カレルははっとして通話ボタンを押す。
『そっちは無事そうか?』
 シシィが恨めしげに睨んでいる。カレルはとっさに彼女を庇う。
「ブレイク、ああ、大したことはない。どうした?」
『街中で、何かあったらしい。警察の言うことじゃ、どうも帝国の秘密工作員のテロルだと言っている』
 カレルは皇女シシィの顔を見る。シシィは身に覚えがないらしく、首を横に振る。
「様子を教えてくれないか?」
『燃える死体が走り出した、だそうだ。映画のゾンビみたいなのが、増殖しているらしい』
 カレルはごくりと唾を飲む。
「燃える死体、と言ったか」
『だそうだ。実物見てないから、よくはわからねーけど。また誤報じゃ……』
「ブレイク、おそらく真実だ」
 カレルは額に脂汗を浮かべていた。腋の下を汗が流れていく。
 ブレイクは訝って問い返す。
『どうしてそう思う』
「ジャーナリスト仲間の噂で聞いたことがある。それはおそらく、プレート1が極秘に開発した、『サラマンデル』だ……にわかには信じがたい話だったが……」
 話しながらもカレルの膝は震えていた。事態の恐ろしさを薄々ながら知っていたからだ。
「もちろん確証はない。あくま、で噂では、の話だが。……死体に火のエレメントで着火して、擬似的に命を取り戻させる。生き返った死体は、自分の命を維持するために、生きている者から生命力を奪う。命を吸われた者も、三体に一体くらいは『飛び火』して燃えるゾンビになる。今すぐに逃げないと、危険だ」
『馬鹿言え!』
 ブレイクは吼えるみたく反論した。
『なおさら、ほっとけるかよ!』



 燃える死体は美しかった。生きていた頃よりも生命感に溢れているくらいだ。
 美しい木目の肌も躍動感ある筋肉も、死体とは見えなかった。
 透明度の高い、温度のない炎に包まれている姿は天使のようにさえ見えた。
 彼らは生きている者を悠然と追いまわし、生命を吸い取って糧とした。
 飛び火した者たちもまた、透明な炎に包まれてゆっくりと立ち上がる。
 まるで浄火の天使たちのような詩的な光景である。
 荘重で躍動感あふれる『生きたままの死』が横溢していた。
 
『美しいものだ。実験は大成功だな』
 ベルナール・ゴズは浮遊するボートでいちはやく脱出し、安全な空中から大混乱を見物していた。
『テクネーによって与えられた、均質な光に包まれている。脳死した彼らは、生の一切のわずらわしさから解放されている。それこそが世界の、有るべき未来の啓示』
 ゴズは自己の信念から深い満足を得た。その背中には審問官の緑十字のマークがあった。
 彼の視界の端のほうでボート級が一隻、街に射撃を食らわせている。火のエレメントの銃撃は遠めにも威力が察せられる。あらかた一般市民の脱出を支援しているのだろう。
『愚かな羽虫よ。それは無駄骨である!』
 とっくに空爆の予定は決定していた。もちろん非人間種族の市民の被害など、知ったことではない(表向きは帝国によるテロル攻撃であるゆえ、大被害が望ましい)。そののちプレート1の軍団が進駐し、「治安維持」の名目で今後六ヶ月は直接統制できる見込みだ。まさしく自作自演である。
『爆撃に巻き込まれてはかなわん、そろそろ距離を取れ』
 極上の官僚ベルナール・ゴズはボートの舵手に指示を与える。この惨状の原因をこしらえた張本人は、ゆうゆうとしてその場をあとにした。

 停泊中のフェリーには木精と人間の避難民が詰め掛けている。
 警官と兵士たちが防衛ラインを作り、神々しい「燃えるゾンビ」に対抗している。
 防御側の狙撃手たちの中にはカレル・ノスティッツの姿もあった。

「ええい! この! この!」
 ブレイクは回転砲エイハブを乱射する。上空からの射撃では、らちがあかない。まとまっている火の天使の群れに銃撃を加えるのが精一杯だった。しかも下手をすれば市民にあたりかねない。意志さえないゾンビが相手、あまりに不毛な戦いであった。
「セリム、降りるぜ」
『え!』
「こんな撃ち方してたら、かえってパワーがもたねえ。下に下りて、アサルトモードでピンポイントで撃ってくる。三節棍は燃費がいいし、そうすりゃ、囮にもなるだろうしよ」
『……ちゃんと戻ってきてよ。レシーバーを忘れないで』
「わーってる!」
 レッドパンダ・ブレイクは空中にダイブする。こんな無意味に等しい戦場に戦い抜くために。炎のエレメントで輝く三節棍が、たなびく尻尾のように閃いていた。



 アルジャノン・ヒッピアスは久方ぶりに外気を深呼吸する。
 振り返って仰ぎ見たモスクのファサード(正面部)は神々しくも壮麗であった。住まいとしていながら、めったに外から見ることはない。長い間、居場所の素晴らしさを忘れがちになる。人間皆、そういうものなのかもしれなかった。
 マフムート・パシャの専用機から守秘回線で出撃命令を受けたのは五分前だ。
(プレート1め、やってくれた! そっちがその気なら、こっちだって……)
 この非常時に際し、ついにプレート2統領から特別の外出許可を得たのであった。正式にはプレート1中央行政局の許可を得なければならないのだが、出てしまえばこちらのものだ。事後になっていくら糾弾しようが、うやむやにしてしまうことが可能である。
(口実ならいくらでもある、なんせ「表向き」は国家防衛のための緊急出動なんだからな)
 真相を知ればプレート1の悪意は想像を遥かに越えていた。もはやあの老獪な統領も座視する気にはなれなかった。
 厳しい顔つきのアルジャノンはモスクの飛行場に向かう並木道で、二人の少女に出会った。従姉の娘のブランシュだった。友達らしき赤毛の少女を連れている。
「叔父様!」
「ブランシュ。さっきお前の戸籍が正式にこちらに移ることになった。もうプレート1の連中に、とやかく言われることはないんだ」
 気のない会話で応じたのは、指示された地点まで来ていたからだ。
 ブランシュは驚きにしばし立ちつくしていた。だがすぐに友人の方を見た。視線にうながされて、赤毛の少女が口を切った。
「おじさん。総長さん、ヴァーツラフ・ペルンシュテインのことで……」
 アルジャノンには即座に合点がいった。なるほど。あいつの妹か。
 彼は安心させるように、にっと笑った。
「ヴァーツラフはわたしの友人だ。これから迎えに行くところなんだ」
「お、お兄ちゃんは……」
 不安そうな少女に、第一モスク総長は断言した。
「あいつは。今も共和国を守るために戦っているんだ」
 アルジャノンがカレルのことを口にしようとしたときだった。
「え?」
 ブランシュがふいに耳をそばだてる。アネシュカも友人の様子から異変を察してキョロキョロする。遠いオーケストラのような旋律が流れてくるのだ。……それは大型艦船のワイヤード・パズルの合唱だった。その美しい調和が船の性能を反映していることは自明である。それは機械仕掛けの魂の息吹、造形された心音の鼓動なのだから。
 そうこうするうち、三人の頭上から大きな影が落ちる。すぐに影は大きくなる。
「あれ……」
 二人の少女は息を飲んだ。
 振り仰げば快速艦の船底。それはチャペル・ブルーのアレキサンドリア号。このアル・カーヒラでも有数の速度を誇る快速戦闘艦の一つである。
 芸術品のように端麗なシルエットは白く輝き、青や金の唐草模様があしらわれている。二本のマストに張った帆には、稀薄なエーテルの風をいっぱいにはらんでいた。緊急展開にうってつけの艦だった。
 通常乗員数は約三十余名、エイハブと同等の威力のガトリング型主砲二つに加えて長距離砲も二つ、テクネー兵器の大型ミサイルポット三つ、大型バルカン四つ。単体での戦闘能力だけでも極めて高い。アルス兵士の精鋭戦闘員約二十名、土精の人員がアルスで遠隔操作する、飛行型ゴーレムも二機搭載。
 これこそチャペル・ブルー(第二艦隊)の特殊部隊、通称「海兵隊」の旗艦である。
 ブランシュは「綺麗な音」と呟く。アネシュカは口をポカンとあけて天空の船底を見上げている。
『アルジャノン!』
 慌しさにさえ落ち着きを感じさせる、テノールの声が降ってくる。通信スピーカーの音声の背景にはボリュームを落したヴァイオリン・ソナタがかすかに奏でられている。
「ネルソンか! 提督自らおでましとはなっ!」
 アルジャノンは久しぶりに顔を合わせた同僚に親しげな響きで応えた。サラーフ・ネルソンはアルジャノンと並ぶ若き重鎮で、もっとも信頼できる同志だった。
 艦は着陸せず、おそろしく長いロープが投げられた。
「すまんが、急がんと!」
 アルジャノンはロープにとりつき、レンジャーのような敏捷さでスルスルよじ登っていく。つくづく多芸で器用な男だった。彼は一度だけ振り返った。
「嬢ちゃん! あいつは一人で戦ってるわけじゃないんだ!」
 新しい乗員が上りきる前に艦は高度を上げ、空を滑るように発進していった。
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